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仕込まれた色香(3) ずるいキス
「髪を染めないでくれって以前仰ったでしょ?私が謎に路地を走らされた日です」
長考を経てアランは額を押さえて呻く。
今言う話か?
髪色の件でたしかにそんな話をした記憶はあったが、その際のライラは特に嫌がるそぶりもしておらずここで糾弾材料として持ち出される謂れはないと思った。
「かなり前だ」
「前とか関係ありません」
「嫌だと言ってなかったよな」
「あの時はドレスにまで口出しされる未来が来るなんて思っていませんでした。こうなるとわかっていたらもっと反発していたわ」
本当だろうか。気分で言っているだけではないかと思ったがそれを言えば火に油を注いでしまうと開きかけた口を噤んだ。
そもそも喧嘩したかったわけではなく、多分どこかで伝え方を間違えていると自身の発言を振り返り、ライラは体を正面に向けて紅葉を見上げてぶつぶつと、
「ドレスも髪も私の自由じゃない。派手に見えてもマナーに沿っていて講師の人もいいと言ってくれている以上否定しないでいただきたいわ。色香だってないよりあった方が絶対有利に―――ひぎゃっ!?」
突然抱きすくめられじたばたする。
「アラン様、ここ外っ」
「ごめん、最初の言葉を間違えてた。派手だからとか品性に欠けるからとか言ったがそうじゃない。ドレスの見た目も君の仕草もそれ自体は悪くない」
口論の前提が覆る発言にライラの頭には大量の疑問符が浮かび、アランはライラを抱きすくめたまま、
「俺の気持ち的に嫌だからそういうドレスは着ないでほしい。他の男に色香を振りまくのもやめてくれ」
「ドレスはマナーに則った正装です」
「布面積を増やしてくれ。体のラインが出るものも金輪際なしで」
「押しつけですしわがままでは」
「押しつけでわがままでも嫌なものは嫌だ」
大人げなく見えようと喧嘩のタネになる恥やちっぽけなプライドは捨ててしまおうと思った。
「俺は君を独占したい。君に惹かれて他の男が勘違いや妙な気を起こしたり危害を加えようと近づいたりするのを想像すると死にそうになる」
ライラはアランの体を押しやって拘束から逃れる。
「妙な気って王城のパーティでそのような気起きるわけないでしょう」
「場所や時間に限らずどこでも起きる。男の欲を侮るんじゃない」
「侮ってません。でもそんな話聞いたことありません」
「表沙汰にならないだけで何度か事件になっている」
酒に酔った連中が令嬢やメイドに手を出す事例は過去何件か処理しており、その多くは高額な慰謝料により示談になっていた。社交の場にいれば少なからず噂は耳に入るのだが、社交をあまりしてきていないライラが知らないのは道理と言えばそうだった。
ライラの方はアランが自分の主張を通そうと適当な話をしているのではと疑う眼差しを向けていた。
「妙な気が起きるとどうなるんです?」
「とても不快な思いをする。女性の力では抵抗するにも限界がある」
「私は神力で対抗できます」
「相手が戦士だったり複数だったら?いくら君でも太刀打ちできない」
ライラはむっとして黙りこくった。本音を言えばこのドレス自体にまったく執着はなく、別に今後着なくてもよかった。ただ、アランの都合で服を制限されるのは癪に触った。
「理解できないわ。王城のパーティや舞踏会に来る方は地位も品位もある方でしょうに私みたいな小娘相手に愚かな真似をするかしら。考えすぎだわ」
ふんと明後日の方向を見て文句を垂れる。
すると、
「だから、君は全然わかってない」
「なにを?」
「男の欲を侮るなって言っただろう」
「侮ってなんか―――っん」
唐突にキスをされ、すぐさま顔を背けて逃れる。
「外だって言ってるじゃない!」
怒って睨みつけたがアランが動じる気配はなかった。
「場所や時間に限りはない。それも言った」
「その話は今とは関係な」
再びキスをされて、抵抗できないよう体を強く押さえつけられる。
「アラン様、待っ.....んんっ.............」
口内を犯して挿し込んでくる舌の感触と熱い吐息に思考が白む。
なにを考えているの?
真っ昼間で屋外で、こんなにも軽薄な行為を見られたら戦場のなんとかとかいうあの劇に新ストーリーが追加されてしまうとライラはぐるぐる考えながら、混ざる吐息と唾液に頭が痺れてぼうっとしてくる。
ひどい人だと思う。
理不尽な要求をしてきたかと思えば身勝手な欲をぶつけてくるなんて。
でも神力を使えば拒絶はきっと容易くて、でもそれをする気にはなれなくて、この人も私が受け入れるとわかってやってる。
アラン様はずるい。
言葉は声にならず吐息として漏れる。体に力が入らずしなだれ掛かると愛おしく抱きしめられる。
「好きだ」
ずるい。
いつだってそう。
品性がどうとか言うくせに王族としても令嬢としてもはしたない行いに加担させる。時間も場所も気にせず自分は余裕の顔をして、私ばっかりひやひやする。
それなのに、どきどきして気持ちがよくて抗えない。
ずるい。
ひどい。
赤紫色の瞳から睨む光が消えて潤み出す様に、アランはキスをやめて体を離した。頬に触れて顔を上向かせると、普段冷たく取り澄まして見える美貌は真っ赤に紅潮し、艶々と濡れる唇からは浅く荒い呼吸が漏れ出ていた。唇を指で優しくなぞりながらじっくりと顔を眺める。
会うのはやめようなどとどうして思っていたんだろう。
会わずにも触れずにもいられないのに。
「好きだ。.........君は?」
普段明かさない本心も今なら聞けるかと期待する。
自分への愛情や関心がたしかにあると示してほしい。
しかしアランの問いに答えは返らず、ライラは上気した頬と潤む瞳で荒い呼吸を繰り返していた。見ればコートから覗く肩や胸元には汗が薄く浮かんでおり、アランはため息ののちに笑って言った。
「嫌なら言ってくれ」
ライラはアランの腕に体を預けて目をぎゅっと閉じ、乱れる呼吸を整える。「嫌なら言え」はキスをする前に確認すべきだろうと思い、体を起こして目を開けた。獅子を思わせる金の瞳と視線が合い、そこに自分だけが映されているのを見て安堵を覚える。
「........嫌もなにもないので、お好きにどうぞ」
いつも嫌と言う前に仕掛けられて無力化される。
だからもう好きにすればいいと思った。
すると答えたそばからキスをされ、羽織るコートの下に手が入ってきて汗の滲む背を撫でた。くすぐったくて身を縮めると手は背を離れて首筋の方へと移動し、ほっとして体の力を抜いたのも束の間、
「.....?」
アランの手が首筋から鎖骨をなぞり、徐々に下に降りて行くのを不穏に思った。指先がドレスの胸元に到達し、さすがにそこで止まるだろうと思いきや、
「っ!?」
予想は外れ、鼓動で大きく高鳴る胸に手の平が掛かりふくらみを包み込んだ。思わずアランの腕を掴むがびくともせず、動揺するライラをよそに胸を包む手に力が籠もる。
あっ
上がる声はキスで塞がれて出なかった。胸への愛撫は特段なんの快感も齎さなかったが、背に触れるのと比べて遥かに性的な接触だということぐらいはさすがにわかり、キスと相まって体温が急上昇する感覚を覚えた。
「...ゃ........あっ...........や、んっ............ああっ..........」
愛撫に伴って体が震え、重なる唇の合間からは声が零れる。それはひどくふしだらに耳に届き、聞くのも聞かせるのも耐えられなくて声を抑えるがついに我慢の限界が来る。
「ぁ.........んっ.....やっ、もっ...もうっ、むりっ!」
必死に訴えるとアランはぱっと体を離し、コートを羽織らせ直してからライラを抱きしめて深呼吸を繰り返した。
「は......外でよかった」
飄々とした言葉にライラはアランの腕の中でぱちぱちと瞬きをする。
よかった?
外で?
「―――っよくない!よくないよくないよくない!!」
アランの胸にグリグリ頭を押しつけ叫ぶがアランは何食わぬ顔で、
「お好きにどうぞって君が」
「だからって信じられない!変態、破廉恥、色情魔!!」
「男の欲を侮るなと言ったろ。こらやめろって、髪が乱れる」
グリグリと攻撃する頭を押さえて止めさせる。
「その気になれば場所も時間も立場も関係ない。君が意識してやってる装いや仕草なんてどれも煽情的でつい手を出したくなる」
「.........じゃあ、つまり、危険性をわからせるために今、むっ、胸を触る必要があったと?」
「いや、今のはそういうんじゃない。好きにしていいと言われて目の前にあったから」
色香を駆使する以上、最低限の危機意識は事前に持っておくべきだろうという思いはあったが今更言う必要もないと思った。ライラは唖然として、アランは手の平を眺めて悪びれずに呟いた。
「初めて会った時から大きいなとは思っていたが、体は細いのに本当にすごいと思う」
「あ......あなた、いっ、いっ、今まで人のどこ見て―――」
ライラはコートの合わせ目を掴んで閉じ、ベンチの端ギリギリに下がって距離をとった。
「最低!目の前にあるからってそんな出来心でっ」
「言っとくが君にしか触らない。君から拒否をされれば話は別だが」
ライラはコートをぎゅっと握りしめる。
拒否したら別の女性に触ると言うの?
あんな風に?
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