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隠し部屋の嬌声
「物好きだな」
所狭しと飾られた動物とキメラの剥製をしげしげと眺めながら、フードつきの外套を纏う男は赤銅色の目を細めて呟く。そこは本棚裏に作られた隠しスペースであるのだが、意外にも広々とした空間には剥製棚や作業机、ソファーなどが並べられている。
「......るっさい!期待外れもいいところよ」
マリアンナは男を睨み低い声で吐き捨てた。
「殺せないどころか中途半端に怪我させたせいで警備が厳重になっちゃったじゃない!報告も遅いし私のこれまでの労力も計画も全部台無し!!どうしてくれるのよ!!」
「.....マリー、そう怒らないでくれ」
計画は元々うまくいってなかったじゃないかとつっこみたいところだが、それは言わずに宥める声をかけてみる。しかしマリアンナの怒りは収まらない。
「大体なんでチャリティ襲撃なんて持ちかけてきたのよ!!私はあれを使って王太子とリリアナを始末できればそれでよかったの!!」
マリアンナ自身はだいそれたテロをするつもりはなかった。王宮にゴブレットを届けさせ、王太子夫妻を襲わせるくらいの心づもりだった。
しかしチャリティが近づいてきた頃合いで計画の変更を持ちかけられ、リリアナを確実に葬れるならいいかと納得していた。
「あんなに大量のキメラを使って成功品の機械人形だって向かわせたのに、むしろどうやったら失敗するのよ......」
マリアンナは顔を俯けて拳を握り、男は額に手をやって申し訳なさそうにため息をついた。
「そうだな。今となっては最初の案......マリーがやろうとしていたことの方が正しかった。私としては、戦禍にいれば彼が早めに記憶を戻してくれるのではと期待していたんだ。でもあんなにあっさり壊されるとは。迷惑をかけてすまない」
「......ま、まあ、計画を立て直してくれるならいいけど。カルラネイラ様には私のせいで失敗したんじゃないってことだけはお伝えしておいて頂戴」
男が素直に謝ったことと、自分の案の方が正しいと言われたことでマリアンナは少し機嫌を直す。
「とりあえずリリアナはどうにか始末しなきゃ。あの女、勝手に人の思考を読んでくるのよ。こちらの考えや計画を見透かされると困るわ」
「たしかに厄介な力ではあるな」
そうは言っても恐らく私怨が大きいのだろうと男は思う。
マリアンナはリリアナを嫌っている。
可憐で無邪気なマリアンナ。
清楚で大人しいリリアナ。
赤い髪。
黒い髪。
美しい動物がいれば、マリアンナは剥製にして美しい一時点の姿を愛でる。
一方のリリアナは、生まれてから老いて死ぬまでを継続して愛で続ける。
異母姉妹とはいえ、二人は見た目から性格まで何もかも違っていた。
「あの娘がいなければ上手くいっていたんだが。彼女とその父親の登場は予想外だった」
男はそう言って小さく笑った。英雄ギリアンについてはヴァルギュンターの時にアランとナインハルトがたびたび熱弁をふるっていたと記憶している。
英雄といえども過去の偉人。まして隠遁しているならなんの脅威にもならないだろうと気にも留めていなかったが、今回王宮を守ったのが彼だと聞いて驚いた。
戦闘後に彼は自身の正体を広めるなと戦士達を脅して口止めしたらしく、巷で彼の名が話題に上がることはなかった。しかし王宮の襲撃を正門までで食い止めることができたのは間違いなく彼の功績だった。
そして彼の娘も強い神力と強靭な肉体を持っていた。
キメラを退治した弓矢は人には当たらずに攻撃対象だけを殲滅したという。また致命傷を負いながらも彼女は普通にアランと痴話喧嘩をしていたらしく、現在の所在は不明だが意識回復を待っている状況だと発表されている。
予期せず登場してきた英雄とその娘。
娘の方は目を引く美貌の持ち主で、しかもあのアランが人目も憚らず溺愛している令嬢。
自然と興味が湧いてくる。
かすめ取って我が手中に納めたら、一体彼はどんな顔をするだろう。
そんなことを考える男をよそに、マリアンナは剥製についた埃を慎重に払いながらせせら笑う。
「......ララのことかしらね。噂だけは聞いているわ。なーにが《アルゴンの戦姫》よ。アラン様の周りを虫みたいにうろうろしてちゃっかり婚約までこぎつけて。目障りなことこの上ない」
「うろうろというか、あれはアランの方が」
「うるさい!」
キメラが鎮圧された後、花時計広場に集まった多くの民衆は思いもよらぬ光景を見ることになっていた。
戦闘の果てに深手を負った娘と、彼女の身を抱きかかえ語りかける王子。王子が愛おしく抱きしめてキスをする姿はそのまま悲恋のワンシーンを彷彿とさせ、広く民の心を打ち涙を誘っていた。
そして首筋に戦士の刺青をいれた美貌の娘を吟遊詩人らが《アルゴンの戦姫》と呼び始め、今や国民の間で大人気。
【アルゴンの英雄とアルゴンの戦姫の恋物語】なる劇まで生まれ、巷のあちこちで語られるようになっていた。
「母親と同じね。本ッ当に憎らしい。どうせなにもできないだろうと思っていたけれどやっぱり邪魔だわ。どうにかして殺してくれない?」
殺意を滲ませるマリアンナに男はにべもなく、
「すぐは無理だ。あの娘は簡単には殺せない」
「神力が問題なら、ティターニアにでも連れて行って無力化すればいいじゃない」
「それができればいいんだが、どうだろうな」
果たして無効化できる使い魔だろうか。
とは言え、他国に行かせるのは悪くない案だと思った。マリアンナは苛立って机の上のものを腕で払う。
瓶や針が落ち、あるいは割れあるいは散らばる。
「もう!これからどうするのよ!!」
「.....とりあえずライラ=ブラッドリーがアルゴンの外に出るように仕向けよう。その間マリーはカーウェインと引き続きブラニス作成と《魂降ろし》を進めておいてくれ。彼女を排除した後に君はアランに再度近づけばいい。私は強い媚薬を調べておくから」
そう言って男は練り直した計画を語る。マリアンナは苛々とした様子で聞いていたが最終的には頷いた。
「今度は上手くいくかしら」
男の腕に手を絡める。
体を触れ合わせて赤茶色の瞳で男をじっと見上げる。男はマリアンナの赤い髪を指で梳き、頬に手を添えて上向かせた。
「上手くいくといいな」
マリアンナの唇を指でなぞる。
「......他人事みたいに言わないで」
「他人事なものか。まあ少なくとも......私が来たからには君は多少楽しめるんじゃないか」
二人は口づけを交わす。マリアンナは男の首に腕を回して抱きつき、男はマリアンナをソファーに座らせて押し倒した。赤い髪がビロードに広がり、男は外套を脱いでマリアンナの赤いドレスの裾からのぞく脚に舌を這わせ始める。
「っ......」
マリアンナは身をびくりとさせながら、腕を伸ばして男の白金色の髪に触れた。
「ね...エディ、私って可愛いわよね?」
「もちろん」
男は瞳を上げて微笑み、脚に口づけを落としながら言った。
「アルゴンで一番愛されている令嬢だろう?」
そうは言ったものの、ライラ=ブラッドリーにその座を脅かされているのは間違いない。
「そうよね、可愛いはずよね」
「なぜそんなことを?」
「だって、アラン様は私には全然」
マリアンナは天井を見ながらぶつぶつと呟く。
「ちっとも誘惑に乗ってくれないの。エディが調合した媚薬入りの香水、二本使い切ったのよ。毎日部屋に通ってたし二人きりにだってなったのに、全然...っ、あっ」
身の内に入り込む感覚に震えが走り、言葉は途切れる。
「マリー、脚開いて」
「.....あっ...は、あんっ」
広がっていく快感に言葉は嬌声へと変わり、瞳の輝きは快楽に堕ちる。その目を見て男はぞくぞくとしながらマリアンナを逃がすまいと腕と腰とを捕らえた。
「はっ...あっ...あっ...あっ」
髪が揺れる。
淫靡な音と可憐な面差しを歪める規則的な喘ぎが上がり、窓のない閉ざされた室内に響き渡る。
「自分から押し倒して、その顔と声で誘えばいい」
「!?だからっ...それは、む......りっ...」
「なぜ?」
「じぶん、からはっ...いやしい、身分の......」
公爵家とはいえとっくに貞操など捨てているくせに、今更なにを言っているのだろうか。
ふと思い立って、男は胸ポケットから小さな容器を取り出す。中を開けるとクリームが入っており、それを指に取って自身の唇に軽く塗った。
「......?エディ、なにそれ」
問いはキスで塞がれ、少ししてマリアンナは体の火照りと胸の高鳴りを感じ始める。
「......ね、ねえ、これ」
「君がアランに使った媚薬のクリーム版」
「ちょっと、なんでこんなの」
「効かない効かないってずっと言っているから、試してみようかと思って」
うっすら汗をかき始めたマリアンナに覆いかぶさる。するとマリアンナは上気した顔で見上げながら男のシャツのボタンに手をかけて外し始めたかと思うと素肌にキスを落とし始めた。それは普段の彼女なら絶対やらない行動で、男は笑って見下ろす。
二瓶使って効果がない?
きっとアランは尋常じゃなく鈍感だ。
普通に効く。
時間は進んで、夜。
「お姉様があのような目に合われて、私、とても怖いのです」
マリアンナは泣きながら父ジェラルドと母シェリルに告げる。マリアンナの傍らにはシェリルの兄の息子であり、ティターニアから留学中のエルカディアがいて黙っていとこの背を撫でている。
「お父様、お母様。私は春の乙女を辞退したく―――」
愛らしい顔は悲しみに歪む。
「そして私の後任には、キメラ騒動の功労者でいらっしゃるブラッドリー侯爵家ご令嬢を推薦したく思います」
その名前にシェリルは目を見開き、娘に歩み寄り肩を掴んで強い語気で言った。
「マリアンナ!それはいい考えとは言えないわ。途中辞退も認められていないし今役目を投げればあちらのご令嬢にどれほどの負担が―――」
「いいえ!!」
マリアンナは涙を溢しながら首を思い切り左右に振る。
「もう決めたのです!お役目を全うできないことを思うと胸が張り裂けそうですが、もう私には続けることはできません」
「マリー...可哀想に」
そう嘆く声で言って、エルカディアはジェラルドとシェリルを見る。
「キメラ騒動で多くの死傷者が出たと聞きましたし、マリアンナの不安ももっともかと思います。私の母からも神殿に文を送りますから、春の乙女辞退の申し入れをしていただけませんか。母は大神官とは懇意にしていたと聞きますから、きっと聞き届けてもらえると思います」
少し時間を置いた後、ジェラルドは厳格な表情をして言った。
「神殿に辞退希望と賠償について連絡しよう。高くつく上、家門の不名誉となるが仕方ない」
「あなた、それは......」
「嫌がるものを引きずっていくわけにも行かないだろう。その代わりマリアンナは暫くの間領外に出ないように。病のため静養させると王家と神殿には伝達する」
シェリルは息を飲む。領地の外に出られないとなると社交にかなり制限がかかる。マリアンナ本人にとっても家門にとっても大きな損失となる。
しかしマリアンナは頷き、涙を拭って微笑んだ。
「はい!ありがとうございます。お父様」
エルカディアと共に退室するマリアンナの背を、不審気な面持ちでシェリルは見る。
マリアンナはしずしずと階段を登り、自室に戻るとくるりとドレスをひらめかせてベッドに乗り、ケラケラと笑い転げた。
「あはは楽しみ!!あのララに私の代理が務まるかしらねえ?仏頂面で笑顔のひとつもろくに作れない人間のなりそこないが」
「でも彼女、学園時代は優秀だったんだろう?」
「そんなのもうずーっと昔の話!」
マリアンナは機嫌良くフフンと鼻を鳴らす。
「それに怪我で療養中でしょ?明月祭の舞姫なんて一年かけて準備するものなのに、療養なんてしてたらどんどん時間がすぎてなんにも習得できずに当日になるわ。そうして大勢の前で大恥をかいたところで他国に行けばいいのよ。アラン様にもアルゴン国民にも他国にも惨めな姿を晒せばいいんだわ!ああいい気味」
マリアンナはベッドから起き上がり、にっこりと笑う。
「ララ、きっといい寝覚めになるわね」
***********
「反対します。神託なき辞退など認められません」
神殿の一室。
三人の大神官を前にオルフェウスは珍しく声を荒げて発言していた。
「これは特例だ」
カナンは顔色を変えずにオルフェウスに数枚の手紙を差し出し、オルフェウスはカナンに睨む一瞥をしてそれを受け取る。
「今年の春の乙女は過日のキメラ騒動で襲撃された王太子妃の妹君だ。精神的に参っているとなれば無理はさせられまい」
オルフェウスはシャイレーン公爵家からの手紙に目を通す。内容を見ると令嬢は今精神がひどく落ち込んでおり病に伏せっているため公爵領で静養させるということと、詫びとして神殿の修繕費用を言い値で出すということが書かれていた。
また、手紙の下部にはマリアンナが書いたと思われる一筆があり、オルフェウスはそれを見て眼鏡の下の双眸を険しく細める。
「......ブラッドリー侯爵家の令嬢を推薦するとありますね。よもや、卿らはかの令嬢であれば無理をさせてもいいとお考えでしょうか。私がご令嬢の家族なら黙ってはおりません」
問われた三人はやや気まずい表情をして目を逸らす。サイモンが言いづらそうにおずおずと、
「国民投票がある。それで決めれば―――」
「国民投票をしたところでブラッドリー侯爵家の令嬢に決まるのは目に見えているでしょう」
「そうなればもう致し方ないではないか......。それに辞退は既に認めてしまったのだから後任は選定しなければ」
「は......また多数決ですか」
今回然り、使い魔ギルバードの断罪然り。
ギルバードの断罪はアランが《原則不可侵》の例外だと異議を唱えたことで幸い回避され、その後無事に使い魔承認に至ったために実行されることはなかった。しかし今回の春の乙女選出は《原則不可侵》の範疇内。
王家が神殿の取り決めに介入することは許されない。
オルフェウスは手紙の最後の一枚を見る。そこにはマリアンナの辞退を許諾せよと記載があり、カルラネイラ=アスタラエルと署名が入っていた。嘆願ではなくほとんど命令に見えるそれに眉根を寄せているとサイラスが咳払いをして言った。
「オルフェウス卿、そもそも令嬢はいつ目覚めるかもわからないのだ」
彼は腕を組み、オルフェウスに呆れ顔を向けてため息をつく。
「かの令嬢が春の乙女に選出されたとて、まず起きないことには話を進められない。定まらぬ未来を今この場で憂慮し議論する必要はない」
「では仮に明月祭の前日に目覚めた場合はどうされるおつもりで」
「だから今この件の議論をする必要はないと言って―――」
オルフェウスは手紙を置いて席から立ち上がる。そのままなにも言わず三人に視線も向けずに部屋を出て行った。
やりづらい。
神殿の外は暑く、夏の照り返しが肌を刺す。
オルフェウスは無力感を覚えながら外柱に囲まれた通路をとぼとぼと歩く。
最年少で大神官になったことを人は栄誉だという。しかし他の三人は大ベテランかつ自分より30才以上歳上で、若輩者である自分の意見が聞き入れられたことなど過去一度としてなかった。
肩書きはあっても、本当にそれだけだ。
はあと息をついて空を見上げる。
その時、柱と柱の合間から強い日差しが差し込んだ。
光は目をチクリと刺して。
そのタイミングでなぜかクシャミが出て。
後を追うように、
こん。とひとつ咳が出た。
たった一度のそれを引き金に、こんこんと本格的な咳へと移行する。外柱に寄り掛かり深呼吸を試みるが、咳は止まらず立っていることがしんどくなって柱の台に腰を降ろした。
口内に鉄の味が広がり始めるのでローブからハンカチを取り出し口元にあてて咳き込めば案の定赤い染みができる。
これはちょっとよろしくない。
急いで屋敷を出てきたため薬を持ってきていない。
軽く絶望しかけた時だった。
「ししょーーーーーーーお!!!」
遠方から大声を張り上げながら、一人の青年がバタバタと通路にとび込んできた。
カーウェイン、と声を掛けようとしてしかし咳で言葉にならず、カーウェインは師に薬と水とを差し出して背をさすり、
「な ん で 薬 を 持 っ て な い ん で す か!!昨日の内に玄関横に置いといたでしょうが!!」
「き、きんきゅ」
「『緊急だったから』じゃありません!いい年して言い訳ばっかりしないでください」
説教を垂れながらも彼はオルフェウスの背を優しくさすり続け、オルフェウスは咳き込みながらも笑って弟子を見る。
こういう時いつもどこからともなく現れてはこうして介抱してくれる。頼りに思いつつも一体どうやって感知して駆けつけているのかと不思議に思う。
その後薬が効いて呼吸が落ち着いたため、オルフェウスはハンカチをローブにしまって立ち上がった。
「もう大丈夫だ。ありがとう」
「いえ......」
カーウェインは目を伏せがちに返事をした。師が持っていたハンカチに血の痕跡があることに気がついていた。
「さて、私は職務に戻る」
「えっ...今日は屋敷で休んだ方が」
「夜には戻る。すまないがフェリベルシアの世話を頼む」
休んでほしいと言いたそうな弟子の肩をぽんとやってオルフェウスは元来た道を引き返し始めた。
「師匠...」
カーウェインは心配気な面差しで師の背を見る。
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