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メガロス騒動(8)
「うぐっ......ごあっ..........」
遠のく意識と頭痛に男は転がり四肢を痙攣させていたが、すぐに大人しくなった。ゼクソニアンは男の傷と出血具合を注視して、掴む手はそのままに暫しの間静止していた。
ギルバードはゼクソニアンの元に走り、隣に屈んで様子を伺う。戦闘は終わり人質も無事助けられたというのに彼の横顔はなぜか酷く怒って見えて、気軽に声を掛けるのは躊躇われた。そのため話し掛けずに男の顔を眺めていると、ゼクソニアンはやっと手を離してギルバードに向き直った。
「すまない」
悔やむ顔で頭を下げ、ギルバードは驚いてゼクソニアンの袖を引っ張る。
『なにが?謝られるようなことされてないよ』
「子供の身代わりにさせた。戦士ではなく民間人を人質にさせるのは禁じ手なんだ」
『............なんだ、そんなの俺には関係ないよ。民間人でも人質でもない。蛇で使い魔なんだから』
でしょ?と言ってニッと笑うとゼクソニアンは切れ長の双眸を瞠って見返してきて、しかしたちまち表情を曇らせてギルバードの首筋を両手で挟んだ。
『な、なにすんの』
「傷がないか見る」
『なんともなってないよ』
首元を指で擦って答えたが、ゼクソニアンは有無を言わさず上向かせて傷の確認をし始めた。ぱっと見に映る外傷こそなかったものの、鎌を押し当てられていた箇所は僅かに赤みを帯びていた。
「............良かった、傷はない。鎌の跡は時間経過で消えるだろう」
安堵の声で言いながら後ろを向かせる。白い装束の上衣の裾を引き出して捲り、背中を眺めた。
『今度はなに?』
「痛む部分があれば教えてほしい」
言った側から背骨に沿って押してくるのでギルバードはヒイと叫び飛び上がった。
『どこも痛くなっギャッ!』
「此処か」
『っ...あはっ、あはは......だめっ、くっ、くすぐったい!』
ケラケラと笑って体をよじり、ゼクソニアンは一通りの確認を終えて立ち上がった。地面に落ちていた外套を拾って埃を払い、ギルバードは受け取って羽織りながら地に倒れる男達に視線を落とした。
『殺さないの?』
「緊急時以外殺さない」
今しがた手を下した男については早々に輸血しないと死ぬ、というのは敢えて言わずとも良いと思った。
「殺してしまうと聴取ができなくなる。裁きは尋問の後に下される」
『そっか。だから手加減して斬ってたんだ』
大きな太刀でバッサリ爽快にやるかと思えばちょっとした引っ掻き傷をつけただけ。群衆への配慮でそうしたのかと思っていたが全員生かして捕らえるためと知って納得しつつ、得物の割に優しすぎる斬撃は見ていて少し物足りなかった。
ギルバードの残念がる口調と表情からそれを察して、ゼクソニアンは放っていた太刀を拾い汚れを拭った。
「あの程度の斬撃に留めないと神力を使う余地がない。短刀や脇差でも事足りるが惰性で大太刀を使っている」
軽く傷つけるという用途であれば、わざわざ殺傷能力が高く重量もある武器を使用する必要はなかった。むしろ使いづらいとさえ感じていたが、長年研鑽してきた武器を捨てるのは自身の努力を無に帰すような、もっと言えば自身のアイデンティティを喪失するような侘しい心持ちがして今日まで太刀を背負い続けていた。
ギルバードは力なく横たわる男を見る。
あれほど居丈高だったのに、今や虫の息で血溜まりに沈んでいる。
『ゼクソニアンの神力って健康促進だっけ?』
「血流促進だ。力を使えば軽い傷からでも全ての血を抜き取れる。.........私の神力について、ルビーに何か言われたか」
『うん、少しだけ。美容サロン経営に向いてるって。スキンシップとか、交流ができる力だって言ってた』
ゼクソニアンの神力は血の巡りに作用するため、肩こりや冷え性の改善、むくみとりに使えるんだとルーベウスは語っていた。サロンを開けば美容を追求する女性達の需要が見込めるだろうし、施術を通してスキンシップやコミュニケーションが図れる点でも便利な能力だと聞かされていた。
「あいつ......」
語るギルバードの純な瞳を前に、ゼクソニアンは十字路の先にいるであろう友に恨みがましい目を向けた。ルーベウスが言うサロン経営や神力を使っての交流はどう考えても下心ありきとしか思えなかったが、ギルバードが気づいていないのは幸いだった。
その時、黒い影が人混みを縫い十字路に飛び出してきた。
続いて衛兵と共にルーベウスが猛然と駆けてきて、地に倒れる三人の男を見た後でゼクソニアンとギルバードの腕をバシッと叩いて停止した。
「お疲れ!二人とも怪我してないか?..................ん?ゼクス?目つき悪いぞ」
「............別に」
後程詰めてやろうと胸に決める。
「怪我はないがギルを戦闘に巻き込んだ」
『違うよ。巻き込まれに行ったんだよ』
互いに怪我がないことを確認し、戦闘の経緯を大まかに伝え合った。そうして一息ついた頃合いを見てルーベウスはとある話を切り出した。
「ゼクス、ハダリのじいさんが怪我をした。今詰所で治療中だ」
えっ、とゼクソニアンは目を見開く。
「程度は」
「下腹部を刺されてる。けど多分上手く避けたんだ。致命傷にはなってない。なんでも客引きの女性に乱暴しようとした男二人をカシラの前で射殺して、報復で刺されたらしい。じいさんからゼクス宛てに伝言をもらってる」
「何て」
「傷より腰が痛い、ってさ」
はあ、とゼクソニアンは大きく息を吐き、力なく座り込んだ。ニーアがやってきて主人の膝に顎を乗せてゴロゴロと喉を鳴らし、ギルバードはルーベウスとゼクソニアンを交互に見て、小声でルーベウスに話し掛けた。
『知り合いが怪我したの?』
「ああ。弓屋の店主だ」
弓屋と聞いてピンとくる。しかし腰を押さえてよぼよぼと歩く姿を思うにつけても、弓で二人を倒せる程の力があるとは俄に信じられなかった。
『もしかして、あのお店の人?』
「そうだ」
ゼクソニアンは肩を落として言った。普段は堅い口調や長身によって年嵩に思われがちだが、今の彼は年相応に二十歳の青年に見えていた。
「あれでも元戦士だ。戦士を辞めた後はバロウズ家の警備として長年働いていた」
身体の衰えを理由に辞して弓屋を営んでいたが、弓の腕そのものは衰えていなかったらしい。
「いい歳で腰も痛めてはいるが、一般人とは鍛え方が違う。簡単には死なないだろう」
『............辞めても、戦士はずっと戦士なんだね』
多勢に無勢でも立ち向かう戦士の誇りを見た気がして、急に格好よく思えてきた。
ゼクソニアンは頷いて、ニーアの顎下をカリカリとやって立ち上がった。
「報告を済ませ次第、詰所に行く」
「腹の治療だし時間かかるぞ。終わるのを待つ間どこかで少し休憩しようぜ」
ルーベウスはぽんと腹を叩く。また腹が減ったのかとギルバードは勘ぐりつつ、
『俺、機械人形の店に戻って弓矢取ってくる。預けてきちゃったから。ついでにウサギも買ってくるよ』
「あ!忘れてた」
戦闘の前に機械人形を見ていたことをすっかり忘れていた。ルーベウスはそれまで険しかった表情を緩めて頭をかく。
「一人で行けるか?」
『うん、もう慣れた』
ギルバードは二人を見てニッと笑い、くるりと背を向けて歩き出した。近づいてきた群衆に声を掛けられても歩は止めず微笑んで軽く受け流す。この短時間で習得したと見られる人あしらいにルーベウスは舌を巻き、ゼクソニアンも感心して眺めていた。
ギルバードは機械人形の店を目指してまっすぐ進む。途中、後方で血の臭いがして目を向けると麻袋を担いだ衛兵が二人走り去って行った。漂う臭気に運ばれているのは死体だと悟り、袋の中身に思いを馳せた。
敵が死んだ時、自分はどんな気持ちになるんだろう。
嬉しい?可哀想?
それとも、無?
怪我人と接する機会はあれど、死人は一度として見たことがなかった。だから今日偶然訪れた機会を前に、叶うのであれば人の生命が失われる瞬間を見てみたいと不謹慎ながらも思ってしまった。今後来るかもしれない誰かを殺める日に備えて、その時訪れる感情の種類を予め知っておきたかった。
自分の心の準備のために誰かの死を願うだなんて。
誰にも、ライラにだって言えないや。
複雑な胸中は作り笑いの下に隠して、人で賑わう明るい通りをてくてくと歩いて行った。
**********************
「大変だったみたいだけれど、楽しかったのね」
『うん!すごく楽しかった。......ねえ、もう充分拭けてるよ』
「まだ出ないで。本当に傷はない?」
『ないよ。ウロコ一枚怪我してない』
「鼻に砂は詰まってない?」
『詰まってない』
「ぷしゅってやって」
『んー』
ぷしゅ、と鼻から音を出してみせるとライラは漸くタオルを開いてギルバードをベッドに降ろした。
時刻は夜。
帰宮したギルバードはライラによって薬湯に浸からされ、丹念に拭き上げられていた。
ライラはベッドに腰掛けてタオルを頭上に放り投げる。落ちてきたところを掴まえてまた放る。それを繰り返しつつ、隣でとぐろを巻くギルバードに話し掛ける。
「若い戦士達が遊び人の集まりだったなんて。思ってもいなかったわ」
『全員がそうってわけじゃないし、理由は早年戦士が死にやすいからで......。早く身を固める人もいるよ』
「わかってるわよ。お父様は19歳で結婚しているもの。でも大体の戦士は30過ぎまで交際止まりで、しかもそれが暗黙のルールなんでしょう?」
鼻息荒くタオルを放る。
「お互い20歳で出逢ったとして、そこから10年以上待てると思う?結婚を前提にしたお付き合いができないなら、遊びも同然よ」
『令嬢目線だとそうかもだけどさ......』
戦士の結婚観になぜライラが憤るのか。理由はわかっていたものの、ジャブ程度の発言を一発挟むことにする。
『ボクが思うにアランは例外だよ』
「どうかしら。いろいろ慣れていらっしゃるし遊び人なのはむしろ納得だわ」
『これまでどうだったかは知らないよ。でもライラについては遊びじゃないよ。遊びなんかで手を出せばもれなくギリアンに火炙りにされるもの。王様だってアランに「妃を娶れ」って言ってたんだし、早年戦士の不文律はアランには関係ないと思う』
「......まあ、それは別になんだっていいわ。結婚する気があったとしたって、お父様に勝つまでは果たされない約束だもの」
ツンと言ってタオルを放る。取ろうと手を上げるが指の間を滑り抜けて床に落ち、息をついて拾い傍らに置いた。
「そんなことより、気になるのはアンナの方よ。もし遊びならただじゃ置かない」
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