1ー1 婚約破棄

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「え? 嘘だよね? ドッキリとか?」  その場で呟くけれど、もちろん誰も返してはくれない。 「え? 何で? 意味わかんない」  ゆっくりと、スマホを拾い上げた。  先程と同じ文字が踊っているだけだ。 「何で……よ……」  出した声が震えていた。  入り口のホテルマンが、怪訝そうな顔でこちらを見ている。  分かってる。  こんなところで泣いている私、迷惑だ。  分かってる。  分かってるけど……。  スマホを握りしめた手が震えた。  ポタポタと、とめどなく涙が溢れてくる。 「うぅ……」  すると突然、私の前に長い影が落ちてきた。 「高堂(たかどう)(らん)」  頭の上から降ってきた、私の名前。 「はい、何でしょ――」  泣き顔のまま、顔を上げた。  そこにいた人物に、驚き目を見張った。 「企画開発室入社3年目、好きな商品はKAMEJIMAチョコ」  呆然と見上げる私のプロフィールを、無表情のまま立て続けに言う彼。 「どうして……」 「社員の情報は全て頭に入っている」  突然私の目の前に現れたのは、威圧感たっぷりの、鬼と呼ばれる我が社の社長だったのだ。 「社長、どうしてここに……」 「俺が聞きたい。お前はここで、一体何をしている?」 「そ、それは……」  私の腕を取り立たせた社長は、そのまま私をロビーの隅の方に追いやる。 「社員が面倒事を起こすのは厄介だ。話せ」  鋭い瞳。  言わない、という選択肢はないらしい。 「……実は、婚約者に婚約破棄されてしまいまして――」  社長は腕を組み、私の話を聞いてくれた。  すると、少しだけ気持ちがラクになった。 「そうか、それは災難だったな」  あれ、この人、優しい――?  冷徹御曹司って呼ばれてるのに。  社内では、鬼社長って呼ばれてるのに。  それで、私はまた泣きたくなった。  気持ちのまま、全てを話してしまいたくなった。 「どうしたら良いですか? 両親も、今日のことすごく楽しみにしてて――」 「――俺が、お前の婚約者になる」  その一言に、耳を疑った。 「はい?」 「お前の耳は節穴か? 俺が、お前の婚約者になってやると言ったんだ。条件付きになるが」 「あの、条件とは――」 「両親への挨拶のあと、少し俺に付き合え。それだけでいい」  つまり、だ。  社長が婚約者のフリをして、両親と会ってくれる。  その後の社長の用事に私が付き合えば、それだけでいい。  親に嘘をつくのは後ろめたいけれど、今日を楽しみにしていた二人をがっかりさせたくない! 「分かりました」  私は、その条件を飲み社長に婚約者のフリをしてもらうことにしたのだった。
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