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初デートはハードモードで(3)
少し顔を上げてアランを見ると、なにか紙をチェックしペンで線を入れていた。真剣に落とされる金の瞳を見てまたうつ伏せる。
もしまだ見ていないのなら次は初夜まで機会がない。人が直視できないレベルの傷を押し隠して結婚するのは申し訳ないし、初夜に幻滅されたら後の人生で地獄を見る。
どこかのタイミングでお腹を見てもらおう。
「ライラ、そろそろ行こうか」
「......はい」
肩を揺すられ、ライラは重い身体を起こして席を立った。暗い気持ちは悟らせまいと真顔に徹して出口に向かうと店長が声を掛けてきた。
「ライラ様、今度ドレスをお届けに上がる際、当店よりささやかではありますが贈り物を贈らせていただきます」
贈り物。
髪飾りかなにかかしら。
「そう、ありがとう。楽しみにしているわ」
答えると店長は微笑んで、アランはライラの手を引いて店を出た。
すると、
「えっ?!」
素っ頓狂な声が上がり、往来にいた人々が一斉に顔を向けてきたかと思うと歓喜と叫喚を伴って我先にと近づいてきた。ライラは息を飲んで飛び退き、アランの背後に隠れようとしたが店員がいたために隠れることができなかった。
「アラン王子がいるわ!!」
「隣にいるのは戦姫じゃないか?!」
「劇観ました!泣いちゃった」
「すっごくキレイ!人形みたい」
「婚約おめでとうございます!」
囲まれ騒がれてもアランは動じず、ライラの腰に手を回して自身の方に引き寄せた。歓喜を増す群衆に柔和な笑顔を向けつつこそっと囁く。
「行こう」
「はい」
外向けの洗練された王子様スマイル。
私にはとても真似できない。
馬車に向かって歩き出すと四方八方できゃあきゃあと湧く声が聞こえ、感涙する人までいて劇の人気を実感する。
そしてもうじき馬車に着くという時に、その声は聞こえてきた。
「マリアンナ様の方が......」
「ね.....」
一瞬、足を止めそうになった。
マリアンナの方が、なに?
「......あの髪......でしょ」
「王子に取り入って......どうせ........」
「......リアンナ......病気に........かわいそう........」
断片的にでも聞き取れてしまう非難の言葉は針のように突き刺さり、心の痛みを紛らわそうと浅く震える息を吐いた。
なにも感じてはいけない。
身も心も痛くなんかない。
陰口はアランの耳にも届いており、声のした方に目を遣るが湧き立ち飛び跳ねる人々に阻まれて発言者が誰かは窺い知れなかった。
ライラはなに食わぬ顔で群衆を見遣り、スタスタと歩いている。
「皆飽きませんね。他に流行っている劇はないのかしら」
ツンとした澄まし顔。いつも通りに見えてはいるが、果たしてその胸中は穏やかであるのだろうか。
ライラがどう感じているかはさておき、アランはいい気はしていなかった。
「先に乗りますね」
馬車に辿り着き、ライラは後ろを振り返らずに馬車に乗り込もうとステップに足を掛けて、
「―――へっ?」
ふわっと体が宙に浮いた。
きゃあ!と一際大きな歓声が上がる。
「っ?!アラン様!!」
忘れもしないこの体勢は、以前もやられたお姫様抱っこ。
あの時は王宮の裏門で。
今は大衆の面前で。
「降ろしてください!」
ドスの効いた声で凄んだが、アランは降ろすでも馬車に乗せるでもなく飄々として立っていた。
「ここまで歩いて疲れただろう」
「こんな距離じゃ疲れません!」
王子様スマイルに続くお姫様抱っこ。
いつにも増して王子王子しているけれど、一体どうしたというの?
まさか、これって。
民への出血大サービス?
" The 王子 " を演出して好感度を上げるための対民衆向けのパフォーマンス的なそういうもの???
だとしても人前での抱っこは恥ずかしすぎて体を捩るが、アランは降ろさずむしろしっかり抱え直して、周囲で聞き耳を立てる人々に届く声量で言った。
「顔色が悪くないか。体温も高いような......」
額に額をコツンとぶつけられ、ライラは目を瞑って頭を逸らした。
「気のせいです!」
「本当か?朝起きた時こそ元気に見えたが、昨晩咳を聞いた気がする。私としたことが、無理をさせて風邪をひかせてしまったろうか」
「はっ、はあっ?!」
嘘も嘘、それも夜通し一緒にいたと思わせるとんでもない嘘八百。
往来を見ると二人のやりとりを頬を染めて見物する人と、まるで劇を観ているようだと狂喜する人とで祭りになっている。
「風邪なんてひいてません!」
「無理をしていないだろうな」
「していません!元気いっぱいです!!」
「............そうか。元気ならいいんだ」
ライラはやっと解放されてよろよろと地に降り立ったが、
「君の体が心配なんだ。もしまた倒れでもしたら、私はもう心労で生きていられない」
そう言って額に軽いキスを落とされ、金の瞳で見つめられて頬が一気に熱くなった。
すごい。
ちゃんと王子様に見える。
「......顔が赤いな。大丈夫か?やっぱり抱いて馬車に」
「結構です!」
また抱き上げられそうになり憤然として馬車に乗り込んだ。
ライラ、だめよ。
今日は喧嘩してはだめ。
仏頂面で深呼吸しているとアランも乗ってきて対面に座った。御者は窓に目隠しを施して御者席に乗り、馬車は人混みを分けてゆるゆると動き出した。
「さて、次に行く場所なんだが」
「その前に言うことありません?」
「ごめん」
「..........。」
素直に謝られると調子が狂う。
「あんな振る舞いをして、誤解を呼びますよ」
「あんなってどんな」
「だから、あれじゃまるで...............いえ、いくらなんでも英雄の二つ名には相応しくありません」
「別にいい」
今の出来事をきっかけに、王子の方が令嬢に心底惚れていると人々は理解し広めるだろう。たとえ軽薄と言われようがそれで良かった。
ライラは対面に座るアランを眺めて、無茶苦茶なパフォーマンスではあったがまあ抱っこと額へのキスで済んだし許してあげようと無理に納得することにした。あの場で熱烈に唇を奪われていたら流石に激昂不可避だったが、それがなかっただけマシだった。
「で、次はどちらに」
「ベルシュギール公爵領にある自然公園に行く。このすぐ近くだ」
ナインハルトからデート合間の息抜きにちょうどいい場所として、公爵領で管理する公園の情報を仕入れていた。
十分ほど馬車に揺られたのち、二人は公園裏手の歩道に降り立った。正門ではなく裏の小さな出入口の方が人目につかず便利だと聞いており、実際誰の姿も見えなかった。
「人少ないですね」
「オフシーズンで空いてるらしい。一応花はあるそうだ」
「ナインハルト様に伺ったのですか?」
「ああ、湖の周りになんとかって赤い花が咲いていると言っていた」
聞いたのはつい一昨日で、接待に使ったとナインハルトは言っていた。その接待相手が他国の王女で、彼の結婚相手筆頭として縁談を進めるためにお忍びで来訪してきたという話を知るのは現状アランだけだった。
随分積極的な王女のようだが、本当に結婚するんだろうか。
「―――あっ!」
「......えっ?」
見ればライラが走り出していた。
行く手には湖と大きな花をつけた生け垣があり、アランは慌てて追い掛け手を掴んで引っ張った。
「歩けって!水に落ちるだろ!」
「お ち ま せ ん」
「ヒールじゃ危ないって!」
「へ い き で す」
掴まれたままぐいぐい進み、大きな赤い花に辿り着いて顔を寄せた。
「懐かしい匂いがします」
「急に元気になったな」
服飾店にいた時とは別人のようだと苦笑しつつアランも花に近づいて香りを嗅ぎ、ムッと眉を顰めた。埃っぽい古箪笥のにおいがした。
「君は花が好きだったよな」
「ええ。野草や野花が特に」
「少し歩こう。一番好きな花は?」
「あっ、ええと......」
自分の手を包み込むアランの手の大きさを意識してしまいどきどきする。
「一番好きな花というのはありません。全般として好きなので」
「屋敷でなにか育てているのか」
「私はなにも育てていません。上手く咲かせた経験がないので。自然の中に生えている草花を眺めたり採取したりするのが好きです。アラン様は草花はお好きですか?」
「好きでも嫌いでもなかったが、最近になって興味が出てきた」
「なぜです?」
「知っておけば君を連れ出せる。目的のない外歩きには着いてきてくれないだろう?」
微笑まれてどぎまぎとして、ライラは生け垣に視線を逸らした。すると目に映る大輪の花にも微笑まれているような気がして恥ずかしくなり、目を泳がせた末に空を見上げた。太陽はだいぶ下にあり、迫る夕暮れを予感させた。
「今日、なぜ黒い服ではないのですか」
「君との外出だから。せっかく出掛けるのにいつもの服では微妙だろう」
「てっきり黒しか持ってらっしゃらないのかと思ってました」
「そんなことはない、と言いたいがほぼ黒だ」
「黒がお好きなんですか?」
「好きというか落ち着く。見慣れているから」
来春のアラン様の誕生日には黒い品を差し上げよう。
そう心に留め、帰ったらギルバードにも伝えなければと思っていると、すぐそばでバサバサッ!と大きな羽ばたきに続いてパキッと乾いた音が上がった。
「きゃっ!」
咄嗟にアランの後ろに隠れる。音の方向を見ると鳥の群れが悠々と空を飛んでおり、ライラはなにもなかった顔で元通りの位置に戻った。
「隠れるのは無駄に早いな」
「隠れてません」
「いい。隠れてもらった方が嬉しい」
「だから隠れてなんか.............あら?」
生け垣に寄って身を屈め、枝をつまんで拾い上げる。
「今の衝撃で折れたのかしら」
差し出して見せたのは花のついた折れた枝で、折られたての断面からは液体がぽつぽつと溢れていた。
「ああ、そうだろうな。綺麗に咲いていたのにもったいない」
「ええ......」
地面に挿せば根が出るかもしれないが、管理されている公園に挿し枝をしても回収されてしまう気がした。
その花は捨てられるにはあまりに綺麗で、滴る液体は涙に見えた。
「持ち帰って加工します。今日の記念にもなりますし」
「領地のものを無断で持ち出すのはマナー違反だ」
瞬間、ふっ、と。
ライラがあどけない笑みを浮かべた。アランはなにも言えなくなって、ライラは花の香りを嗅いで告げた。
「秘密にしてください。ベルシュギール公爵様にもナインハルト様にも。お父様にも言わないで」
ライラはコートのポケットからハンカチを取り出そうとして、すると底に入れていた包みまで一緒くたに出そうになって急いで隠した。慎重にハンカチのみ抜き出して花を包んでそっと仕舞うと、腕をつと引っ張られた。
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