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目覚めは混乱と温もりとともに
抱き寄せた体がふるふると震え始め、耳元が真っ赤に染まるのが見えた次の瞬間、
「な、なななんで、私こんなとこに.....っ!?」
動転する声が上がりアランはそれもそうかと思いつつ、身を捩って逃れようとするライラの体を強く押さえつけた。
「一旦落ち着け。無理に動くな」
「いや!離して!」
「説明するから..........っ」
声掛けむなしく頭突きを入れられ思わず手を離してしまい、ライラはアランから距離をとろうとベッドに手をつき立ち上がって、
「きゃっ!」
体が傾いだ。
恐ろしいほど両脚に力が入らなかった。
左脚に右脚が躓き前のめりにもんどり打って床へと落ちかける。咄嗟にアランが腕を引いたために落ちることこそなかったものの、背中から仰向けにぼすんとシーツに倒れこんだ。
ドレスの裾と銀色の髪とが、ぱっと散らかる。
怖い。
自分の脚じゃないみたい。
ぐにゃりとする体に混乱と恐怖を感じながら転倒の衝撃で閉じていた目をこわごわと開いて、ひっと息を飲んで硬直する。
「ひ、あっ、あ、アラン様......っ」
アランはライラの片腕を掴み、ベッドに組み敷く恰好で見下ろしていた。
「落ち着けと言ってるだろう」
「そんなこと、い、言われたって」
この状況で落ち着けるわけないじゃない。
とりあえず視線から逃れなければと掴まれていない方の手で顔を覆う。
「見ないでください!」
「なんで」
「なんでって今寝起きで部屋着で髪もぼさぼさで」
「もう今更だ」
アランが身を乗り出してくるのであわあわと身じろぎをすれば背中の下でベッドが微かに軋む音を立てる。月よりも美しい金色の瞳に見下ろされて思考も呼吸も止まりかけ、そういえば夢の中でも月を見た気がすると謎の現実逃避を試みるが、
「こっちは三か月寝顔を見てきたんだから。こんなに爆睡する人は初めて見た」
「......はい?」
想いもよらぬ言葉にライラはぽかんとして、顔を隠していた手すら外してアランを見た。
「さんかげつ?えっ??ひとつき、ふたつき、みつき、の三か月?」
「ああ。外を見てみろ。もう夏も終わる」
「私は三か月間もここで寝ていたのですか?」
「ああ」
「では......アラン様も、いつもここに?」
「........それはごめん。なるべく来るようにはしていたが毎日は無理だった。午後も大抵外にいた」
アラン様違います。
毎日来てくれました?って期待して聞いたわけではありません。
「人ってそんなに寝られるものなんですか」
「少なくとも君はそうらしい。時間はかかったが回復したのは奇跡だ。内臓にも達する大怪我でいつ死んでもおかしくなかった」
「そう...だったのですか」
怪我の回復のために眠っていたということか。それにしても蛇の冬眠並みにぐっすりと寝ていたらしい。これは確かに泣くほど心配されても仕方ないのかもと納得していると、肩と腰を支えるようにして抱き起こされた。
「痛みは?」
「ありませんが、脚に力が入らなくて」
「寝続けていたからだろう。体調は?」
「平気です」
頭はまだ混乱はしているけれど。
「そうか。よかった」
そう言ってまた抱きしめられそうになり、ライラは慌ててずりずりと後退して腕から逃れた。
「だめですお風呂に入らないと。さすがに汚いので」
「君はずっと綺麗だが」
「綺麗ではありません。服も着替えたいし......」
半ば死んだ表情でぼそぼそ呟くとアランは手を伸ばしてライラの頭を撫で、指先を唇に滑らせてふにと触れて、
「人形じゃあるまいし完璧でいなくていい。好きな人を抱きしめられないのは辛い」
驚いて目をぱちぱちとするライラを見、アランは照れつつも瞳は逸らさずに言った。
「君が好きだ。起きたら伝えたいと思っていた」
「?は........はい」
それは初めて言われた告白の言葉だった。
しかしこの時のライラは照れや喜びを上回る困惑でよくわからない感情になっていた。
「花時計広場で交わした会話を覚えているか」
真面目な口調で問われ、ライラは少し考えてから頷く。
「あの男の話でしたら顔は隠れていて見えませんでしたが」
「違う。俺と君の将来の話について」
「将来の......あっ」
思い当たる記憶を取り戻して顔をしかめる。
「結婚前に婚約を挟むとかいう話ですか?あんな折に言われても困りますので」
「侯爵にも王にも了承は得た。世間にも公表済だ。なかなか起きないから君には事後報告になってしまったが」
「はい?」
公表済で事後報告?
「え。それってまさか」
暫しの逡巡を経て恐る恐る尋ねる。
「冗談ですよね。私婚約しますとは一言も返してませんけれど」
「冗談なものか。返事は不要と言っただろう」
その瞬間、あの日の言葉を思い出した。
"俺の妃になれ。返事は要らない"
「な、なんて人!!信じられない!!」
ライラは怒ってアランを思い切り睨みつけた。
「いくら親同士許したからって本人が寝ている時に勝手に婚約なんて横暴だわ!!世間だって貴方はマリアンナと結婚すると思っていたでしょうにぽっと出の侯爵令嬢が出てきて婚約したらどう思われるか」
自分がマリアンナから婚約者の座を奪ったと騒がれるのは嫌だった。そんな胸の内を見透かしてアランは飄々と言った。
「人によっては俺とマリアンナの間に君が割り込んできたと思うかもしれないな」
「それがわかっててどうして!!」
「でも事実は逆だろう。俺がかねてから求婚してきたのは君であってマリアンナじゃない。割り込んできたのはむしろ彼女の方だ。それなのに君は世間の噂に沿って彼女に譲り続けるのか」
ライラは言葉に詰まる。
たしかにアランがこれほどまで想ってくれていることを思えば、もう彼女に負い目を感じたりせず自分の心に素直になってもいいのかもしれない。
でも私は―――。
ずき、と針を何本も刺したかのように心が痛む。
誰になにを言われても。
どんなに周囲から褒められても。
自分に価値を見出すことがどうしてもできない。
自分でも不思議なくらい、心が卑屈になることをやめられない。
「.........私は目立たず平凡に暮らしたいのです」
「前にも言ったが無理だ。それにそう言いながらも男装したり自身の悪評をあえて吹聴して回ったり、言っていることとやっていることがまるで合ってない。こうなった以上は君が望む君にとって都合のいい平凡な生活は老後になるまで来ないと思え」
ライラはショックを受けて佇み、アランは不敵な笑みを浮かべる。
「それと君は王太子妃を守った功績で《アルゴンの戦姫》の二つ名をつけられて今や国内外で人気になっている。劇場では花時計広場の出来事を題材にした恋物語が出回っているくらいだ」
「......せんき?........ええと.........えーっと.........」
思考ももう追いつかない。
空回る頭の中でどうでもいい質問をする。
「どんな物語ですか」
「令嬢戦士と王族戦士の悲恋だ」
「.....あらすじは?」
「俺も観ていないから細かくはわからないが」
聞けば不快になるのではと思いはしたが、ひとまず王都で聞き込んできた内容を話すことにする。
「伝説の英雄を父に持つ令嬢が王城のパーティに参加する。普段男装だがこの日は滅多に着ないドレスを着ていて誰も彼女だと気づかない。そして彼女は王子と出逢い互いに恋に落ちる」
ここまでは王道のストーリー。
「それから?」
「二人は情熱的な一夜を過ごし、朝になると彼女は姿を消していた。王子は名前も知らない令嬢を忘れられずに行方を探し続けるが二人が再会したのは戦場だった。そんな話だ」
話し終える頃には予想通り、ライラは心底不快という表情をしていた。
「出逢ってすぐに営んでます?しかも名前も聞かず名乗らずに。令嬢も王子もあまりに短絡思考で無責任な話では」
「あくまでフィクションだ。モデルは俺達だが」
「心外だわ」
ライラは憤りを抑えた低い声で呟く。
「誰がそんな話を」
「吟遊詩人達がそれぞれに話を作っている。結末は俺と君がセットで死ぬか君だけが死ぬかだが、君が目覚めたことが公表されればハッピーエンドの話ができてまた人気になるだろうな」
「そうですか。その際は前半部分も修正させなければ」
話を作った吟遊詩人らを並べて説教してやりたい。そう思って眉間に深いしわを寄せるライラをアランは笑って眺める。
「不本意だとは思うが、この物語の影響もあって俺達の婚約は当然の如く受け入れられた。仮に君以外を選ぶとなれば俺は君を推す老若男女から石を投げられる。国民を味方につけているというのは大きいぞ」
「........父はこの婚約をあっさり了承したのですか」
「あっさりというわけではないが覚悟はしていたようだった。ちなみに結婚の条件は侯爵とギルバードと勝負して勝つことだ。それについては少し待っていてほしい」
アランはさらりと口にしたが、ライラはぎょっとする。
「勝負って手合わせでしょうか」
「恐らく。剣と神力の稽古を積んだ上で臨むから心配しないでいい」
ここ最近寝ると悪夢を見るからという理由で夜間に稽古場や森で特訓を行なっていた。少しずつではあるがデルタリーゼの力の微調整ができるようになっており、手応えを感じていた。
ライラは不安を隠さんと、膝の上で握った両手に視線を落とす。アランやギルバードの力は直接見て知っているが、父については人づてに聞いているのみで想像もつかなかった。
しかし今の時点でアランが負けるとも思わなかった。彼の強さには何度も助けられてきていたから。
アランはライラの俯く顔を覗き込む。
「不安か」
「多少は」
なんとなくツンとした態度をとっておく。
「相手が相手ですし、この婚約も本当に単なる冗談で終わるかもしれませんね」
「ひどいな。勝つと信じて応援してほしい」
「誰を?」
「俺に決まってるだろ!なんで他を応援するんだよ」
そう言ってアランは快活に笑い、ライラはその笑顔にどきりとしてそれ以上なにも言い返さずにそこにいた。
意志の強い瞳とは裏腹の、もじもじとした雰囲気はいじらしく映る。
アランはひとつ息をつき、視線を外して窓の外を見る。
―――かと思いきや隙をついてがばっとライラを抱きすくめ、ライラはぎゃっと猫のような声を上げて嫌な顔を隠しもせずグイグイとアランの胸を押しやった。
「ですから!お風呂入ってないからと先程」
「もう少ししたらアンナが起きてくる。驚かせてやろう」
「こんなところを見られるのは嫌です!」
ライラはゴンゴンとアランの胸に頭突きをするがアランは最早動じなかった。
「彼女に稽古場まで知らせに行ってもらうのと、あとは診療所から人を呼んでもらって診察だな。侯爵にも連絡しなくては」
それからライラを抱きしめたまま少し改まった調子で言うことには。
「診察も済んで、いろいろと一通り落ち着いてからの話なんだが.........どこかで一日、君の時間をもらうつもりだ」
この時、春の乙女の件を今の内に耳に入れておくべきだろうかと一瞬悩み、しかし言わなかった。その件についてはライラが目覚め次第早急にギリアンや神官、王族が一同に介する場において正式に伝達されることになっていた。
「なんのために?」
ぶすっとして返事をするとアランは笑って、
「一緒に出掛けたい。君のことが知りたいんだ」
それは今までにない申し出でライラはぶさくれていたことを忘れて目を丸くする。これはいわゆるデート的なお誘いだろうかと顔が火照り、気恥ずかしくなって目を逸らす。
「あ、あの、ギルは」
「その日は留守番。二人きりがいい」
さくっと返され、やっぱりと思う。
「二人で歩くと噂されるのでは」
「俺は嬉しい。君も噂を恐れる人ではないだろう。あのブラッドリー侯爵家の令嬢なんだから」
からかう口調で言われて、むっと眉を寄せるが事実だった。『筋骨隆々令嬢』や『蛇にキメラを喰わせている令嬢』に比べればよほど真っ当なものに違いない。
ライラはため息をついて頷いた。
「わかりました。アラン様のことも教えてくださるのでしたら構いません」
「.....もちろん。知りたいことがあれば答える」
そう返答はしつつ、アランは自身について語ることを少し気がかりに思っていた。過去の女性遍歴を伝えた場合にどう思われるか、少なくともいい気はしないに違いない。
聞かれた際は矢で射たれる覚悟をもって話そう。
できれば急所は外してほしいがと一縷の望みを持って微笑み、体温の戻った華奢な体を愛おしく抱く。
ライラは早く風呂に入りたいと微妙な顔をしていたが、これだけ何度もくっついていては恥じらいも今更かと諦めることにする。アランの胸に軽い頭突きをして顔をうずめ、ためらいながらも腕を回してそっと抱きしめ返した。
時を待たずして、東の離宮には驚嘆と歓喜の叫びとが響き渡る。主人に抱きついてひとしきりわんわんと泣いた後、アンナは離宮を飛び出して稽古場へと走る。
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