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カラスの献身(2)
「あと今後雇う人間にはシュレーターを名乗らせるな」
『......なぜですか?』
「神秘性が損なわれる。存在するかしないかの境界線を維持し続けるというのが肝要なんだ」
『......わかりました』
カルト集団シュレーター。
信者数は数千と噂される謎の集団はエルカディアが講じたでっち上げ、実在しない架空の存在だった。
コルトナ男爵に命じてキメラ出現と同時に噂を流し始め、以降民家の襲撃や誘拐といった事案を立て続けに起こすことで民心の動揺を誘い、アルゴン全土に不穏な空気を行き渡らせた。そこはかとない不安の中、巷の噂は人の輪をくぐるたびに脚色され誇張されて、いつしかシュレーターは死者の復活を願う一大勢力としてその名を知らしめるようになっていった。
"噂好き"というアルゴン国民の性質を利用した捜査の撹乱。
まるでゲームのように人を動かす主人の狡猾さにカーウェインは恐ろしくなるが、
「ちょっと、もう時間じゃないの?」
マリアンナに言われてアッと小さく声を上げた。
『確認してきます』
小走りに檻に近づくと砂時計の砂はすっかり落ちきっており、中にいる男はだらりと頭を下げて力なく椅子に座っていた。
『......もしもし、ご気分いかがです?』
問いかけると男はゆっくりと頭を上げ、耳を押さえて口元を動かした。大きく見開かれた両目からは黒い液体が流れ出し、髭と首筋を伝って服や床に液溜まりを作っていく。
カーウェインは目を伏せ、振り返って主人とマリアンナに届く大声で言った。
『失敗です』
「や、めろ、やめろやめろ、やめ........」
男は同じフレーズをブツブツ繰り返し呟いて、急に椅子を立ったかと思うと鉄格子に体当たりしてカーウェインが羽織る外套の袖を握りしめた。しかしカーウェインの体から発せられた青い閃光と巻き起こる突風に弾き飛ばされ、椅子にぶつかりもんどりうって転倒した。
『西の森に逃がしておきます』
砂時計を拾い上げて主人の元へと戻るカーウェインの背後ではバキバキと骨の砕ける音と悲鳴が上がり、七転八倒する男の血肉を糧に手足の長い猿に似たキメラが次々と生み出されていく。
エルカディアは生成されたキメラの形態を眺めて言った。
「逃さずに一旦奥の部屋に留め置け」
『......明月祭で使う予定ですか?』
一箇所に集めたキメラを召喚石を使って指定の地点に送り込む手法はチャリティで実践済みだった。今回もそうするのかと嫌な想像が頭を駆け巡ったが、
「いや。だが遠くない内に使うかもしれない。あの猿はさておき、あと三回失敗したら次はまた機械人形で試そう」
「えっ?またなの?」
機械人形と聞いてマリアンナは不服な顔で身を乗り出した。
「あの玩具全然可愛くないしあっさり壊されちゃったじゃない。キメラの方が愛嬌もあってよっぽど強いわ」
「.........マリー、私達の目的はキメラを作ることじゃない。必要なのは人の器だ。母上は生身の彼を所望だがひとまずは機械の体でもお許しいただけるそうだ」
マリアンナは不服と言わんばかりに頬を膨らませたが反論はせず、代わりに祭壇に置かれた砂時計を手に取った。ガラスにうっすらとひびが入るそれに神力を使うと傷一つなく元通りになり、マリアンナは満足そうに鼻を鳴らして砂時計をひっくり返して元の位置に置いた。
マリアンナの手遊びを横目にエルカディアはカーウェインに短く告げる。
「型は前回と同じでいい」
『わかりました。メガロス市場で手配します』
「誰にも見られるな。オルフェウスにも悟らせるな」
『はい。充分に気をつけます。では時間も少ないですし、私はキメラの片づけをしてきます』
さくっと片して屋敷に帰ろう。
そう思って踵を返しかけて、しかしマリアンナが放った無邪気な言葉に凍りつく。
「あの神官、もう不要じゃない?」
カーウェインは目を見開いて動きを止め、マリアンナはエルカディアの腕を揺すって言った。
「禁書の在り処を探るのに弟子の肩書きが便利だったというだけで、もう複製もしたし用済みだと思うの。いちいちブラニスの気配を探知されるのも面倒だし、それにあの人、探知スキルじゃないのに何故かブラニスの気配がわかるんでしょう?力の底が知れなくて気持ち悪いわ」
「一理あるが―――」
『俺が神殿と王宮を自由に行き来できるのは師匠の弟子だからです。彼は体が弱く折々でサポートが必要なので』
カーウェインはうわずる声を上げてエルカディアに向き直った。
『彼を殺せば別の神官が大神官に繰り上がり、俺はその人に師事することになります。そうなれば今のような働きはできなくなるでしょうし、神官見習いを辞めたとしても今程上手く王都で立ち回れるかどうか』
「あの男が絡む時だけは饒舌だな」
主人の指摘に思わず怯み黙ったが、目は逸らさなかった。エルカディアはカーウェインの肩に手を置き引き寄せて言った。
「まあ、そうだな。主人にさえ一度見限られた役立たずをあえて重用して傍に置く酔狂人は他にいない。だが忘れるな。たとえ名付け親だろうとお前の主人はあいつではなくこの私だ。私が無益と判断した時点で早々に消す。その時はお前の手で殺させる」
『........はい』
「あっ、もしかしたら始末する前に病気で死んでくれるかもしれないわ」
思い出したとマリアンナは両の手を打ち合わせ、カーウェインは後ろ手で拳を握りしめる。
「そうよ。だって私が神殿でお祈りをしている時よく咳して座ってたもの。煩いったらなかったわ。せっかく可愛く見える祈りの所作を練習したのにあの人のせいで悉く台無しにされて.....」
「そんな練習をしていたのか」
祈りの仕草にさえ可愛さを求めるのかとエルカディアはうっかり笑う。
「祈るマリーより彼の方が人目をひいたろうな」
「もう!笑いごとじゃないわよ!主役は私なのに」
「怒らないでくれ。怒った顔も可愛いが」
「当たり前でしょ。お世辞にもならないことを言わないで」
『......キメラを移動してきます』
聞いても仕方のない痴話喧嘩。
カーウェインは二人から離れてキメラがひしめく檻に近づき、胸の前で風を切るように右手を払った。すると風のない空間に強い風とキメラの叫喚とが巻き起こり、鉄製の重い檻は突風に押されて奥へと移動を開始した。ザリザリと檻を動かしながらちらと後ろを見ると祭壇に腰掛けたエルカディアの膝にマリアンナが座っていて、二人は熱いキスを交わしていた。
急いで目を逸らしマリアンナの甘い声は気にしないようにしていつも以上に時間をかけてキメラを奥の部屋へと押し込み、石の扉を閉じてのろのろ歩きで戻ってきた時には二人の姿は消えていた。続きは屋敷でしてくれるようだと察してほっと息をつき祭壇に腰を下ろす。
疲れた。
横を見遣ると黒い表紙の本が開いたままうち捨られており、なんとなく手にとって埃を払った。
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【告解の章】
紅い星の郷に生まれた、目のない子供。
息づく前に屠られる子らに、生まれた意味とその証を。
数十の生命と数十の母の涙を以て、一の生命と一の母を救う方法。
一、数十の生命を神の力でひとつにする。
二、選ばれし子に捧げ与える。
三、子の内で生命を解き放ち還元する。
選ばれし子が死してすぐは魂が還る。
郷を離れていてもなお、散らばる子らは救われる。
我が名はアリス。
目のない子供を産んだ母。
我が最愛のニーシュリック。
私の犯した罪咎で、白い体は黒くなった。
異変の日、私はニーシュと堕落する。
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謎掛けじみた文字の羅列。
この本の記述をもとに試行錯誤してブラニスを生成し、機械人形への魂降ろしを実行した。現状機械人形でしか成功していないのは必要条件を満たしていないか手順そのものが違うと予想されたものの、具体的にどこをどう修正すべきなのかはまだわかっていなかった。
『帰るか』
ぽつりと言って本を祭壇に置き、疲れた腰を上げて元来た道を戻り始めた。
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