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寄り添う王太子
頬をつつくひんやりとした感触にリリアナは薄く目を開ける。
おぼろげな視界に映るのは黒く光る鼻先と白く艶々とした毛並み。続いて寝室の天井が目に映り、ああ自分は寝起きのようだと気がついた。
体を起こそうと身じろぎをすれば、ベッドの傍らで椅子に座っていた人物がガタンと音を立てて立ち上がり、リリアナは驚いて瞬きをした。
「リリー!」
リリアナの頬に手をあて、ベッドに寄りかかり半ば膝を床についてデオンは安堵の籠った深い息を吐いた。
「リリー、よかった。具合はどうだ」
「......デオン」
頭を動かすと軽く頭痛がして思わずこめかみを押さえる。どうやら額にはぐるりと包帯が巻かれているらしい。
リリアナはデオンに手を伸ばし、デオンはその手をとって優しく握る。寝起きでぼんやりしながらリリアナは緩く瞬きをする。
窓の外には青空が見える。
小鳥達のさえずりは朝の挨拶を交わしている。
デオンの様子や頭痛から、きっと自分は怪我をして眠っていたのだろうと思った。階段から落ちでもしたのだろうか。それにしても何故メイドが誰もおらず、デオンだけが部屋にいるのか。
部屋を見回せばスノーボールが引っ張り出して玩具にしたらしい毛布やボールが床に落ちていた。最近チャリティ準備で忙しくて、あまり構ってあげられなかった。申し訳なく思いながら枕元にいるスノーボールの頭を撫でる。
机上を見遣れば原稿が置かれている。チャリティで講演をするために書き溜めていたもので、前日になりスノーボールが一部かじってしまったので書き直しが必要になり、睡眠時間が削れてしまった。それもあって怪我とは別に余分に寝てしまったのかもしれなかった。
ここまで考えて、あら?と思う。
広場に集まった人達から拍手をもらった気がする。
レイチェルやライラと言葉を交わしたような気もする。
露店をまわって可愛いものを買い求めた記憶だって。
そう。
白いゴブレット。
露店の店主はローブを纏い怪しげな感じがしたものの、売っている品はどれも素晴らしく可愛らしかった。特にスノーボールに似た狐のモチーフのそれは一目見て気に入り買ってしまった。
あのゴブレットってどうしたかしら。
受け取ってみたら結構重くて。
ミリヤが持ちましょう、と言ってくれたはず。
"見て、スノーボールみたいでしょう?"
そう言って手渡した時、羽音がして。
そうだ。
虫が出てきて。
ミリヤの頭を食べ
「あっ――――――......」
リリアナの顔から表情が消える。
呼吸がどんどん荒くなる。
「あ......デオン」
「リリー」
デオンはリリアナを強く抱きしめるが、彼女の黒い瞳はみるみる内に恐怖へと染まっていく。
「わ、わ、私、わ、たし」
「リリー大丈夫。大丈夫だ」
「私が、あれを買ったの。スノーボールみたいってミリヤに渡して、そうしたら」
リリアナの瞳からぼろぼろと涙が零れ、デオンの黒い装束を濡らす。
「虫が」
すべてを一気に思い出した。
悲しみと苦しみと嘆きに塗りつぶされた花時計広場の光景。
キメラ達が嘆き悲しみ、暴走しながら人々を襲っていたことを。
リリアナを抱きしめて背をさすりながらデオンは厳しい顔をする。
ミリヤはリリアナの親衛隊の内の一人だった。彼にゴブレットを持たせていたがために、キメラは彼を始めとして近くにいた護衛達に群がり、真っ先に、一斉に殺めてしまったのかもしれなかった。にも関わらず今こうしてリリアナが生きているということは奇跡としか言いようがなく、デオンは心の中で、身を挺して守った護衛や戦士達、そしてブラッドリー侯爵の娘に感謝した。
一方でリリアナは無言のまま滂沱の涙を流し続ける。
「リリー!」
身を揺さぶり声を掛けるがリリアナには届かない。
キメラの嘆きと襲われた人々の苦しみが心を支配し精神を塗り潰す。黒い瞳は大きく見開かれ、しかし何も映さない深淵へと堕ちる。
「くっ―――」
デオンは歯噛みし、リリアナから身を離した。
「リリアナ!!私を見なさい」
両の手でリリアナの顔を挟み込むようにして視線を合わせる。
リリアナは恐怖に満ちる瞳をデオンに向け、互いに静止したまま見つめ合い時間だけがただ過ぎる。
すると、依然涙は溢れ続けているもののリリアナの瞳に光が戻り、乱れる呼吸も次第に穏やかになっていった。
デオンの金の瞳を見ながら息をつき、リリアナはぽつりと言った。
「ええ、デオン。ありがとう。私も貴方を愛しているわ」
リリアナはその神力で、その時相手が抱く感情を読み取ることができる。
相手が強く思えばそれは言霊として脳に届く。
元来感受性が強く、他者の表情から心を見透かす性質のある彼女にとってこの神力は読心術の域にまで観察眼を向上せしめるものとなっていた。
しかし時には知らなくてもいい感情まで敏感に感じとり、強い負の感情に脳を支配されれば精神に影響がでるというデメリットも抱えていた。
あの日もきっと状況把握のため神力を使いパニックを起こしたのだろうとデオンは思う。
表沙汰にはなっていないが、リリアナはこの能力ゆえに諜報要員として誘拐されたり善意につけこんで利用されたりと散々な目に合わされてきており、デオンは優しくて傷つきやすいリリアナのことを昔からずっと心配していた。
もう暫し経ち、リリアナがしっかりと落ち着きを取り戻したところでデオンは尋ねた。
「君が買ったゴブレットは召喚石だった。『スノーボール』という言葉が鍵となり発動する仕掛けになっていたようだ」
「そんな。そんなことって......」
リリアナは力なくデオンを見る。
「国内の召喚石は壊したと、そう聞いていたけれど、残りがあったということ?」
「その可能性もなくはないが、チャリティ前にティターニアから持ち込まれた可能性がある」
苦々しい顔をしてデオンは言った。
召喚石はアルゴンでは採掘できない。唯一採れるのはティターニアのエウキーサのみ。
「該当の石をエウキーサ鉱山から輸入したという報告はない。ティターニア内でゴブレットに加工した上で持ち込んだ可能性が高い」
「そう」
リリアナはスノーボールを撫でながら不安気に瞳を揺らす。
そんなリリアナを見つつデオンは声を潜めて言った。
「今回狙われていたのは君だろう。王宮外への外出は暫く控えるように。周辺の警備は強化しているが、出歩く時は必ず護衛をつけさせる」
なぜリリアナが標的になったのか。
単に王家の中で最も狙いやすいためか、それとも。
「ええ。わかったわ」
自分を狙うためだけに大きな被害が出てしまったと知り、リリアナの瞳は再び悲しみに翳る。
親衛隊メンバーやチャリティに来ていた人々、走り回っていた子ども達の顔が次々と思い出されて目頭を押さえる。
あの広場だけでも一体どれほどの人が犠牲に――――――
この瞬間、はっとしてデオンの腕を掴む。
「ライラは?」
怖い。
でも聞かなければならない。
「あの時近くにライラがいたの。あの子はどうしているの?」
デオンの表情がさっと曇る。
生きている、とリリアナは思った。
しかし無事ではないとも思った。
「あ......怪我をしたのかしら」
「あの広場でキメラを退治したのが彼女だ。護衛とともに君を護った。だがシュレーターと見られる者との戦闘で深手を負って昏睡......侯爵曰く休眠状態になってしまった。治療のために昨日までは診療所にいたが、今は東の離宮で眠っている」
リリアナはショックのあまり硬直する。
事件直前、ライラは露店で買ったという蛇の玩具を嬉しそうに見せてくれた。しかしふとした表情にはギルバードがいない寂しさとアランとの関係への苦悩とが垣間見えていた。
たとえ人々を圧倒する美貌の持ち主でも、成人していても。
リリアナからすれば普通の10代の女の子。
そんなあの子が。
「リリー!もう少し寝ていなさい」
リリアナが急にベッドから降りたためデオンは慌てる。しかしリリアナは痛む頭をふるふると振った。
「私はもう平気。ライラに会わせて。お願い」
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