仕込まれた色香(1) 風の使い魔

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仕込まれた色香(1) 風の使い魔

銀食器の音も立たない静かなテーブルに着き、ライラは向かいの席に座る二人の男の話に耳を傾けていた。 「先日『戦場の頌歌(キャロル)』を観劇しました。いやあ、冒頭からハンカチが水没しました」 「あっ、私も観ましたよ。『戦場の哀歌(エレジー)』は三回観ています。聞いた話では近々他国で『戦場の追想歌(カノン)』が上演されるとか。貴女ももうご覧になられましたか?」 「いいえ。私はいずれも、まだ.....」 世間で人気とかいう英雄と戦姫の悲恋物語。結末によって『戦場のxxx』のxxxの部分に異なる単語がつけられて別バージョンとして発表されているらしい。 他国にまで広まるのかとライラは心底げんなりして相槌を打ったが、表情に乏しい顔には一切その胸中は表れなかった。 「一押しの場面があれば教えていただけますか」 問うと男達はうーむと(うな)って、 「どのバージョンも冒頭の出逢いの場面は切なくも美しく、胸を打つこと請け合いです」 「私は最新の『頌歌(キャロル)』のラストを推します。二人が戦場で愛を誓う場面は必見です。続編では子供達の活躍が観られるとの噂です」 続編があるの? 眉間に青筋が立ちかけるのを(こら)えて料理を切る。小さな一切れを口に運び、一回噛んで飲み込んだ。 「私がヒロインのモデルだと聞かされた当初は、それはもう恥ずかしい心持ちがしたものですが、物語が大勢の方に親しまれていると知って光栄に思います」 恥じらう仕草で頬に触れると紫水晶のイヤリングがゆらゆらと揺れて輝き、淡い水色のドレスに縁取られた豊かな胸に光を落とした。斜向(はすむ)かいに座る男はライラの白い素肌を陶器のように(なめ)らかだと思いながら、酒を一口二口含んで言った。 「貴女も是非ご覧になった方がいい。もしよろしければチケットをお譲りしますよ。数枚余っておりますので」 「ありがとうございます。ですが、お気持ちだけで」 ライラは料理から目を上げて男を見、シャンパングラスに手を伸ばした。一口飲み、ほうと息をつく。 「どんな脚本なのか、演者の方はどれほど素敵なのかと想像するにつけても心ときめく想いがして、観に行かなくてはと評判を聞くたびに思いつつ........たった一つのことが気掛かりで観劇をする決心が未だつかないのです」 うら寂しい吐息を(こぼ)す姿は無防備にか弱く見えて、二人の男は無意識の内に身を乗り出す。正面に座る男が案じ顔で尋ねてくる。 「なにを気掛かりに思っていらっしゃるのです?」 「......お話しするのも恥ずかしい理由なのですが」 躊躇(ためら)いがちに胸元に手を添えてテーブルクロスに目を落とし、ラメ入りのパウダーを纏う肌に二人の視線を惹きつけた上で物憂く告げた。 「劇中の戦姫の設定は気品溢れる絶世の美女だと聞いています。劇と比べて、私なんてと卑下してしまいそうで怖いのです。お二方は観劇済みとのことですし、思い切ってお尋ねしますけれど............()()()()はいかがですか。戦姫のモデルとして、お気に召していただけますでしょうか」 *********** 「十中八九、神の息吹です」 王城の執務室のソファーに座り、オルフェウスは対面で黒い羽根の表裏を眺めるアランに進言した。 「スキル分類は不明ですが属性は確認できました。五大の力の内の一つ、"風"です」 五大の力は即ち『水・風・木・土・火』の総称であり、いずれも神殿において特別視されている能力だった。アランは対面に座るオルフェウスの顔色の悪さが気になりながらも緑の光沢を放つ黒い羽根をテーブルに置く。 「サイラスが風の力を持っているだろう。彼の神力とは違うのか」 「属性は同じですが別物です。使い魔も(カラス)ではありません」 「仮に神の息吹だったとして、デルタリーゼとギルバード以外顕現していない認識だが」 「仰る通り使い魔デルタリーゼと使い魔ギルバード以外の顕現は神殿の記録になく、召喚者として該当し得る王家血族の情報もありません。ですから―――」 会話はここで途切れてしまいアランは訝しむ目を向けるが、話の流れと言いにくそうな雰囲気から察して言った。 「ダンテ王の(おと)(だね)、とか?」 「.................可能性のひとつではありますが」 「想像つかないな」 あの堅物な王が外に隠し子など作るだろうか。 亡き王妃クラリッサは二番目の妃で、ダンテは世継ぎができないことを理由に最初の王妃とは離縁していた。側室を侍らせるのではなく正室一人を置くに留め、クラリッサの死後二十年以上男やもめを貫いている父の姿は好色とは程遠いものとして息子達の目に映っていた。 「オルフェウス、今(とし)いくつだ」 「はい?」 いきなりの問いにオルフェウスはきょとんとする。 「31歳ですが」 「結婚の予定は?」 「ありません」 「好きな女性は?」 「おりません」 「一夜の恋や火遊びをした経験は?」 「ないです。............アラン様、王に日常会話の延長で伺おうとされているのでしたら無理があるかと」 それとなく聞こうにも話題として突拍子がなさすぎると思った。 「王にはシュレーターの活動に未認可の神の息吹が関わっている疑いが強い旨をお伝えください。その上であくまで可能性のひとつとしてお伺いを立てていただければと思います。アルゴンではなく他国王家の血族が召喚者である可能性も大いにありますから」 アランはイーリアス王家とティターニア王家の系譜を(おぼろ)に思い返す。アルゴン王家と違って王子も王女もそれなりに数がいたはずだと思考を巡らせる。 「人数を考えるとそっちの線が強い気がする」 「私もそう思います。いくつか想定はあるのですが」 治療された左腕を握り、オルフェウスは声のトーンを落として言った。 「一つは三国王家で一切把握していない血族が成人の儀を受け、顕現した使い魔の能力を秘匿して生活している場合です。たとえばライラ様が蛇ではなく一般的な動物で神の息吹を召喚していたとして、その後神殿に能力の申告をしなかったとすれば我々は使い魔ギルバードが神の息吹と気がつくことはなかったでしょう」 「召喚者本人ではなく周囲の意向で秘匿するパターンもありそうだな」 アランは初めて会った日に自身に対して警戒心を露わにしていたギリアンの姿を思い出し、オルフェウスは頷いて更に声を落として言った。 「あるいは三国王家が把握しているか否かに関わらず、王家の血族が聖堂に侵入して不正に召喚を行った場合です。私個人の見解としてはこの可能性が高いように感じます」 「............まあ、できなくはないだろうが」 とはいえ簡単ではないと思った。神殿の敷地に複数建つ聖堂はいずれも毎日夜まで成人の儀に使われており、不正に儀式を行うとなると深夜帯しかタイミングがなかった。一日の終わりには必ず厳重に施錠されて朝まで解錠されないため、一般人の立ち入りは不可能だった。 「そうだとすると神官側に手引きが要る」 「はい。禁書の所在を知るのにも神官との繋がりは必要です。禁書の保管場所は大神官しか知りませんが、四人全員が一度に死亡した時に備えて引き継ぎ文書に()()を記しています。文書にも護りはかけていますが、神の息吹の力があれば取り出し可能かと思います」 左腕を握って淡々と告げる声は苦渋に溢れていた。アランは羽根を取って布に包み懐にしまった。 「俺がいいと言うまで他の神官には話すな」 「わかりました」 「今日は帰って休め。顔色が悪すぎる」 オルフェウスは(まばた)きののちに頬と額にひたひたと触れて照れ笑いを浮かべた。 「いい時の方が少ないので、問題ありません」 「寿命が縮むぞ」 「意外としぶといので大丈夫です。哀れな鴉を救うためなら前線にも立ちましょう」 鴉はなぜ羽根を残したのか。 一見して宣戦布告ともとれる行動であったが、オルフェウスは羽根に残る神力の残滓に一片の悲しい願いを垣間見て、腕に負った傷以上の痛みを胸の内に覚えていた。 「では、私はこれで。失礼いたします」 ソファーを立ち、アランに一礼をして執務室を後にする。 王城を出て中央庭園に至り、弟子の姿がないかと周囲をきょろきょろ見渡していると、 「だああ!!駄目だって!」 叫び声が上がる垣根の裏を覗き込むとカーウェインがいて、花壇の花を(むさぼ)り食べるフェリベルシアのツノを捕らえて必死に後ろに引っ張っていた。 「師匠!」 カーウェインは師に気づき振り返りながらも腰を落としてツノを引き続ける。 「怪我の治療が済んだ途端に走り出し―――わっ!」 繰り出される脚蹴りに叫んで尻もちをつき、オルフェウスは花壇を跳び越え走り寄って使い魔のツノを掴み背を撫でた。 するとフェリベルシアは青白い光を放ち始め、不満気な目を主人に向けつつも細長い光となって地面に落ちて転がった。長い杖と化した使い魔はそのままにオルフェウスはカーウェインに向き直った。 「怪我は!?」 「ふう、避けたので平気です」 オルフェウスはほっと胸を撫で下ろし、フェリベルシアが首を突っ込んでいた花壇に近づき食べられた草花を探して根本を掴んだ。折れた断面からは瞬く間に茎がするすると伸び、(つぼみ)がついて花開く。 「誤魔化せたかな」 そう言って笑い、カーウェインは杖を拾い上げて両手で持った。 「師匠、屋敷に戻りましょう」 「いや、私は神殿に...っ」 こんこんと咳が出てしまい、すかさず薬を取り出そうとする弟子を手で制する。浅く息をつき、軽い咳払いをして言った。 「大丈夫だ。神殿に行ってくる」 「リナ様にはなんて言われましたっけ?まさかこの短時間で忘れたとは、あっ、師匠!」 オルフェウスは聞こえないふりをしてそそくさと歩き出し、カーウェインは急いで師の後を追いかける。
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