1ー2 偽装婚約者

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 社長にそのまま手を引かれ、やってきたのはホテルのエレベーターホール。 「えっと、これから何を――?」 「俺と付き合え」  ちょうど1階に着いたエレベーターに乗り込みながら、社長は淡々とそう告げた。 「……ですから、何を?」 「分からないか? 付き合え、ということは、恋人になれ、という意味だ」 「……はぁ?」  疑問符が頭の上に何個も浮かぶ私をよそに、彼はエレベーターの階数ボタンを押す。  光ったのは、最上階である39階のボダンだ。 「フリでいい。お前はこれから、俺の恋人だ。俺のそばで笑っていろ。それだけだ」 「え、ちょっと……」  言うが早いか、エレベーターが止まりその扉が開く。  すると、社長の手が、私の腰に触れた。  そのままぴったりと引き寄せられ、ガッチリと掴まれる。 「ほら、行くぞ」  一瞬たりともニコリとは笑わない社長は、私を先程よりも力強くエスコート(というより捕獲)したままエレベーターを降りる。  それで私は、事態が飲み込めないまま、その階の高級レストランに足を踏み入れることになった。  ◇◇◇ 「誰、その女」  レストラン奥、急にフカフカになった絨毯を踏んだ先。  給仕さんに開かれた扉に足を踏み入れるやいなや、そこに座っていた女性がそう言った。  投げられたのは、冷たく突き刺さる視線。  私がビクンと肩を揺らすと、社長は私の腰を抱いていた手に力を入れた。  逃げるな、ということらしい。 「彼女と、お付き合いをしている」  社長の抑揚のない声が、個室に響いた。 「……はぁ?」  彼女は立ち上がり、私の方へ高いヒールをカツカツ鳴らしながらやってくる。  つり上がった目、皺の寄った眉間。  絶対、怒ってる。  これ、修羅場だよね……?  私は俯いた。  彼女の胸元に光る、ダイヤのネックレスが眩しい。 「何でアンタみたいなやつが、一騎と結ばれるの? 意味わかんない」 「やめろ、美姫(みき)」  社長がぐっと、腰を抱き寄せた。  彼女とは離れたけれど、より空気が張り詰める。  彼女はタタッと席に戻り、小さな鞄を手に取る。  そしてそのまま、カツカツとヒールを鳴らしながら、私の横を通り過ぎ――  ビシャンっ!  ――テーブルの上のお冷の水を私に浴びせて、彼女はその場から立ち去った。
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