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メガロス騒動(2)
『こんにちは。聞き覚えのある声だと思ったら、奇遇ですね』
「どうも。ええほんとに......神官の方も来るんですね」
ルーベウスの言葉に青年は微笑を返す。
『私はまだ見習いです。野暮用でここに来ましたがまさか知り合いに会えるなんて思ってもみませんでした』
そう言って三人を見、彼はギルバードに目を留めた。
『ティターニアの神官の方でいらっしゃいますか』
『ううん』
この瞬間、ギルバードは見知らぬ青年を見て昔から知っているような奇妙な感覚を覚えていた。返答に困ってあたふたしていると青年は頬をかいて言った。
『すみません、急に。私はカーウェインと申しまして、オルフェウス卿の弟子の一人です。ティターニアの神官に似ていらっしゃると思いましたが、違ったようですね』
オルフェウスの弟子。となれば自分についていろいろと聞いているのだろうかとギルバードは考えたものの、カーウェインの表情からは判断できなかった。
「俺らのダチです」
ルーベウスはゼクソニアンと一瞬目を合わせて言った。かつてギルバードが神殿に断罪されかけたと知っているため、あまり関わらせたくないと思った。
「市場に来た経験がないと言うので、買い物ついでに案内しているんです」
『なるほど。観光にはうってつけですね』
どうもギルバードのことをティターニア人の訪問者と勘違いしているらしいが否定はせず世間話に興じていると、
『あ、こちらで買い物されますか?割引券をもらったのですが、私は使わないのでもし良かったらどうぞ』
「いいんですか?」
『ええ、お譲りします』
カーウェインはルーベウスに割引券を渡し、一礼して足早に店を出ていった。
「.....珍しいな」
閉ざされた扉に目を向けつつゼクソニアンは静かに呟く。
オルフェウス卿と共にいる彼が仕事以外で戦士に話し掛ける場面など今まであっただろうか。
「な。まあ、割引券の渡し先にちょうどいいと思ったんだろきっと..........てかすごいなこれ。彼なに買ったんだ」
ルーベウスは割引券をバラバラと捲って感嘆する。渡された券は一枚ではなく冊子として綴られており、少なくとも三十枚は綴じられていた。これだけの券をもらうには相当高価な品を買う必要があったが、神官見習いが個人で買うとは思えないため彼の師の指示で買い物をしていたに違いないと三人は結論づけた。
暫くしてルーベウスは歯車と割引券とをレジに持って行き、手早く会計を済ませて戻ってきたのだが、
「お待たせ......うう」
腹をさすったかと思うと顔を顰め、ギルバードは慌ててルーベウスの顔を覗き込んだ。
『ど、どうしたの?お腹痛い?』
「......うう、腹減った。なんか食いに行こうぜ」
餓死しそうと腹をさするのを見てゼクソニアンは呆れ顔をし、ギルバードはほっとして笑った。
店を出て元来た方向に戻りがてら、手頃な屋台を見つけて入ることにする。
ランプがぶら下がる低いテントを身を屈めてくぐり、ギルバードはルーベウスとゼクソニアンに向かい合って席に座った。
「ギルはなに食う?」
『俺は食べない。もしミネラルウォーター的なのがあればそれでいいや』
「お、おう」
ウェイターを呼んで注文を終えた後、ルーベウスは周りを物珍し気に見ているギルバードに向かってこわごわと尋ねた。
「気になってたんだけどさ、いつ飯食ってるんだ?俺、お前が水を飲むとこすら一回も見たことないんだけど......」
稽古場で昼休憩を挟んでもギルバードが食事をとりに行く気配はなく、水分補給もしていなかった。差し入れを渡されても断るか近くにいる戦士にあげてしまい、なにかを口にするそぶりを見せなかった。
『基本は月に―――あっ』
答えようとした時にウェイトレスが飲み物を持ってやってきて、ゼクソニアンにホットティーを、ルーベウスにはカフェラテを出し、ギルバードの前にもグラスとミネラルウォーターの瓶を置いた。瓶は金属の栓で封されており、ウェイトレスが危なかっしい手つきで栓抜きを使って開けようとするのを見てギルバードは手を軽く押さえて止めさせる。
『いいよ。自分でやる』
目の前での流血沙汰は嫌だと思った。
「あっ、でっ、でも」
『いいよ。危ないから』
栓抜きをひょいと取り上げて栓を外す。恐縮して下を向くウェイトレスに笑い掛けると、娘は赤い顔を伏せたまま瓶の水をグラスに注ぎ、お辞儀をして厨房へと下がって行った。ギルバードはグラスの水面を見つめて、言い途中だった言葉を続けた。
『食事は基本月に二回で、水は週二回くらい飲むようにしてる』
「................嘘だよな?」
ルーベウスとゼクソニアンの驚く顔を前に、しかしギルバードは真面目な顔で首を振った。
『嘘じゃないよ。蛇は省エネ生物なんだ』
「......いつもなに食ってるんだ」
『肉と魚。最近は魚が多め』
「人間の飯で食えるメニューは?」
『味ついてたり加熱済みの料理は食べられない。生の海鮮なら食べられる』
「海鮮って例えば?」
『魚の身のスライスに、イカとタコも平気。でも海鮮は大抵調理されてるから、人間と同じ食事はできないって言い切っちゃっていいのかも』
そう答えてグラスの水を一口飲んだ。初めて見せるその仕草も今しがたウェイトレスにした対応もどれを取っても人間そのものにしか見えず、ルーベウスとゼクソニアンは信じられない思いを胸にギルバードを眺めていた。
「月に二度の食事は普通なのか」
ゼクソニアンの問いにギルバードはグラスをコトリと置いて頷いた。
『うん。一度にたくさん食べれば月一でもいい。ただ満腹になると消化にエネルギーを取られて動けなくなるから二回に分けてる。一応水さえあれば食事は暫くとらなくても生きていける』
「水だけで最長どの程度断食できる」
『半年かな。試してないけど』
体の作りが相当違うようだとゼクソニアンは理解して、ルーベウスは青ざめる顔を押さえて指の隙間に呟く。
「水で半年って最早仙人かサボテンだろ......俺なんて食後二時間で腹減るのに」
「ルビー、お前は食べすぎだ」
「人より多少食うだけじゃんか。それに運動したら腹が減るのは当たり前で.........お、来た来た」
ホットサンドが乗った平皿が三枚テーブル中央に並べられ、ルーベウスは早速手を伸ばして食べ始めた。ゼクソニアンはというとホットティーを飲むだけで一向に手をつけようとはせず、冷ましているのかと小首を傾げて見ているとボソッと、
「全部ルビーの分だ。私は三食以外口にしない」
『......えっ』
ギルバードは瞬きをして、もりもり食べるルーベウスと消えていくホットサンドを見比べる。ルーベウスは旺盛に食べつつぶつくさと、
「ったく、三食ぽっちしか食わないくせになんでそんなデカいんだよ。昔は俺よりチビだったのに」
「お前は燃費が悪すぎる」
「うるせい」
言い合いながらもホットサンドをむしゃむしゃとやる。
ルーベウスは貴族だったはず。
ギルバードは心の内で呟いて、食べ方も態度も言葉遣いもおよそ貴族に見えない様子を不思議に思った。
『やっぱり、そういう食事もするんだね』
貴族っぽくないとは言えずに婉曲した問いかけをするとルーベウスは食べる手を止めてギルバードを見た。
「そういう食事って?」
『ナイフとフォークを使わない食事。ギリアンも侯爵なのに手でサンドイッチを食べるんだ』
ああ、とルーベウスはギルバードの疑問を察して言った。
「貴族でも戦士は皆こうだ。摂れる時に適当に栄養を補給する。身分差もなくて"一律戦士"だから、こういう大衆向けの屋台も普通に使う」
『本当に身分差がないの?』
話には聞いていたが正直疑心暗鬼だった。
稽古場に集うギャラリーの令嬢達は常に身分毎にわかれて観覧しており、公爵家から順に前列に座っていた。戦士に話しかける際にも身分の順でと決まっているらしく、貴族社会における身分制度は厳格なのだと見て知っているからこそ戦士の一律戦士という掟が真実かどうか疑わしく思っていた。
ルーベウスは二皿目を引き寄せ笑って答える。
「本当だって。家に固執するやつはアルゴンの戦士の資格を貰えない。俺とゼクスも親友同士だけど家格は違うぞ」
『えっ、そうなの?』
「俺は侯爵家、ゼクスは男爵家」
「男爵家だが次男だ。爵位は兄が継承する」
ゼクソニアンは茶を飲んでさらりと答え、ギルバードもなんとなくグラスを持ち、飲むでもなく水を揺らした。
『そうなんだ.............あ、ミカエルは?』
「平民の出だ。親兄弟はないと聞く」
「ああ見えてあいつはすごいんだぞ」
ルーベウスは矢庭に体を前のめりにして言った。
「ヴァルギュンターには校長推薦で入学してきた。学費全額免除の特待生だ」
語る目は輝きを帯びており、このような目をいつしかどこかで見た気がするとギルバードは記憶を辿り、その間もルーベウスは熱弁を奮い続ける。
「校長推薦は有名な戦士の子供でも滅多にもらえない。だからどんな化け物が来るかと思ってたら人畜無害なのんびり屋でさ。でもあいつは誰より努力家で剣技は無駄がなくてめちゃくちゃ綺麗で、一番人数の多い片手剣部門も首席で卒業してるんだ」
『片手剣部門は全部で何人いたの?』
「約500人。試験は実技と筆記があってミカは両方トップだった」
ギルバードは目を瞠ってミカエルの姿を思い浮かべる。この頃の彼は弓の練習に集中しており、たまに剣をやっても遊び混じりで真剣さは見受けられなかった。
『今の彼を見てるとそんな感じしないんだけど...』
「まあなー......。職務も探知メインだしな」
はあ、とルーベウスは肩を落とした。残念な気持ちをありありと瞳に滲ませる姿を見て、ギルバードは先程感じた既視感の正体に気がついた。
アランやナインがギリアンについて話す時の目と同じなんだ。
『ちなみに二人の成績はどうだったの?』
謎がとけてすっきりした気分のまま不躾にも尋ねたが、ルーベウスはあっさり答えた。
「俺は両手剣で首席、ゼクスは太刀の首席」
『.........ミカエルもだけど、二人だってすごいじゃない』
ただの三人組ではなかったとわかりギルバードは憧憬の眼差しを向け、しかしゼクソニアンは自嘲する笑みを浮かべる。
「元は片手剣専攻だった」
ルーベウスも同様に笑い、ホットサンドを飲み下す。
「あいつが首席をとるってわかってたから俺達は上を狙えそうな部門に移った。妥協したんだ。自慢する気にもならない」
『自慢していいと思うけどな』
三人揃って首席となり戦士として同じ場所に立つのは並の努力では叶わないと思った。また、三人の関係性を少し羨ましいなとも。
空の皿を退け、ルーベウスは三皿目のホットサンドに手を伸ばす。
「首席と言えばだけど、知ってるか?アラン王子は王族初のアルゴンの戦士で、片手剣部門も首席で卒業してるってハナシ」
『ん?えっ?』
目をぱちぱちとしてルーベウスを見る。
そんな話これまで聞いた記憶がなかった。
『知らない』
「じゃあ神力のトレーニングについては?」
『知らないよ。アランは稽古の話はしないもの』
「そっか。..............やっぱ、話してないんだな」
ルーベウスは表情を翳らせてため息をつく。
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