手のひらの逆さ十字(3) 揺れる心

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手のひらの逆さ十字(3) 揺れる心

オルフェウスは双眸を大きく見開いてギルバードを見下ろした。なぜ急にそれを聞くのかと彼の目は言っていたがギルバードは続けて、 『()()()()()ならいいんだけどさ』 そう小声で言って鎌首を下げ、とぐろの上に頭を置いた。意味深長な言葉にオルフェウスは暫くの間固まっていたが、 「できました」 ライラの声にびくりとして石化は解かれた。 「先程の一覧と同じでレッスン回数を減らしてそのぶん座学に費やそうと思います。他国文化や国の歴史はまったく知らないので」 「.......わかりました。では少々失礼してまとめてきます」 そう言うとオルフェウスは一覧を持って離宮を出ていき、三十分ほどして戻ってきた彼の両腕には五本の巻物と一冊の薄い冊子が抱え込まれていた。 「お待たせしました。作成したスケジュールです」 テーブルにドサリとすべて置いてから巻物を三本ライラに手渡す。 「神殿と王家への共有分として二本はこちらでいただきますが残りは差し上げます。侯爵様にもお渡しいただければと」 ......もう出来たの? ライラは巻物の(たば)を受け取ると一つをテーブルの上で広げてギルバードと覗き込んだ。明日から二か月先までのスケジュールが組まれており、早朝から夜までみっちりだが週に一回か二回休みが入るようになっていた。 「ありがとうございます.........早いですね」 予想外に常識的なスケジュールで良かったとほっとしつつ、この短時間でどうやって五本もの巻物を作ったのだろうとたじろいでいるとオルフェウスは笑って言った。 「図書館勤めの速記人と複写人の手を借りました。ライラ様のためと聞いて皆で一覧の奪い合いを始めたものですから、喧嘩になるのではとひやひやしました」 「そうだったのですか.....」 意外だった。図書館で仕事をしている彼らはいつも寡黙に淡々と事務作業をこなしており、奪い合いや喧嘩といった行動とは到底結びつかない人々だった。 オルフェウスは翌日の予定を指し示して、 「明日は早速テーブルマナーと神降ろしの舞のレッスンが入っています。神降ろしの舞については元ネタの神話がありまして...」 持参していた薄い冊子を差し出すのでライラは受け取りページをめくった。娘と狼が湖の(ほとり)に座っている挿絵が目に入りギルバードと一緒に眺める。 「そちらの本も差し上げます。初めて神と交流した女性の物語です。使い魔の起源の神話とも言われています」 「この神話のストーリーに沿って舞うと」 「ええ。一般的な小道具は"扇"と"林檎"です。舞姫の技能が高いと"羽衣"が追加されますが、歴代は殆ど扇と林檎です」 ライラは羽衣の説明にぴんと来ずに眉根を寄せる。羽織って踊ればいいというわけではないのだろうか。 「羽衣だけなぜ技能が必要なのでしょう」 「真上や前方に放り投げて受け止めるといった所作が入るためです。()()()()()()()()()()()()()()()というテクニックがいるばかりか、当日は屋外舞台上での演技になるので風の流れに左右されます。歴代の令嬢でも挑戦した方は数える程しかいらっしゃいません」 「狙って、投げる.....」 『マリアンナも扇と林檎で練習してたの?』 ギルバードの問いにオルフェウスは頷く。 「奇をてらわず歴代通りの舞をしたいと仰せでした」 『へえー』 単純に羽衣を扱う技量がなくて避けただけだろう。 ギルバードはフンと鼻を鳴らしてから、しかめっ面で何事かを思案していたライラと顔を見合わせた。互いの考えはわかっていたがこの場では口に出さなかった。 「スケジュールについてなにかご質問はありませんか」 「いいえ。ですが.....この様子だと暫く屋敷には帰れそうもないですね」 朝は日の出の時刻に神殿で祈りを行い、夜も座学やレッスンが夕食を挟んだ後にも入っている。ライラは小さくため息をつき、オルフェウスも表情をくもらせた。 「そうですね.......申し訳ありません。座学とレッスンが一通り終わるまではこちらから通っていただくのがいいかと思います。離宮の継続使用については私から王家に報告をしておきます」 『アランは喜ぶだろうなあ...むむっ』 のんきな発言にライラはギルバードの頬を指で挟んでむにむにとやる。 「会う暇なんてないわ。二か月間勉強漬けなんだから」 『むっ...でも休みもあるしむむむ』 なんだかんだで平和に見えるのは不思議だとオルフェウスはつい笑って、 「ライラ様、すみませんがペンをお借りしてもいいですか。そちらの予定表も」 「どうぞ」 ライラの指から解放されたギルバードは顎直しをして胴に頭をちょこんと乗せ、オルフェウスは広げられた巻物の端にさらさらと書き込みをし始めた。 「レッスンや座学を進める中でこのスケジュールでは難しいと感じられた際はお早めにご相談ください。朝夕の祈りの際に神殿でお呼び出しいただければと思いますが、他の神官の目が煩わしい場合は私の屋敷をお訪ねいただくでも構いません。屋敷は中も外も草だらけなのでお呼びするには忍びないですが、一応住所を記しておきます」 「草って.....屋敷の中もですか?」 一体どんな場所に住んでいるのだろうかと気になって尋ねるとオルフェウスは眉を八の字にして頬をかいた。 「使い魔の鹿が大食漢でして。食べ物が視界からなくなると主人を後ろ脚で蹴り飛ばすものですから」 鹿。 「.......男の子ですか?」 「ええ、雄鹿(おじか)です。ツノで草を引っ掛けてまき散らしながら食事をするので私も弟子も困っています」 ツノのある鹿。 ライラの表情がぱっと明るくなり、ギルバードはやれやれと頭を振る。オルフェウスはにこりと笑い、巻物二つを持って席を立った。 「早速王家にスケジュールの共有をいたします。特にアラン王子が気にしてらっしゃると思いますから..........あっ、このペンはあちらに戻しておきますね」 開けっぱなしにされている引き出しに気づいて近づき、 「......?」 筆記具に混じって置かれている()()()()を見てオルフェウスは眼鏡の下の双眸を険しく細める。 なぜ、これがここに。 咄嗟の判断でペンを戻す代わりにそれを手の中に握り込め、ローブの袖に隠して持つ。 「それでは失礼いたします。お時間いただきありがとうございました」 深々と一礼したのちオルフェウスは離宮を後にした。自身の後ろ姿を捉える警戒の眼差しにはついぞ気づかず、王城を素通りして正門へと歩いていく。 *********** 日が西に沈み始めた頃、アランは執務室で一日の仕事の後片付けを行っていた。 サイン済の書類と未精査分の書類とをきっちり分けて棚にしまい、机の上を整頓して乾いた布で丁寧に拭く。毎朝気分よく仕事を始められるようにと、一日の終わりに必ず掃除をする習慣がこの数年で身についていた。 「......よし」 指先についたインクのシミまで綺麗に拭き取ってから端に置かれた鏡の前で身だしなみを整える。整えると言ってもいつもの変わり映えのしない黒い装束、黒い髪。全体的に黒いのでたまには違う色の服を着てみようかと思わなくもなかったが、服選びが面倒なのと汚れが目立たないという理由に逃げて結局通年黒を着ていた。 裾などをなんとなく整えてから鏡を離れ、机に立て掛けていた剣を掴んで部屋を出ようとした時だった。 扉を控え目にノックする音が聞こえてきたので返事をするとオルフェウスが入ってきて、どこか神妙な面差しでアランに一礼をして言った。 「春の乙女のスケジュールをお持ちしました」 「.....まだ打ち合わせ中かと思っていた」 「いえ、遅くなり申し訳ありません」 アランは剣を置いて差し出された巻物を広げて眺める。 「休みはあるが明け方から夜までか」 過労死するほどではないにしても試験を控えた学生並みの忙しさ。 「はい。レッスンと座学が完了するまでの期間は離宮を継続してご利用いただくのがよろしいかと思いますが、許可いただけますでしょうか」 「ああ。生活の面倒は引き続き王家で見るということで王の許可も取っている」 「ありがとうございます」 オルフェウスは下げた頭を緩く起こしつつ、 「春の乙女とは別件でアラン様にお聞きいただきたいことがありまして」 アランは目を上げてオルフェウスを見、数瞬してスケジュールに視線を戻した。 「どっちだ。報告か独り言か」 「両方です。二件あります」 オルフェウスは(ふところ)をごそごそとやってなにかを取り出し、ためらいがちに口を開いた。 「先にご報告から。この石を勝手ながら東の離宮より拝借しました。見つけた場所が場所ですので他の神官には内密にしています」 机に置かれたそれをアランは怪訝な顔で手に取り眺める。 手に握り込めるサイズの雫形の石。 刻まれた逆さ十字。 コルトナ男爵の屋敷にあったプレートと同じ紋様だった。 「......離宮のどこに」 「客間の本棚にある引き出しの中に。筆記用品に紛れて置かれていました」 「誰の持ち物かわかるか」 「わかりません。ライラ様は特に気にされる様子も隠すそぶりもありませんでしたが」 「まあ彼女のものではないだろう。戦闘で瀕死の怪我を負っているしシュレーターとの繋がりはない」 しかしこの瞬間、彼女は無関係だと確信する心とは別に戦士としての心が「それは情に(ほだ)された決めつけでは?」と疑念を囁きかけてきた。 (かすみ)か雲のような謎カルトと二度対峙して怪我を負いながらもギリギリ生き残っている令嬢。 本当に偶然や強運というだけなのか? 瀕死の怪我も()()()()()()()()()()()()()()わざと負ったという可能性は? あえて被害者になり国の中枢に近づいて敵側に情報をもたらすことも彼女になら――― 馬鹿馬鹿しい。 アランは巻物をくしゃりとやって机に置き、疑念を追い払う深い息をついた。自分が直接見て知っている彼女の人柄を思えばそんな可能性万に一つもあるわけなかった。職務柄とはいえ好きな女性まで疑う根性に嫌気が差す。 「神力の残滓を確認してもらえるか」 「屋敷で確認しましたがありません。プレートと同様なんの変哲もないただの石です」 「わかった。預かってこちらで調べを進めておく」 明日ナインハルトに情報を共有して調査に入ろう。 「報告の方は終わりか」 「はい」 となると次は独り言―――大抵は人間関係の愚痴だが、今日はなにを語るのか。 日が沈む空を窓越しに眺めて待っているとオルフェウスはぽつぽつと独白を始め、聞き終えた後アランは独り言だということを忘れて話し掛けた。 「禁忌というのはこの際置いておいて一人では無理だろう」 「代償はあるでしょうが身命身使を賭せば叶いましょう。私と違って先の長い弟子達を巻き込むわけには参りませんから」 オルフェウスは自身を叱りつけるカーウェインを思い出し、双眸を細めて笑う。 「私にはあの瞬間が神の啓示に思えたのです。私は人間が定めた規律ではなく私の信心に従って事を成そうと思います」 確固たる意志を宿す瞳を前にアランは止めても無駄だと察して口を閉ざす。赤い夕焼け空を背景に黒いポチ目の蛇を思い浮かべて小さく呟く。 信仰するのは自由だが、アイツは対象外でもいいんじゃないか。
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