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仕込まれた色香(4) 紅葉より紅く
「結婚後なら妻としての役割を果たしますけどっ!」
とげとげしく言って体ごと視線を逸らした。気分を落ち着かせようと、風に乗ってそよそよ落ちる紅い葉を目で追いかける。
「自制心はないんですか」
「ある」
信用ならない。
「私には自衛のためにもこのようなドレスは着るなと」
「俺が嫌だから着るな。俺の前でだけ着るなら全然構わない」
勝手な人。
ライラは諦めの息をついた。
もういい。
このドレスは二度と、頼まれたって着てやらない。
「イブニングドレス、どのようなデザインなら納得されますか」
ベンチを立ってコートのボタンを留めて尋ねると、アランは暫く思案して言った。
「着た君を見てみないことには判断できないな。今度の休みに一緒に買いに行こう」
「......はい」
そういえば二人きりで出かけようと言われていたっけと少し前にした約束を思い返しながら、ベンチを離れて紅葉する木の下に立つ。火照って汗ばむ体を冷まさんと木立の空気を大きく吸い込み、舞い落ちてくる葉を掴んで眺め、地面に落ちている葉も形が良いものを見繕って集めていく。
黙って集めつつ物思いに耽る。
なにもかも初めての私と違って、アラン様は全部手慣れている。優しく触れるのもキスも更に親密なことも、きっとたくさん経験してきているに違いない。
最後に他の女性に触れたのはいつ?
私にするのと同じように触って、キスをしたのかしら。
気づけば手は止まっていた。胸の奥底に沸き起こる嫉妬とは違う感情が一体なんなのかわからず、ただ漠然と自分が落ち込んでいるような気がして物思いを中断した。一際色濃く大きな葉を探してみようと、降り積もる鮮烈な色彩に集中し始めた。
アランは落ち葉集めに熱中する横顔をベンチに座って眺めていた。キスや愛撫に応える大人の表情からは一転、落ちてくる葉を腕を伸ばして取ったり地面の葉をひっくり返して調べたりする様は子供のようにあどけなく見えた。頭のてっぺんに葉が一枚乗っていることには気づかず、黙々と葉を集める姿が可愛くてつい笑う。
意地っ張りで口達者で天邪鬼で。
一筋縄ではいかない君の、意外にも豊かな表情を知るのは自分だけでいい。
色香も人を魅了するくらいなら捨てていい。
金の瞳は憂いを帯びる。
ライラが向ける蠱惑的な視線を思い出し、触れていた手を握りしめて嘆息する。
少しの時間が過ぎた頃、落ち葉を踏み分ける音と人の話し声が木立の中に響いてきた。やってきたのは数名の男性貴族で、彼らはまずライラに目を留めた後、奥にいるアランに気がついて頭を下げた。アランはベンチを立ち、貴族らには笑みを返してライラのそばに歩み寄った。頭や肩に乗った葉を摘み取ってやりながら、
「そろそろ行こうか......随分集めたな」
両手に落ち葉の束を握っているのを見て思わず笑い、ライラはコートのポケットに葉を入れて手をぱたぱたと払った。
「押し葉にしてしおりを作るんです」
「趣味か?」
「いいえ、気が向いた時に作るくらいで。上手くできたら差し上げます」
「嬉しい。楽しみにしている」
先程までの睦み合いはなかったかのように、しかし傍目から見れば充分に仲睦まじい距離感で取り留めのない話をして離宮に向かう。
「そうだ、レッスンでは晩餐会用の食事が出たんだろう?味はどうだった?」
「ええと.......コックの方には言わないでいただきたいのですが」
ライラは周囲を見回して声を潜める。どうやら口に合わなかったらしいとアランは一瞬思ったが、続く言葉に驚くことになる。
「基本丸呑みなので味はわからないんです。一生懸命作ってくださった方に失礼なので内緒にしてください」
「丸呑みって、嫌いなものしか出なかったのか」
ライラは首を大きく横に振る。
「咀嚼は見た目の品位を損なうと教わりました。なるべく小さく切って、噛むとしても二回までで飲み込みなさいと」
「どんな教えだよ.....。男女ともにそんなマナーはない」
先程の振る舞いといい、アン・ブロシエールはライラをどうしたかったんだ。
由緒ある女学園として知られていても、話を聞く限りどう考えても模範的な令嬢教育からは逸脱している。
考え込むアランを横目にライラはさらりと、
「普通のマナーでないのは知っています。でも私は他の令嬢と違ってにこやかに食べることができなかったので仕方ないです。慣れましたし苦にも思いません」
昔はかなりからかわれた気がする。
仏頂面で無心に食べて飢えているみたいだとか、お腹がすいているなら食べられるでしょとサラダにいたずらを―――。
「ライラ」
「っ!はい」
気がつけば離宮の前にいてアランに顔を覗き込まれていた。
「どうした、ぼーっとして。眠いのか」
「いいえ、なんでもありません」
その時、離宮の玄関扉がバタンと開いてアンナがバタバタと大股で走り出てきた。
「ライラ様!お帰りがだいぶ遅いので心配し―――あっ、アラン王子」
アンナは大慌てでお辞儀をする。アランとライラとを交互に眺めて、ライラのポケットから覗く落ち葉を見て微笑む。
「ご一緒だったのですね。でしたらよかったです」
「心配かけたわね。アラン様、離宮に寄って行きますか」
恐らく仕事もあるし断られるだろうと思って尋ねると、案の定。
「今日はやめておく。また日を改めて会いにくる」
「わかりました」
アンナと二人、去り行く背中を見送る。
「.....はあ」
アランの姿が見えなくなったところで、アンナは地面に視線を落として大きく息をついた。ライラも足元を見てアンナのため息の理由を察する。
「......今日はハリガネね」
離宮は木々に囲まれた場所に建っており、秋の木枯らしに運ばれて毎日木の枝や枯れ葉、時にはハンガーや謎の光る部品といったよくわからないものまで飛んできていた。今二人の足元には枯れた葉っぱにまじってハリガネが数本落ちていた。
「んもう。ライラ様、先に中に入っていてくださいませ。危ないので掃除しておきます」
アンナはフンフンと鼻息荒くほうきをとり、ライラは小さく笑って離宮に入った。
「まったく、落ち葉だけ飛んできなさい」
地面に向かってぶつくさ呟き、アンナは怒涛の勢いでほうきを振るう。枯れ葉を集めてちりとりに入れ、離れた木立に撒きに行こうと持ち上げた時。
ぱきり、と小枝を踏む音がして誰かが背後に立つ気配がした。
驚いて振り向くとそこには長い剣を背負う長身の青年がいて、じっとアンナに目を向けていた。
「あっ、その節は」
以前主人の目覚めを知らせに稽古場に走った際、ギルバードの隣にいた青年だと覚えていたため挨拶をする。
「主人になにか御用でしょうか?ギルバードでしたら今日は稽古場にいるかと思いますが」
青年は切れ長の双眸を細めて歩み寄る。
「私を覚えていないのか」
「覚えています。先日稽古場でお会いしましたよね」
「それより前だ」
「はい?」
アンナは目を白黒させた。
王宮ですれ違った?
それとも王都への買い出し?
もっと前なら孤児院で面倒を見ていた坊やの内の一人だったり?
青年は長身を屈めてアンナと目線を合わせる。
「ゼクソニアン=バロウズ。覚えは?」
「ゼクソニアン......」
聞いたことがあるような、ないような。
アンナは困り果てて青年を見るが、穴が空く程見つめても目の前の青年は記憶の誰とも合致しなかった。
「似たどなたかと間違われておいででしょう。申し訳ありません、掃除の途中ですので失礼いたします」
一礼をしてちりとりとほうきに手を伸ばす。
するとゼクソニアンが行かせまいと腕を伸ばし手を取ろうとしてくるのでアンナは仰天して手を引っ込め後ろに隠した。
「なっ、なになさって」
「私はすぐに気がついた」
「......すみません、いつお会いしましたっけ」
依然困惑していると、ゼクソニアンは暫しの沈黙ののちに口を開いた。
「アンナローズ、今まで何処にいた。ベルは.....ブルーベルは一緒にはいないのか」
瞬間、アンナの顔からすべての表情が消え失せた。
ゼクソニアンは無言で立つアンナに視線を落とし、アンナは封じていた過去を掘り起こして記憶を辿りその青年―――昔、妹とよく遊んでいた男児を思い出した。
「もしかして、ニーア?」
「ああ。思い出してくれて嬉しい」
ゼクソニアンは微笑み、アンナは笑って手を打ち合わせた。
「ニーア!ごめんなさい、すっかり大人になって格好よくなって.....全然気がつかなかった」
それから表情を暗くして、哀しい吐息と共に告げた。
「ブルーベルは死んでしまったわ。お知らせができなくてごめんなさい。あの子を覚えていてくれてありがとう」
ゼクソニアンは目を見開く。
「死んだ?何故」
「病にかかったの。まだ10歳だった」
アンナはちりとりとほうきを離宮の門の端に立てかけて、言葉を失くすゼクソニアンに背を向けて言った。
「ヘイワードは没落して、ブルーベルと一緒にアンナローズも死にました。今いるのはメイドのアンナのみです。二人のことはどうかもう忘れてやってください」
落ち葉は後で捨てに行こう。
アンナは一度離宮に戻ろうと門をくぐりかけたが、後ろから強く抱きしめる腕に拘束されて動けなくなった。
「忘れるものか。貴女方の足取りを追うために戦士になったんだ」
語る声は掠れていた。
「一日だって忘れたことはない。ずっと探していた。会いたいと思っていた」
強い抱擁にアンナは困って佇む。
そういえば子供の時もこうして纏わりついてくる甘えん坊だった。歳の割に小さい子だったのに、なにを食べたらこんなノッポに育つんだろう。
「............えっ、え、ええっ??」
ライラは菫のシロップを食べながら事の次第を眺めていたが、目の前で繰り広げられる事態に頬を押さえて立ち尽くした。
アンナが熱烈アプローチを受けている。
しかも相手は王宮の戦士。
「もう、なんでこういう時に限っていないのよ!」
自分が追い立てて稽古場に行かせたことも忘れてギルバードに恨み節を呟き、ライラは爛々と光る瞳でカーテンの隙間からアンナと謎の青年とを凝視していた。
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