71人が本棚に入れています
本棚に追加
初デートはハードモードで(5)
「夢みたい......」
高い天井には何種類ものシャンデリアが架かり、クリスタルの装飾は燦然と輝いて空間を遍く照らしていた。踏みしめる床には年代物の絨毯がこれまた何種類も敷き詰められモザイク画のように美しく、四方を囲む臙脂の壁には巨大な獅子の顔の壁飾りが四つ埋め込まれ咆哮していた。不思議空間に来てしまったと圧倒されていると、アランは正面の壁まで歩いて行って獅子の壁飾りに手を掛けた。
「この先に個室がある」
「......先って、ライオンの口の中ですか?」
咆哮する獅子の口はぽっかり大きく開いている。
「ああ。牙にぶつからないように注意してほしい」
一瞬誂われているのかと思ったが、近づいて獅子の口内を覗き込むと奥には広い空間があった。普通の壁飾りではなくゲートになっているのだと納得はしたものの、
「この子、噛みませんよね?」
獅子自体は良いとして、上下の顎にやたらとリアルな牙をつけた理由は如何にと思った。入口という用途を考えれば牙は無用の長物で、むしろあることによって頭をぶつけたり、スカートの裾を引っ掛けて転んだりと怪我を招きそうな仕上がりになっていた。
アランは獅子の鋭い犬歯をぺたぺたと触った。
「これは防衛装置だ。侵入者が通り抜けると噛み殺すように設定していて.........」
言って後悔した。
ライラは完全にドン引きした表情で獅子の顔面を見つめていた。
「怖いんですが」
誰が好き好んで処刑台の下をくぐりたいと思うだろうか。
怯む顔で後ろに下がると、近づいてきたアランに抱え上げられてしまい悲鳴を上げた。
「きゃっ!ちょっ、ちょっと!」
「一緒に通れば怖くないだろ。目も閉じてていい」
「............なるべく速く通ってください」
あれ程までに抵抗したお姫様抱っこも命がかかっているとなれば受け入れざるを得ない。アランの首に腕を回して顔を伏せ、ぎゅっと目を瞑った。その姿は珍しく弱気で素直に映り、アランは庇護欲をかき立てられながら獅子の口を通り抜け、このまま抱いて部屋に向かってしまおうかと歩き始めるも怒らせると後々厄介だぞと囁く理性に従って足を止めてライラを降ろした。
「もう大丈夫だ。歩けるか」
「ええ。すみません、お手数おかけしました」
「いや、怖がらせて悪かった」
優しい。
先の見えない通路を歩き、ライラはちらとアランを見上げてため息をついた。
王族で戦士で優しくて頼もしくて、女性に不自由したことなんて絶対ない。時々破廉恥な振る舞いをするしドレスにケチをつける狭量さはあるけれど、それを加味したって人気があるとかモテるとかそんな生易しい言葉では足りないくらい華やかな経験を沢山してきたに違いない。
私とは属性が違う。
知れば知るだけ釣り合ってない。
もやもやと考えていると、
「―――へっ?」
踏み出した足の下が雲を踏んだかのようにふかふかとして体が急に軽くなった。そしていつの間にか金の扉の前に立っていた。
「ご来訪有難うございます」
扉の横には恭しく礼をする男女が数名おり、アランはフリーズしているライラを部屋の中へと誘った。中に入ると爽やかなレモンの香りが鼻腔をくすぐり、室内の設えを見てライラは更に驚嘆する。
壁面は水色とクリーム色の二色に塗られ、地下だというのに窓があった。鳥の囀りが聞こえた気がして窓辺に寄ると陽の光を受ける梢には青い小鳥達が遊び、緑の生い茂る枝にはレモンの実がたわわに実り揺れていた。
王都の路地裏で、地下で、しかも夜よね?
次々と起こる不思議な出来事に言葉も出せず立ち尽くしていると、アランに手を取られ中央のテーブルまで連れて行かれて椅子に掛けるよう促された。
「コースではなく自由に頼む。好き嫌いを教えてほしい」
アランは以前ライラが晩餐会のコース料理を噛まずに丸呑みしていて味がわからないと言っていたのを覚えていた。そのため今日は格式張った食事にはせず、アラカルトにしてしっかり食べさせようと計画していた。ライラは窓の外に揺れるレモンと青い葉を見てぼんやりと、
「嫌いなものは特にはありません。でも生野菜はあまり......お肉は好きで王宮でもよくいただいてます」
「野菜は生でなければいけるのか」
「ええ」
アランは慣れた様子で店員らに指示を出し、間もなく店員がサラダや前菜風の料理が乗った大皿を持ってきて二人分を取り分け始め、ライラは取り分け作業とテーブルの端にひとまとめに置かれた銀食器とを交互に見た。大皿料理は初めてだったが銀食器の置かれ方を見るにテーブルマナーをあまり気にしなくていい食事のようだと思った。
「メインの肉料理は来るのに少し時間がかかる」
「はい」
店員が去って二人きりになり、軽くグラスを上げて乾杯する。ライラは満を持して普段手をつけないサラダの皿に視線を落とし、フォークを取って根菜に刺そうとして、
その時、
野菜と野菜の隙間から。
ずる、と。
真っ黒く毛深い脚が這い出る幻想に思わず目を閉じ、息をついて瞬きをした。
「.........大丈夫か?口に合えばいいんだが」
「いただきます」
王族御用達の店の料理。食べないのは損だしわざわざ連れてきてくれたアラン様にも申し訳ない。
深呼吸をする。
大丈夫、虫が混ぜられている心配は万に一つもないのだから。
フォークで野菜をいくつか突き刺し、思いきって口に入れた。一口噛んで飲み込もうとして、あら?と思い咀嚼する。葉野菜にも根菜にも軽く火が通されスパイスが効き、もそもそとした食感や青臭さはまったくなかった。よく見るとほぐした肉と和えてあり、野菜全体に絡まる繊維を見てなんのお肉?ともう何口か食べ進めてふと顔を上げるとじっと見ていたらしいアランと視線がかち合った。
「あっ......美味しいです」
感想を述べるのを忘れていた。
「本当か?ここは濃い目の味つけが多いんだが、塩辛くはないか」
「ちょうどいいです。味も食感もサラダっぽくなくてこれなら食べられます」
「良かった」
アランはほっと胸を撫で下ろした。まさかサラダを前に怯えた顔をされるとは思っておらず、本当に食べられるのかと心配だった。
「混ざっているのはなんのお肉ですか?」
「馬肉だ。次はそちらの料理を食べてみてくれ」
パンに肉と野菜のペーストを塗って焼き上げた料理を指し示すとライラは素手で一つ取り、小さな一口大にちぎって口に運んだ。銀食器を使わないだいぶ気楽な、しかし品は損なわない指先の所作に見惚れつつもアランは再び感想を待つ。
「ん、美味しいです。温かいうちがいいかと思いますので、アラン様も」
観察されるのが恥ずかしいという気持ちが半分、美味しさを共有したい気持ちが半分。アランは笑って自身も料理を口にし、うんうんと頷いた。
「いつもの味だ」
「良く来られるんですか」
「良くという程でもない。年に数回来るか来ないか」
「......ご友人と?」
「兄と来ることもあるが基本一人だ。友人との外食ならもっと気軽な店か酒場に行く」
酒場と聞いて、ライラは路地裏に立ち並ぶ店と酒瓶、煌煌として店先に提げられた赤ランタンの灯火を思い起こした。皆大きなグラスで酒を飲み、赤ら顔で会話やゲームに興じる様はいつ見ても賑やかで楽しそうで、しかし貴族令嬢が立ち入れる場所ではないとわかっていたため興味はありつつ素通りしていた。
「私も街娘の格好をすれば入れるかしら」
「行くな」
素早い否定にムッとする。
「なぜ?街娘の変装は完璧だったでしょう?」
「駄目なものは駄目だ。行ってもどうせ荒くれ者しかいない。絶対行くなよ」
かつて酒場は違法賭博や人身売買の温床だった。今でこそ摘発により減ってはいるがまだ撲滅には至っていないのが実情で、不用意に近づいてほしくはなかった。
「......そうですか」
ライラはムスっとしてパンを食べる。
割と束縛気質よね。
いいわ、そのうちギルと行ってやるんだから。
これ以上この話をして言い合いにはなりたくなくて、パンを食べ切りサラダをつついていると、
「時間にも限りがあるから早速聞きたいんだが」
改まった声を掛けられて、フォークを持つ手がぎくりとした。
「アン・ブロシエールにはどのような経緯で入ったんだ」
ついに来た。
覚悟はしていたがいざ聞かれると胃の腑が俄に痛み出す。ため息をついてフォークを置き、シャンパングラスを手に取った。
「6歳の時、屋敷にアン・ブロシエールの教師が来ました。学園の説明をされて.........子供心に魅力的だと思ったのでその場で入学を決めました」
あれは6歳になったばかりの時。
寒い冬の日の朝だった。
「どんな説明をされた」
「アルゴンで最も歴史のある学園で、そこで良い成績を修めれば一人前のレディになれるしお父様が喜ぶといったような話を」
「侯爵のために入学したのか」
「自分自身のためです」
でもあの日、父を引き合いに出されなければ屋敷を離れる決断には至らなかっただろうとライラは思う。
シャンパンの泡に目を落とし、在りし日の記憶を回想する。
最初のコメントを投稿しよう!