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カラスの献身(4)
二年前の夜のこと。オルフェウスは神殿から屋敷に帰る道すがらに傷だらけで畑に倒れる青年を見つけて保護をした。青年はうわ言で殺してほしいと言い続け、意識が戻った後も常時なにかに怯え怪我の経緯や出自は頑として明かさなかった。
間もなく回復して動けるようになり、きっと自分が神殿で仕事をしている間に出ていってしまうのだろうと思っていたが、青年は出ていくどころか屋敷の掃除や炊事洗濯、果ては仕事の手伝いや身の回りの世話までし始めた。
くるくると器用に働く様は死を願っていたとは思えない程に健やかに見え、当時大神官になったばかりだったオルフェウスは名すら明かさない青年に"カーウェイン"と命名し、自身の最初の弟子として迎え入れた。
懐かしい回想を経てオルフェウスは語り掛ける。
「体調面で日々面倒をかけてはいるが、君の師はそれ程弱くないから心配しないでほしい。仮にシュレーターがこの屋敷を包囲したとしても私は負けない......と思う」
尻すぼみな発言にカーウェインは目を上げて師を見つめる。
「......負けない、で止めてもらった方が嬉しいですしかっこいいです」
「いや......敵が炎属性だとどうにも......」
目を泳がせるオルフェウスにカーウェインはようやく笑って、包帯を結び終えて端を切り、薬と血染めのタオルをてきぱきと片づけた。
「師匠が強いのは皆知ってます。あと面倒はなにもかかってないです。フェリベルシアも連れて部屋にいきましょう。体を休めないと」
「ああ。......すまない、今更具合が悪くなってきたかもしれない」
そう言ってオルフェウスはフェリベルシアの尻を枕にして突っ伏し、フェリベルシアは主人の髪をもしゃもしゃ食べだし、カーウェインは慌ててフェリベルシアの頭をどけて師の右腕を引っ張り体を支えて立ち上がらせた。フェリベルシアと共に師を寝室へと運び、ひとまずソファーに座らせた。
「替えのローブを持ってきますので、少し待っていてください。絶対動かないでくださいよ」
言いおいてカーウェインは突風の如き素早さで部屋を出て行き、オルフェウスは弟子の言葉に反してソファーを立った。貧血でぼやける視界の中、ローブの懐から一枚の黒い羽根を取り出し机にしまう。寄ってきたフェリベルシアのツノに右手を伸ばして掴まって歩き、ソファーに腰掛けて浅く息をついた。
初めて彼に嘘をついた。
左腕の傷は禁書にかけられた護りを一人で破った結果負ったもので、研究室にあった宝具は怪我の理由を追及された場合に備えてカモフラージュとして壊し転がしておいたに過ぎなかった。カーウェインが廊下を渡る音を遠くに聞きつつ、汗ばんだ白い髪をかきやり眼鏡を外して目元を押さえる。
夜が明けたらアラン王子に報告をしなければならない。
禁書を開いた瞬間、黒い羽根が一枚落ちてきた。
その羽根は去年の明月祭時点では挟まっていなかったもので、自分でさえ負傷するレベルの護りを誰かが突破し禁書を読んだという証跡だった。そして羽根に残る神力の残滓は微かではあったが強力で、似た気配を持つ使い魔には心当たりがあった。
もし私の推測が正しければ最悪、国際問題になる。
「師匠、着替え持ってきました。痛み止めとフェリベルシアの草も」
掛けられる声にオルフェウスは目元から手を降ろして眼鏡をかけた。
「ありがとう。すまないが朝になったら」
「朝一で王宮に行きましょう」
言いたかった言葉を先んじて言われてオルフェウスはぽかんとするが、カーウェインは師の傷に触れないよう慎重にローブを脱がせて言った。
「傷が深いので診療所でしっかり診てもらわないと。万が一感染でもしたら大変です。王宮には馬の医者が常勤しているのでフェリベルシアも診てもらえるか頼んでみます」
「あ、ああ」
「あと神殿には休みの連絡を入れておきます」
「休みは半日でいい。アラン王子に謁見した後で神殿に行く」
「......もし診療所の方が休むべきだと仰るなら言いつけに従ってくださいよ」
「さて、私はもう人心地ついたし君も寝室に戻ってもらって」
「そうやって話を逸らすのは大人としてどうなんでしょう」
カーウェインは再びオルフェウスを支えて立ち上がらせ、ベッドに腰掛けさせて薬とコップを差し出した。
「痛み止めです」
受け取って素直に飲む師を見ていると数時間前同じようにブラニスと水を男に差し出した光景がフラッシュバックして、胸の奥がズキンと痛んだ。主人のために尽くすという使い魔として正しい働きをしたまでだと心の中で呟いて、師がベッドに横たわるのを介助し布団をかけて部屋を出ようとしたその時、
「カーウェイン」
名を呼ばれて立ち止まる。
主人の蔑む声とは違う優しく穏やかな呼び声に、比べてはいけないと思っていても両の目の奥が熱くなることは止められなかった。
「君はなぜ私が研究室にいるとわかったんだ」
「それは.....」
血の臭いを嗅ぎつけたとは言えなかった。
人間ではない嗅覚を持っているだなんて誰にも打ち明けられやしない。
考えた末に出てきた答えは、
「どこにいてもわかります。たとえ世界の裏側だって。俺は師匠の弟子ですから」
部屋の灯りを落とし、カーウェインは暗い廊下を一人静かに歩いて行った。
***********
『.....朝なのによく食べられるよね』
ギルバードは頭をもたげて、目の前でカチャカチャと音を立てる銀食器と細切れにされていく肉とを凝視して言った。
『ギリアンだって朝食にそういうものは食べてなかった気がするんだけど』
「いいじゃない食べたいものを食べたって」
朝の祈りを終えて離宮に戻り、ライラは王宮のコックによって準備された朝食をとっていた。
朝からがっつりステーキを頼む令嬢には熟練コックもさすがに目を剥いているんじゃとギルバードは思ってしまうが、ライラは気にする風でもなく肉を頬張り片手間で本を読む。
『ライラ、わかってると思うけどながら食べはすっごい行儀悪』
すかさず両頬をむにと挟まれギルバードはむむむと唸る。
「時間がないんだもの仕方ないでしょ。ね、アンナ?」
もぐもぐと肉を咀嚼し飲み込んで本を読み進めていく姿にアンナは困った顔こそするが主人の旺盛な食欲は嬉しい様子。咎めるでもなくにこにこ笑って横に控えていた。
「それにお父様だって仕事中に間食しているわ。屋敷でも書斎でパンやサンドイッチを食べていたでしょう」
『まあ、そうだけどさ』
ギルバードは屋敷の書斎でサンドイッチを食べながら筆を走らせるギリアンと、彼の使い魔ヤミーが主人の膝に顎を乗せてパンや野菜の切れ端を待つ姿を思い起こした。
「昔の習慣が抜けないんですって」
『戦士の時の?』
「子供の時から食事はとれる時に適当に済ませているそうよ」
『......侯爵家なのに』
ライラの偏食も気にはなるが父親もなかなか変わった育ちをしていると思う。貴族は皆技巧の凝らされたコース料理をナイフやフォークを使って優雅に楽しむのが常と聞くのに。
「よそはよそ、うちはうち」
ライラはまた一切れを口に放り込みもぐもぐとやって、
「ねえ、オルフェウス様が蛇はイーリアスの神聖生物って仰ってたけど本当みたいよ。国によって尊ぶ動物に違いがあるのね」
水を一口飲み、本に目を走らせる。
「イーリアスは蛇を神聖なものとするけれど、アルゴンとティターニアでは不吉の象徴。あと鴉もイーリアスでは神の使いで、ティターニアでは不吉の象徴なんですって」
『逆にアルゴンとティターニアではなにが神聖視されてるの?』
「ええと.........アルゴンでは獅子や狼、ティターニアでは極楽鳥やイルカなどが神と繋がりが深い生物として敬われているそうよ」
聞き馴染みのない動物にギルバードは頭をひねる。
『イルカって、イカの家族?』
ライラもぴんとこずに首を傾げる。
「さあ。海の生き物らしいしそうなのかしら。ティターニアに行けば見られるかもしれないわね」
そう言って本を閉じフォークを置いた。
「お肉も勉強も今朝はこのくらいにしておくわ。この後テーブルマナーのレッスンがあるけれど、ギルはどうする?稽古場に行く?」
『うーん......ライラのレッスンを見た後に稽古場に行こうかな』
肉食ライラのテーブルマナー。
どんなものかちょっと気になる。
ライラはギルバードを掴んで床に置き、ギルバードはたちまち変化をして部屋の端にある箪笥を開けた。昼間に稽古場に行けば令嬢達の視線に晒されること必至のため、装束の下に一枚着ておこうと適当な服を引っ張り出した。
ライラは本を棚にしまい、皿をまとめているアンナに声を掛けた。
「ドレス替えを手伝ってもらえるかしら」
「はいもちろん!どうされます?」
「晩餐会を想定したマナーレッスンなの。だから華やかなイブニングドレスがいいわ」
アンナはぽんと手を打って部屋を出ていき三着のドレスを担いで戻ってきた。
「イブニングドレスはこの三着です。どれも素敵ですけども、これは少し肌寒いかもしれません」
ライラはドレスをベッドに並べて表と裏の色柄と丈を入念にチェックした上でアンナが寒そうだと言ったドレスを手に取った。
「これにするわ」
「......これ、着ちゃいます?」
スッキリとしたデザインで体のラインがはっきりと出る大人の一着。胸元と背中もかなり開いているので人目に触れる明るい時間に着るとなれば破壊力に死人が出るのではないかとアンナは割と本気で危惧するが、その顔色を見てライラは言った。
「まだ日差しは暖かいし寒くないわ。外を歩く時はコートを羽織るし大丈夫よ」
「あ、まあそれでしたら」
過保護かもしれないがコートのボタンは全部きっちり閉めていただこう。たとえレッスンの場に男性がいてもギルバードがついていくなら大丈夫。
「ちなみに場所はどちらです?」
「王城の一部屋よ」
王城、となれば。
アンナは瞬時に考えを巡らせ部屋のカーテンをすべて閉じて主人のドレスの紐を解く。
「髪はやっぱりアップスタイルですよね」
「ええ。お皿に入らなければハーフアップでもいいけれど、任せるわ」
「わかりました。今日はとことん大人っぽく仕上げましょう」
あのいけすかない性悪公爵令嬢なんか目じゃないくらいうちのお嬢様の方がなにもかもスゴイということを王城にいる人々に―――あわよくば王子様に知らしめるチャンス。
アンナの心にメラメラと闘志が燃え盛る。
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