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「彼女がスパイであることは、ありえない。彼女はその森元製菓の企画部部長を、心から愛していた」
一騎さんは一瞬こちらを向いてから、和成さんに向き直りそう言った。
「和成が提示したその写真は、彼女が彼と婚約していた際にとった、彼女にとっても大切な思い出の写真だろう」
「一騎さん……っ!」
思わず声を上げるけれど、一騎さんはそんな私を手で制した。
「そのチョコの企画案というのも、我が社のものだ。彼女が企画したが、彼女自身はボツになったと思っていて、彼に漏らしたと言っていた。そちらがアイディアを奪ったのだろう?」
それでも和成さんはそんなこと想定済みというように、口角をニヤリと上げる。
「では、一騎社長は我が社の部長と婚約していた女を横取りし、企画についてそれ以上口外しないよう脅し、自分の妻にしたと、そういうことか? 彼女はうちの部長を愛していたというのに、お前は口止めの為に彼女を奪ったのか」
会場が一気に騒ぎ出す。
違う。
全然、違うのに。
これじゃ、一騎さんが悪者みたい。
そう、思っていたのに。
「ああ、そうだ」
一騎さんがそう言って、会場が一瞬静かになる。けれど、今度はその一騎さんの発言に、会場がどよめき出した。
「だが、和成の説明は少し違う。彼女は、裏切られたんだ」
一騎さん、それ以上は言わないで。
そんな願いも虚しく、一騎さんは続ける。
「突然婚約破棄を言い渡され、酷く悲しんでいた。彼女は、婚約者と住む予定で家を引き払っていて、仕事も寿退社する予定だった。だが、俺はそんな彼女と出会って――1か月前に、契約をしたんだ。今日のパーティーまで、妻でいてくれ、と」
一騎さんは、毅然とした態度のまま、そう言った。
「つまり彼女と一騎社長の結婚は、嘘の結婚だったと、そういうことだな?」
和成さんが、ニヤリと笑う。
「……ああ、そうだ。このパーティーが終わり、俺が亀嶋食品の社長に就任したら、彼女とは離婚する予定だ」
その発言に、会場のどよめきがより一層大きくなった。
「契約結婚だと?」
「上に行くために手段を選ばないって、本当だったのね!」
「最低な人……」
「これじゃ、亀嶋食品の社長なんて……」
そんな声が、私の耳にまで届いた。
もちろん、一騎さんの耳にも届いたはずだ。
それなのに、一騎さんはいつもの無表情のまま、一向に態度を変えない。
けれど。
私は、気付いてしまった。
一騎さんの握った拳が、わずかに震えていた。
本当は、すごく悔しいんだ。
それに、一騎さんが私を庇う理由なんて、本当はない。――それなら。
私はもう一度息を大きく吸い込み、それから大きく吐き出した。
それから、背筋を伸ばして、会場全体に届くように、顔を上げた。
大きく息を吸い込んだ。
「彼の言ったことは、事実ではありません。全て、デタラメです!」
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