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仕込まれた色香(2) 派手ってどこが?
その頃、アランは足取り重く王城の廊下を歩いていた。
ナインハルトに調査依頼をするため、懐には逆さ十字の刻まれた石と黒い羽根とを忍ばせて稽古場に向かおうとしていたのだが、頭の片隅ではライラに会いにいこうかどうしようかと悩んでいた。
石を渡されて以降、アランの胸にはライラとの逢瀬を躊躇する念が渦巻いていた。陰謀に関わっているのではと石の調査をする前から疑う心を持った己を恥じ、まともに顔を見る自信がなかった。
そうこうする間にレッスン会場の前に着いてしまい、中に入るでもなくその場に立つ。扉は薄く開けられていたが、講師の女性と思しき声が廊下に漏れて来るのみでライラの声は聞こえなかった。
扉に手を伸ばしかけて、下げる。
会うのはやめよう。
決意して廊下を歩き出そうとしたその時。
扉の隙間から白い手が突き出されたかと思えば腕を捕まれ、部屋の中へと引きずり込まれた。
『おはよう!アラン』
狼狽する目に飛び込んできたのはなにやら嬉し気なギルバードと、テーブルの横に立って挨拶を交わす男女四人の姿だった。それまで和やかに会話していた人々は王子の訪問に気づくやいなや一名を除いて深々と礼をする。
『ライラすごいんだ』
ギルバードは立ち尽くすアランの腕をくいくいと引いて興奮混じりに言った。
『野菜をはじかないし別人みたいにちゃんとしてた。表情は堅いし雰囲気もちょっと怖かったけどマリアンナより全然』
「悪かったわね、鉄仮面で」
ライラはふんとそっぽを向く。いつしかアランが贈った紫水晶のイヤリングが照明の灯りの下、白い肩の上でゆらゆらと妖艶に揺れる。
「でもなにも問題なかったわ。絢爛なお料理を前にすれば私の顔なんて霞んでしまうもの。そうでしたでしょう?」
「あっ、その、表情は全然問題なく」
男性講師の二人はたどたどしくもそれぞれ答える。
「聞き上手話し上手でつい会話にのめりこんでしまいました。お美しさにも見惚れてしまった」
「私も時間があっという間に過ぎていて驚きました。大抵長く感じるものなんですけどね」
笑顔で褒める視線は曲線を描く肢体を這う。しかしライラは気づかないふりをして言った。
「私もレッスンだと忘れていました。時計の針を恨めしく思うのはいつ以来かしら」
やりとりを聞く女性講師は満足そうにホホと笑い声を上げた。
「成人したてと言うこともあって例年の乙女は少女らしさを多分に残す方ばかりですけれど、貴女はもう立派に貴婦人でいらっしゃる。マナーも完璧で優美そのもの。場に立つだけで貴人の注目をさらうでしょう」
「そんなことは......」
謙遜して軽く首を振っておく。お世辞を含むやりとりもレッスンの範囲と思うと返答は容易かった。
「王宮には美しい方しかおりませんから、私が取り立てて人目を惹くことはきっとありません。.........もし注目されるとすれば、首に飼う蛇でしょう。触れても咬まない蛇ですから、どうか安心してご覧になってくださいませ」
首筋に指を這わせて告げると男性講師の視線が暫し向けられるのを感じた。それにも気づかないふりをして、ライラは講師陣に改めてレッスンの礼を伝えてアランとギルバードの方に向き直った。
「アラン様、御用でしょうか」
「いや、特に用事はない」
この時アランの声音が少し不機嫌に聞こえたものの、ライラはさして気に留めずにギルバードからコートを受け取った。
「稽古場にいってらっしゃい」
『うん、離宮に送ってから行くよ』
「いいわ。少し外を歩きたいの」
『......ベンチで寝ない?』
「寝ないわよ。いいから早く行きなさい」
背を押され、ギルバードはぱたぱたと部屋を走り出ていった。続いてライラもアランに軽く一礼をして王城を出た。
紅葉でも見ようかしら。
色づく木々に思い立ち、人がほとんど立ち入らない王宮裏の木立に向かって一人歩いていたのだが、
「........御用ですか?」
木立に着いてすぐに振り向き落ち葉を踏みしめて歩み寄った。レッスン会場を出てからずっとアランが話し掛けるでもなくつかず離れずの距離で着いてきていた。
「用というか話がしたい」
「なんでしょう」
「できれば、気を悪くしないでほしいんだが........」
「はあ」
いつにない歯切れの悪さ。ライラはレッスンに関する意見かと身構える。
「マナーはすべて卒なくこなしたつもりですけれど、不備がありましたか」
「不備ではないが...............そのドレスは、どうかと思う」
「えっ」
驚いてアランを見上げる。
予想だにしていなかった指摘だった。
もしかして似合わなかった?
それかちょっと太って見えたかしら。
食後だし、最近三食お肉だし。
でもアンナもギルも講師の人も褒めてくれたし、別に気にしなくていいか。
「ご指摘ありがとうございます。着こなせていないのなら私の力不足です。本番までにより研鑽しておきますね」
サクッと答えて離れようとして、しかし腕を掴んで引き留められる。
「研鑽はいい、いらない」
アランは早口に言って腕を離し、ため息をついた。ライラはよくリリアナがするようにじいっとアランの目を覗き込むが、なにを考えているのかはわからなかった。
とりあえずドレスになにかしらの問題があるのは間違いない。
ライラは踵を返し、近くにあるベンチに歩を進めながらボタンを外してコートを脱ぐ。曝け出される素肌とぴったりとしたドレスで際立つ曲線美にアランはぎょっとする。
「花とは違った趣がありますよね」
ベンチにコートを放って腰掛け、紅葉する木々に目をやるとアランが秒で追いつきコートを肩にかけようとしてくるので手をぱしっと払い退けた。
「いいです。寒くないのでお気遣いなく」
「いいから着ろ、人目につく」
「誰もいません」
「いいから!」
仕方なく羽織るがボタンは留めず、アランはライラの隣に座って苛々とした口調で言った。
「そういう格好はしないでほしい」
「なぜ」
「派手すぎるから。品性にも欠ける」
「......なんですって?」
懐疑の目でドレスを見下ろす。
淡い水色のマーメイドドレス。体のラインで魅せる装いのため装飾は一切ない。
派手ってどこが?
マリアンナだってこれくらい胸の開いたドレスを王城のパーティで着ていたじゃない。
しかも貴方は彼女に胸を押し当てられていても品性がどうとか咎めず王子スマイルを決め込んでませんでした?
「今まで着ていたドレスよりは大人向けですがれっきとした正装です。品性を損ねる装いではありませんし私にとっては欠点を隠す大事な道具のひとつです」
座ったまま身をひねって体を向ける。開いたコートの間に覗く白い肌と開いた胸元とにアランは思わず目を逸らしかけるが、
「ほら、誰も私の顔なんて見やしない」
呟く声に目を戻すと、ライラは真顔でアランを見ていた。
「私は顔面の愛想がないので、向かい合って座る人に悪印象を持たれがちです。だから他所に気が逸れるように仕向ける必要があるんです。ドレスのデザインや、首より下に」
アランは目を瞠り、ライラは体を前屈みにして足元にある赤い落ち葉に手を伸ばす。胸元が強調され紫水晶のイヤリングは妖しく光る。
「うろ覚えだったので心配でしたが、上手くできて安心しました。むしろ昔よりずっとよくできたように」
「そうか」
アランはライラの二の腕を掴み、体をぐいと引き起こす。
「要は体を使って人の気を逸らしていると」
ライラはうろんげにアランを見、向けられる怒りの眼差しに眉根を寄せる。
「ドレスもだが仕草も意図してやってるな?冗談じゃない。そんな品のない振る舞いはやめてくれ。社交界にいる人間は多種多様で表情も様々だ。そこまで愛想や笑顔に執着しなくていい」
「私はマリアンナ様の代役です。家門の名折れにならないよう、彼女に見劣りしないレベルの令嬢として国賓対応をするつもりです」
「侯爵は君とマリアンナ嬢を比較して家門の名折れだなどとは言わない。そんな人物じゃない」
「それはそうでしょうけど、そもそも常識の範囲内で色香を使ってなにが悪いのですか?品性に欠けるとお思いなのはアラン様だけで講師の方からはなにも言われておりませんし、私は自分が取り立てて派手だとは思いません」
「使い所を限ってくれ。君は色香がだだ漏れしてる。講師は君を貴婦人と言ったが、俺には"奔放な"貴婦人にしか見えない」
アランはこれまで自分が接してきた奔放な女性達と、その対極にいるはずのライラが纏う雰囲気に近しいものがあることを恐ろしく思う。
ライラは奔放な貴婦人と言われてもそれが具体的にどんな貴婦人なのか実態がわからず、色香がだだ漏れしているというのも悪いこととは思わずに怪訝な顔でアランを見ていた。
「私が好きでやっているとお思いですか?本音を言えばパーティも晩餐会も舞踏会も全部出たくありません。それでも精一杯やろうと努力しているのになぜ否定するのですか」
「努力する姿勢は否定していない。ただ服装や振る舞いを変えろと言っている」
アランは苛立つ双眸を伏せ、ライラは頬を膨らませて身をずいと近づけて、
「前からですけど私の見た目にいちいち注文つけるのやめてもらえません?不愉快です」
「.............前って?」
心当たりのない文句だった。刺青の件かと一瞬思ったもののそれは弁解済みで、男装についてもとやかく言った覚えはなかった。
ライラは不機嫌顔でアランを睨み据える。
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