桜の木の下にはとりとねこのぬいぐるみが置かれている。

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 桜。  いま満開、なのかな。多分。  淡いピンク色の花がまるで雪みたいに、私の頭上に大きく広がった枝を覆っている。  とりあえず、スマホを持ち上げて一枚撮影。  あんまりうまく撮れなかったけど、まあいいや。  別にどこに上げるわけでもないし、見せる相手もいない。  桜の名所、というほどでもないんだろうけど、週末だけあってこの公園にも花見をしているグループが結構いる。  でももう誰も花なんか見ていない。  おばさんたちはお喋りに夢中になってるし、おじさんたちは寝てるかお酒を飲んでるか。大学生っぽいグループは何が面白いのかひたすら笑ってるし、子供は奇声を上げて走りまわっている。  ここで飲むっていうこと自体が目的なんだろうな。桜がどうとかじゃなくて。  私は、ぽっかりと空いていたベンチに腰を下ろす。  昔は両親と二つ下の弟と一緒にここに花見に来たこともあった。  お母さんが張り切って朝からお弁当を作っていた記憶がある。お父さんは出る直前までだらだらしていてお母さんに叱られていた。  早く行きたくて、私と弟は出発のずっと前から靴を履いて玄関先で待っていた。  そんな頃も確かにあった。まだ五年前くらいのはずだけど、ずいぶん遠い昔のような気もする。  両親とほとんど会話らしい会話をしなくなってから、どれくらいになるだろう。中学に上がる前からだから、二年近い。  お父さんとは小五くらいからろくに口をきいていないから、もう少し長い。  別に、何かきっかけがあったわけではない。  ただ何となく、私は両親と「疎遠」になった。  同じ家に住んでいて疎遠というのも変な言い方だけど、仕方ない。  私は両親の平凡で地味なところがすごく嫌だった。  容姿も趣味も、ニュースを見た時の感想も映画やドラマを見て感動するポイントも。全部が、普通。もっといえば、凡庸。まるで「これが一般人です」っていうデータの塊みたい。  自分がそんな平凡な家庭に育っていることが嫌だった。  別にお金持ちの家に生まれたかったわけじゃない。  でも、両親にはもう少し尖ったところや破天荒なところがあってほしかった。  たとえば授業参観に来た時にクラスメイト達が「あれ誰の親? やばくない?」って騒いじゃうような。  私の態度がそんなだからか、両親のほうも成績のいい弟にばかり構っていて、私には全然興味がない。  もう弟も今年小六で中学受験の歳だから、ただの公立中に通う私への関心はますます減っていくことだろう。  それでいいと思う。  私はずうっと、家庭環境的にも経済的にも中途半端に恵まれた自分のことを、無性にかっこ悪いと感じていた。  誰もが息を吞むような壮絶な生育環境とか、卑屈な孤高を気取れるような悲惨な過去に憧れていた。  どうせお前は何不自由なく育ってきたんだろうって、いつも誰かに言われてる気がした。  去年、友達のユミが、両親が離婚するから苗字が変わるんだって話してくれた時、大変だねって同情したけど、本当は結構羨ましかった。  両親が離婚してたら、それだけで苦労してる感じが出るじゃん。  私は出来れば孤児がよかった。  孤児院で育ってみたかった。  でも、そんなことを思ってるのがきっと伝わったのだろう。ユミも最近、私とは「疎遠」になった。  そんなことをとりとめもなく考えていたら、突然ぬいぐるみと目が合った。  私の座るベンチから10メートルくらい先の、割と小ぶりな桜の木の根元。  そこに敷かれた青いレジャーシートの上に、間抜けな顔の白いとりのぬいぐるみと、これも気の抜けたような顔の三毛ねこのぬいぐるみがぽふりと置かれていた。  レジャーシートに子供の字で「とりの席」「ねこの席」と書かれた紙が貼られていて、二個のぬいぐるみはその上に置いてある。まるでそこに行儀よく座っているようにも見えた。  ぬいぐるみの持ち主の姿は、近くには見えない。  見ていると、このふたつのぬいぐるみが花見の場所取りをさせられているようで、妙におかしい。  たまにニュースとかで、朝から花見の場所取りをさせられてる新入社員の姿を流したりするけど、あれってやらされる方は相当暇だよね。  スマホのない時代とか、どうやって時間潰してたんだろう。 「暇だな」 「ひまー」  そう。暇だ。  スマホでもいじってなければ、時間が一向に進まないだろう。  桜なんて、最初はきれいだって思っても五分もしないうちに見飽きてしまう。  ……え?  ちょっと待って。  今、まるで目の前のぬいぐるみが喋ったように聞こえた。 「ほんとに暇だな」  とりのぬいぐるみがふこりと肩(?)をすくめた。 「遊び道具を持って来るべきだった」 「とりさんが桜を見てれば飽きないって言うからー」  ねこのぬいぐるみが腕をぴこりと動かす。 「ぼくはとり電車持ってこようって言ったのにー」 「うん。やはり飽きるな。さすがに飽きるよ、ねこくん」  とりがふこふこと左右を見まわす。 「まだ来ない。レイのやつ、こんなところで場所取りなんてさせて。ぬいぐるみ使いの荒いやつだ」 「さっきカラスも来たし、危なかったよねー」 「あいつはぼくと同じとりだからまだ話が分かるやつだった。問題は犬だな。ぼくもねこくんも話が通じない」 「いぬは困るねえ」  思わず、スマホを向けていた。  何、これ。ぬいぐるみが動いて喋ってるんですけど。  マジのマジで、喋ってる。  そういうトリックか何かなのか。テレビのドッキリ?  どこかにカメラでも隠されていないか見回してみるが、見付からない。私が素人だから見付けられないのかもしれないけど。 「あ、あの女の子がぼくらを撮ろうとしてる」  ねこのぬいぐるみがぴこりと腕を上げて私を指差した。  気付かれた。  思わずびくりと震えてスマホを落としそうになる。  でもその心配は要らなかった。  ねこは私に向かってふこふこと腕を振った。 「かわいく撮ってねー」 「その心配はないぞ、ねこくん」  とりのぬいぐるみがふこりと身体を揺らす。 「どこからどう撮ろうが、ぼくらは可愛いからな」 「あー、そっかー」  かしゃかしゃかしゃ。  何枚か写真を撮った後で気付く。  何やってんだ、私。静止画じゃ意味ないじゃん。  こんなのただ単に並んだぬいぐるみが写ってるだけじゃん。  動画だ、動画。  私が録画を始めると、さっきまで聞こえていたぬいぐるみの話し声がぴたりと止んだ。  ……あれ。  スマホの画面には、微動だにしないぬいぐるみふたつ。 「ねえ」  声を掛けてみる。 「どうして動かないの」  でも返事はない。  動かないぬいぐるみと、それを延々と撮ってる私。  いや、こんな動画要らない。  撮影を止めてスマホを下ろすと、とりがふこりと動いた。 「だから、そろそろ来ないとおかしいだろう。どこまで買い出しに行ったんだ、あの家族は」 「仕方ないよー、出たとこ勝負のマキがお母さんなんだから」  ねこが答える。  ……動いた。  もう一度スマホを上げようとすると、とりがふこりと手羽を上げた。 「それを向けられると、身体の具合があまり良くないみたいだ。向けないでくれ」 「えっ」 「そういえば勝手にひとを撮っちゃだめって、やまだ巡査も言ってたしねえ」  ねこがそう言ってふこりと頷く。 「誰、やまだ巡査って」 「向こうの交番のおまわりさん」  ねこが短い腕をぴこりと伸ばして公園の彼方を指差す。確かにそっちの交差点に交番がある。  警察官と知り合いのぬいぐるみ。何者だ。 「不機嫌そうな顔をした少女よ」  突然とりが私に言った。 「名前は何という」 「え……サキだけど」  思わず名乗ってしまった。ぬいぐるみ相手に。 「サキか」  とりは何だか偉そうに頷く。 「サキはこんなところで一人で何をしてるんだ」 「何って、別に」  答えに詰まる。 「花見だけど」 「ふふふ。花見というのはな、サキ」  とりは、ちっちっち、と手羽を左右に振る。 「花を見るものじゃないんだ。桜の木の下でお酒を飲んだりおいしいものを食べたり奇声を上げたりするのが花見なんだ。サキみたいに一人でぼんやりと花を見上げたりはしない」  何だそれ。  すごく偏ったことを言っている。 「サキも誰かと一緒に来てるのー?」  とねこに訊かれた。 「一人だけど」 「そっかー。一人で花を見てたんだねえ」 「悪い?」  きつい口調になったのが、自分でも分かる。  ぬいぐるみ相手に何をムキになってるんだろう。 「ええっ」  ねこは両腕をぴこりと上げてびっくりした。 「いいとか悪いとかあるの!?」 「あるんだろう、きっと。いい花の見方、悪い花の見方が」  とりが重々しく頷く。 「ぼくらも勉強しないとな」  何言ってるんだ、このぬいぐるみたちは。 「春休みで暇だから」  私は言った。 「家にいたっていいこと何もないから。だから出てきたの。悪い?」 「ひま!」  とりが嬉しそうに私を手羽で指差す。 「ひま仲間だ!」 「なかまだ!」  ねこも嬉しそうに復唱する。 「そうか、サキも暇なのか。それなら話をしよう」 「話って」 「何で家にいてもいいことがないんだ?」  とりはきらきらとしたビーズの目で私を真っ直ぐに見つめてくる。 「家は遊びの宝庫じゃないか。クッションの下の財宝を探し、ベッドの下の暗がりに挑み、遥かトイレの水音に耳を澄ませる」 「冒険の日々ですねえ」  ねこもふこふこと頷く。 「何言ってるのかよく分かんないけど」  私は思わずため息をつく。 「うちの両親は私に興味ないから。家にいたってしょうがないのよ」  そう言うと、ふたりはふこりと動きを止めた。 「興味がないのか」  とりが手羽をくちばしの下に持っていく。 「お父さんもお母さんもか」 「そうだよ」 「お父さん、趣味は何なの?」 「は?」  突然ねこに尋ねられ、私は口ごもる。 「ええと」 「お母さんの好きな食べ物は」 「お父さんの子どものころの夢は」 「お母さんの最近の悩みは」  とりとねこが矢継ぎ早に尋ねてくる。  そんなこと聞かれたって、分からない。  黙った私を見て、とりが拍子抜けしたように言う。 「なんだ、サキも両親に興味がないんじゃないか」 「え?」 「どうして自分が興味を持ってない人が、自分に興味を持ってくれると思うんだ」  その言葉が少しぐさりと来た。 「だって、そんなの」  とっさに反論していた。 「向こうは親なんだし」 「あなたはまだ子供なんだから、いい子にしてなさい」  とりはまるでお母さんみたいな口調で言う。 「そんな風に言われたら、サキだっていい気はしないだろう。親なんだからこれくらいやっといてよ、なんて言われたら両親だっていい気はしないさ」 「とりさん。サキはきっとそういう年頃なんですよ」  ねこが口を挟む。 「外よりも自分の中に興味が向く年頃」 「そうか。きっと人間にはそういう時期が必要なんだろうな。かわいいぬいぐるみのぼくらには関係ないが」  また自分たちのことをかわいいって言った。 「ぼくはレイの好きなものも今興味があることもマキの最近の悩みも今朝の体重も全部把握している。パパさんが浮気したらすぐに気付く自信もある。なかなかしないが」 「とりさんは最近そういうドラマにハマってるからねー」 「ドラマの中ではみんな浮気するんだぞ」  とりがまた偏った知識を披露した。 「サキも自分を見るみたいに両親や友達のことを見てみると、きっと見方も変わるぞ。では、そろそろ」  そう言いながら、とりがよっこいしょ、と「とりの席」から下りた。 「あー、とりさん勝手に動いちゃいけないんだー」  ねこにすぐに指摘されるが、とりは涼しい顔だ。 「ふふふ。ぼくによく似た石を見付けておいた」  とりは丸っこい石を「とりの席」に置く。 「レイとマキくらいならこれで騙せるだろう」  ……そうだろうか。  石は石だ。ぬいぐるみと間違える人間はいないと思う。 「さすがとりさん! ぼくも自分に似た石さがそう!」  ねこはうひゃー、と声を上げて「ねこの席」を下りると、とり以上に適当なそのへんの石を持ってきてそこに載せた。 「じゃあぼくらはこのあたりの探検に行くので」  とりがふこふこと手を振る。 「サキ、話に付き合ってくれてありがとう。元気でな」 「げんきでなー」  ねこもぴこぴこと手を振る。 「あ、うん」  つられて手を振り返すと、ふたりは、うふふふふ、と笑いながら桜の木の向こうに消えていった。  後にはレジャーシートと二つの石だけが残った。  ……興味、か。  さっきとりに言われたことを思い出してみる。  正直、私は両親や友達に興味は持てない。  これからもそうなのか、それともねこが言ったみたいに、今私がそういう年頃だからなのか。それは分からないけれど。  だけど、おかしなぬいぐるみたちと話をしたことで、不思議と気持ちは軽くなっていた。  少し強い風が吹いて、桜の枝がざあっと音を立てた。  ピンクの花びらが舞う。  見上げた桜は、さっきよりも少しだけ鮮やかに見えた。
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