笑う王太子妃、怯える蛇

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笑う王太子妃、怯える蛇

早朝。 離宮のドアノッカーが高らかに打ち鳴らされて。 「......はい。どちらさまでいらっしゃいま......へ?.....リ、リアナ、さ、ま......え?......ええ!?王太子妃のリリアナ様?!?!」 アンナはぼさついた髪を手ぐしで整え、しわのついたメイド服の裾をぎゅっと引っ張り伸ばしてから大慌てで扉を開けた。 そこには見るからに高貴な貴婦人―――本当に本物のリリアナその人が護衛に囲まれて立っていて、しかもその隣には王家の紋章入りの装束を着た男性が一名。 王太子様ですか? その問いは言葉にならず、アンナは口を金魚のようにパクパクさせ殆ど気絶しかけて震える一礼をする。 「あの、ご、ご、ご用件は」 「ライラに会わせてほしいの」 「あ、でも、ら、ら、ライラ様は眠っておりまして。いつ起きるかどうかも、わからなくて」 アンナは頭の中で散らばる言葉をかき集めてなんとか言葉を絞り出す。ライラが倒れてからというものほぼ寝ておらず、頭の回転は極端に悪くなっていた。 「状況は知っているわ。朝早くに悪いわね」 「あ、あの、はい、あ、いえどうぞお入りください」 アンナは王族二人と二人を取り囲む護衛達をアワアワと離宮に招き入れた。リリアナはアンナの憔悴しきった顔を見て労わりの視線を向けつつ、ライラが眠る部屋へと入る。 「リリー、私は部屋の外で待つ」 「わかったわ」 アンナはぼうっと二人の会話を聞いていたが、そうだお茶などをお出ししなければと気づいて一礼ののち急いで部屋を出ようとして、 「君は別室で休んでいなさい」 「あっ、はい」 王太子からの直々の声掛けに思わず頷いてしまった。 別室にいても用があれば呼ばれるはず。 それに部屋には()がいるから、きっと大丈夫。 そう思うことにして、アンナは意識が遠のく気持ちになりながらもデオンに一礼をして別室へと下がっていった。 部屋に入ったリリアナの目をまず真っ先にひいたのは、窓枠に寄りかかって立つ一人の美青年の姿だった。 彼は長身に白い装束を纏い、俯く白い相貌は腰下まである長い銀の髪で囲まれていた。 ギルバードは赤い瞳を上げてリリアナを見る。 『リリー、久しぶり。わかる?俺のこと』 「もちろん、ギルバードよね。私のことを覚えていてくれて嬉しいわ」 蛇の姿からは想像もできない姿だが、髪の色や雰囲気はライラによく似ていると思った。 『まあね、俺の主人はリリーとレイチェルの話をよくするんだ』 リリアナは微笑み、部屋の奥にあるベッド脇に歩を進めて立ちつくす。 「ライラ......」 こんな時でも綺麗だと思ってしまうだなんて。 その寝姿はまるで童話の眠り姫だった。薄い絹をかけられてすやすやと幼子のように眠っており、リリアナはライラの頬に触れて神力を使う。しかし何も感じることができず眉をひそめた。 眠っていても多少の感情の動きは感じ取れるはずなのに。 ギリアンが休眠と称するそれはたしかに普通の眠りではなく、例えるなら時が停止しているかのような異質な状態らしいとリリアナは理解した。 「とても深く眠っているわね」 『ギリアンが言うには月単位で寝るんじゃないかって。たくさん出血したし内臓もかなりやったらしいから。でもそのうち起きるって』 「......そう」 リリアナは瞳を揺らしてライラの手に触れる。 「ライラ、起きたら動植物園に行きましょう。レイチェルも誘って」 返事はない。 代わりに、 『いいね。ライラ友達いないから絶対喜ぶ』 そんな本人が聞いたら拗ねるであろうこと必至の発言をギルバードがするのでリリアナはくすりと笑った。 「私にとっては命の恩人で友人よ。レイチェルだって友人だと思っているに違いないわ」 そう言って、あ!と両手を合わせて、 「もしかするとそのうち義妹にもなるのかしら?アランに甲斐性があればだけど」 元気を振り絞る声で言ってみせる。それからライラのあどけない寝顔に視線を落として言った。 「ライラ、護ってくれて本当にありがとう」 ごめんなさい、とも言いかけて、しかしそれは言わなかった。謝るより感謝を伝える方が喜んでくれる気がした。 「............さて!」 リリアナはくるりとベッドに背を向けた。その目にはうっすら涙が滲んでいたが、辛い気持ちを振り払う明るい笑顔でギルバードへと向き直った。 「ギルバード、あなた脱皮期間で具合が悪いと聞いていたけれど、もうよくなったのかしら?」 『うん』 「脱皮した殻は?」 『捨てた』 「そうなの、残念」 見てみたかったわと言えば、ギルバードは暗い顔は崩さずに肩をすくめる。『もっと早くに脱皮が終わればよかったのに』と彼が思っていることと、自責の念を強く抱いているということをリリアナは感じ取った。 「ひとまず無事に終わってよかったわ。ちなみにあなたの前回のごはんはいつ?」 ギルバードは思い出そうとして首を傾げる。 『いつだっけ。もう忘れた。二か月か三ヶ月くらい経ってる気がす、るけ、ど......』 この瞬間リリアナの笑顔が空恐ろしいものになった気がしてギルバードの言葉は尻すぼみになった。 「ギルバード」 『な、なに?』 「変化を解いて蛇に戻りなさい」 『............なんで?』 「いいから」 リリアナはにっこりと笑う。 「食べられるものを見繕いに厨房にいきましょう。ほら早く戻って」 早くと笑顔で畳みかけられ、ギルバードはたじたじとなって後ろに下がろうとするが窓枠にぶつかり逃げ場がないことを知る。 『今はライラの見張りしてるから無理』 「見張りね。少し待っていて」 リリアナはスタスタと歩いて部屋の扉を開ける。 「デオン、アランかナインハルトを呼んでもらえないかしら。ギルバードと厨房にいく間、ライラのそばについていてくれる人がほしいの」 『ちょっと!勝手に話を』 進めるなと言おうとして無言の笑顔を向けられてギルバードは黙り込む。離宮を出ていくデオンを窓から見ているとリリアナは笑顔で仁王立ちして言った。 「ライラが起きるまでの間、私があなたの面倒を見るわ」 『......それは、ちょっと嫌』 「起きた時にあなたがげっそりしていたり元気がなかったりしたらライラがどれほど悲しむと思っているの?知っていて?あなたが伏せっている間あの子はずっとあなたのことを心配していたのよ」 『しっ...てるけど』 「そう。じゃあわかるわね」 ギルバードはタジタジとなって言葉に詰まる。一見清楚で虫も殺せないように見えるリリアナの有無を言わせない笑顔の圧に不覚にも怯えていた。 ライラお願い、早く起きて。 ベッドの方をちらちらと見ながら一日も早い主人の目覚めを願う。 *********** 「えっ!?デオン様!」 待機所にいたセーブルは素っ頓狂な声とともにガタリと椅子から立ち上がった。 「どうされました?もしや何か警備に問題でも」 「いや、アランかナインハルトを探しているんだ。居場所を知らないか」 なるほど、人探し。 セーブルはほっと胸を撫で下ろす。しかし王太子が自ら探しているというのは一体どういうわけなのだろう。 「アラン様でしたら東の離宮に行くと仰ってましたが」 ん、とデオンは唸る。 東の離宮は今しがた自分がいた場所なのだが。 「いつ離宮に向かった」 「一時間くらい前です」 途中で行き先を変えたのだろうか。 「イーゴに探させましょうか」 「いや、いい」 デオンは窓から稽古場を見た。バチバチと閃光が奔っており、この時間からいるのはあの男だろうとアタリをつける。 待機所を出て稽古場に向かうとギャラリーはまだ誰一人としておらず、中央に目を向ければちょうど訓練用の獣が剣士に跳びかかる瞬間だった。青く光る剣が閃き、獣は一瞬の間もなく斬られて弾き飛ばされ消えてしまった。しかし剣士が強く雑に振り抜いた剣は床を直撃して剣先が折れてしまい、折れた刃は彼の手を切り裂いて床へと落ちた。 デオンが壁のレバーを上げると獣のシルエットはすべて消え、ナインハルトは折れた剣を持ったまま振り向いた。 「......王太子様」 「お前のカウンターに力は不要じゃないのか」 ナインハルトは目を逸らしハンカチを取り出して手の甲にあてる。 「拙い剣をお目に掛けました。私に何か御用でしょうか」 「今から東の離宮に来てくれ。ライラ嬢の警護を頼みたい」 碧い目は一瞬見開かれる。 逡巡ののちに頷き、ナインハルトは折れた刃を拾い上げた。 「承知しました。すぐに参りますので少々お待ちを」
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