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思わぬ暴露(4) 生贄の乙女
「人違いではありませんか」
すると父が小さく、
「事実だ」
そうなの?とライラは記憶を辿るがそれらしき思い出は見当たらない。
マリアンナは笑って続ける。
「やだ!忘れちゃったの?でもたとえあなたが忘れていても私はちゃあんと覚えているわよ?だって本当にあなたの立ち振る舞いはものすごかったんだもの」
ものすごいってなに?
マリアンナは周囲に視線を流してうふふといたずらな笑みを浮かべ、ライラは必死に記憶を探すが、
「あの日は視察団がダンスレッスンの見学にいらしてたんです。先生が学園で一番の生徒ですよと言ってライラを紹介して、そしたら王子様が突然ダンスを申し込まれたんです。普通なら王族からのお誘いはすぐにでもお受けするのがマナーでしょう?でもライラはそうじゃなくって......うふふっ」
堪えきれずに笑うマリアンナの瞳はまっすぐアランに向けられていた。
「ライラは差し出された王子様の手に指だけちょっと触れて言ったんです。『御印の名を教えてください。あれば御手を取りましょう』って。王子様がお答えして踊った後、こんなに高貴で度胸のある令嬢は見たことないって皆様すごーく褒めておいででした!ね?ものすごい話でしょう?」
ライラは記憶を辿る作業をやめる。
マリアンナを見れば声を抑えてくすくすと笑っている。
「.....ちょっと、それって」
最悪。
「し、知りません!」
ライラは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「作法は知っててもやった記憶なんてありません!」
その出来事の記憶は本当にどんなに頑張っても思い出せなかったのだが、ダンスの前に御印の名―――王族だけが持つミドルネームを聞くという作法そのものはたしかに習った覚えがあった。
けれどそれは「王族だったら踊ってあげる」というあまりに高飛車な発言で、そんな作法を習い他国の王子に対して実践済だということを王族の前で、しかもアランがいる前で暴露されたくなんてなかった。
ライラは羞恥心でぷるぷるしていたが、
「ぷっ.............に、似合う」
アランが吹き出して笑い始め、つられてリリアナが笑い、挙げ句シェリルすら笑うのを見て立ち尽くす。
「ライラ、座りなさい」
父の声に従ってゆるゆると席についた。
春の乙女の件に引き摺られて知られたくない過去の話が明るみにされていくのがたまらなく嫌で恥ずかしくて、マリアンナが笑顔で語るというのも悲しくて腹が立った。
これでは王家の一員になりたがっていた人だと誤解されてしまう。
皆の前から今すぐ消えてなくなりたい。
そう思いながら下を向いて座っていると、
「本題はさておき娘の名誉のために申し上げますが」
父が穏やかに、しかし全員に聞こえるはっきりとした口調で話し始めた。
「我が家門はアルゴンの砦を担う戦士の家系です。娘を学園に入れたのは一般的な侯爵家令嬢として恥ずかしくない教育を受けさせるため。王家との婚姻や春の乙女選出までを望んだことは家門として一度もありません。度重なる学園の推薦を許可したこともなく、成人するまで茶会や祭典への参加もさせておりませんでした。縁あってアラン王子に見初めてはいただきましたが、それにも過去の教育はなんら影響していないでしょう」
「......侯爵、それはわからないぞ」
アランはひらめいたという顔でライラを見る。
「君は頑なに俺の求婚を断ってきているが『ひたすら断り続ける』というのも学園の教えのひとつなんじゃないか?」
「違います」
ライラはアランを薄く睨みぼそぼそと。
「普通にお断りしていただけです。そのような作法あるわけないでしょう」
「..................そこは教えであってほしかった」
「......はっ?」
へこむ顔をするアランにライラは困惑し、そんな二人の様子にまたちらほらと笑いが上がる。
マリアンナは愛想笑いを浮かべつつ膝の上でギリリと拳を握り、ふとリリアナと目があって顔を背けた。
「学園の推薦というのは婚礼の?」
ジェラルドの問いにギリアンは頷いて腕を組み忌々し気に、
「他国王家への輿入れの斡旋です。娘がまだ10歳にもならない内から推薦文書が届いておりましたが一度も許可しませんでした。先程マリアンナ様が仰ったイーリアスの王子との接触も学園の計らいで勝手に行われたに過ぎず、その後はすべて禁止しています」
ジェラルドはいかめしく眉を寄せる。
「.....家同士の政略結婚ならいざ知らず学園都合で斡旋するには幼すぎる」
「王子も当時10代の子供でしたので早めに縁を作っておきたかったのかと。推測に過ぎませんが」
ライラはぞっとするのと共に断ってくれていた父に心底感謝した。一点、どうしても気になったためおずおずと、
「お父様、私がお会いした王子のお名前って」
「ハキム=グリーズナーファ=イーリアス。イーリアスの現第二王子だ」
当時ギリアンは娘と王家に接点を作ろうとする学園に憤りの念を感じていたが、引き合わされたとされる王子や使節が終始ライラを褒めており、不審なアクションをなにひとつ起こさなかったということに安堵を覚えていた。ライラの実の父親が言っていた、紅紫眼の民はイーリアス国内でろくに認知されていないという話は真実だろうと思うきっかけとなった出来事だった。
「あの男か......」
小さな声ではあったがデオンが柄にもなく苦々しく呟き、アランは不審に思って小声で尋ねる。
「知り合いか」
「.......後で話す」
一方のライラは名前を聞いても記憶がボヤボヤとして思い出せずに首をひねっていた。ともあれ今となれば不要な出逢い。気にするのはやめようと思った。
それよりも本題に戻らなくては。
「......話は逸れましたが、学園での成績が良かったからといって一か月足らずで大役を務められるというわけではありません」
テーブルに目を落として話す間も、自分が役目を放棄した際に家門に対して囁かれるであろう失望の声が頭の中でこだまする。
「私の他に適任がいないというのもそんなことはないはずです。卒業後にしっかり社交をし家門に尽くしてきたご令嬢こそ選ばれるべき名誉の役目で......」
本来なら名誉。
今回は生贄だ。
誰が選ばれようと苦悩は免れない。
腕に体をくっつけてくるギルバードを布ごしに撫でると、心の痛みが和らいでいくような気がした。
マリアンナが貶めたいのは他でもないこの私。
だから今回の適任は私以外あり得ない。
私がやるのが一番誰も傷つかないし、どのみち辞退が無理ならこれ以上ゴネても仕方ない。
羞恥心とやりきれない怒りとで震える手を握り、やりたくないと嘆く心を封印する。
「......どなたか、毎日の神殿での祈りや座学やマナーレッスンと並行して小道具つきの小劇を人に見せられるレベルまで習得するにはどうしたらいいのか、スケジュールを組んで提示いただけませんか。今日からでもやりますから」
いつもの真顔で意志とは逆の言葉を紡いだ。
全員が理解するまでには数秒の間があった。
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