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「一騎、蘭さん」
幸せのぬくもりに包まれていた私たちを、突然威厳のある声が裂く。
この声は――
「親父……」
はっとして、慌てて一騎さんから離れた。
一騎さんも私の背から手を離して、でもそのままエスコ―トするようにぐっと腰を抱き寄せた。
高砂台に上がったお義父さんは、私たちと対峙する。
「契約結婚だったというのは、本当か?」
私はどうしていいか分からず、一騎さんを見上げた。
彼はいつの間にか、いつもの無表情に戻っていた。
「本当です。ですが、私は――」
「皆まで言わなくてもよい。お前たちのことは、見ていた通りだろう」
「え……?」
思わず声を漏らした。
けれど、思い出して頬が赤くなって、私は俯いた。
「一騎、私がなぜ社長の座を譲るのに、結婚を条件にしたか、分かるか?」
「男は結婚してこそ一人前、ということだと受け取りました」
「だろうな。だが、お前は私の意図とはだいぶ違う解釈をしていたらしいな」
「はい……?」
お義父さんは威厳のある顔をほころばせ、目尻を下げて笑った。
「企業を支えるのに必要な力をお前が持っていることは充分分かってる。実力だけなら、お前にこの座を譲ってもいいと、ずっと思っていた。だが――」
お義父さんの視線は、私の方を向いた。
「――企業が大きくなればなるほど、その企業を支える従業員の数が増える。その従業員への全責任を、背負わなくてならない。もし企業に何かが起こった場合に、早急な判断をしなくてはならない。その時に、必要なものが、お前には圧倒的に欠けていた」
お義父さんの視線は一騎さんに戻る。
「だが、やっと、手に入れたようだな」
「え……?」
「今のお前には、まだ亀嶋食品の社長の座は渡せない。だが、お前がもしこれから――」
お義父さんはその先をにごして、ふふっと笑う。
「蘭さん、せがれのことを、これからもよろしく頼む」
「え……」
それだけ言うと、今度は高砂台から会場の方にその顔を向けた。
威厳たっぷりの、一騎さんに似た顔になる。
「それから、森元製菓の息子」
名を呼ばれ、和成さんの肩がピクリと揺れた。
「本件に関しては、弁護士を通して事実を明らかにしていこうと思うが、それで良いか?」
「……は、はい」
和成さんは2、3歩後ずさって、それから一目散に会場から走り去っていった。
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