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<日入 酉の刻> 禍時
一陣の風が吹いて、
ふたたび土埃を舞い上げた。
「ほ、本当に兄貴が親父を・・。
い、いやそんなことよりも
ほ、本当に兄貴なのか・・。
い、いやそんなはずはねえ・・。
こ、これは陰陽の妖の術に違いねえんだ・・」
孤独の狼狽はその表情だけではなく
その言葉にも表れていた。
「どうした、一人で何をぶつぶつと呟いている?」
男はそんな孤独を冷ややかに見つめていた。
孤独は慌てて頭を振った。
そして鉤爪で坤の宅の方を指すと
男に向かって大声で叫んだ。
「も、もし、てめえが本当に兄貴なら、
あ、あの家にあった骸は
い、一体誰なんだ!」
そこで孤独は一度大きく深呼吸をした。
「お、俺様が兄貴の家に行った時、
あ、兄貴はたしかに事切れてたんだ!
そ、それに兄貴の骸は
じ、二郎が髪の毛一本残さず食ったはずだ!」
木々が風に騒めいた。
二人の間に僅かばかりの木の葉が舞った。
「・・ならば。
今こうして貴様の前に立っているこの俺は
物の怪か?」
男が「フッ」と小さく笑ったように見えた。
孤独はもう一度大きく頭を振った。
「ふ、ふざけるな!
てめえは陰陽だろ!
俺様は騙されねえぞ!
これはてめえの怪しげな術に違いねえ!」
「先ほどから貴様は陰陽の名を出しているが、
つまりそれは
陰陽はまだ生きているということだな。
貴様の卑怯なやり口には
少しばかり期待していたんだが、
どうやら俺は
貴様を買いかぶり過ぎていたようだ」
「・・何をゴチャゴチャ言ってやがる、
さっさと正体を現しやがれ!」
孤独がそう叫んで
男に飛び掛かろうとしたまさにその時、
男の手が鍔の眼帯に触れた。
「ふふふ。
冥途の土産に種明かしをしてやろう」
そう言うと男はゆっくりと眼帯を外した。
「そ、その左目は・・
ま、まさか・・
み、見えてるのか?
ってことはやはり・・てめえは偽者だな!」
一瞬、孤独は狐につままれたような顔になったが、
すぐに真顔に戻ると改めて身構えた。
「残念ながら、貴様は見当違いをしている。
貴様と二郎が処分した亡骸は
二子の弟、一槍斎のものだ」
風が凪いでいた。
遠くで雉鳩が啼いていた。
太陽がその姿を山の向こうへと消そうとしていた。
「ふ、二子・・」
孤独の表情には先ほどまでとはまた違った
狼狽の色が浮かんでいた。
そんな孤独を一槍斎にそっくりな男が
無表情にじっと見ていた。
「へっ、へへへへ」
不意に孤独が笑った。
「・・そういうことか。
これでようやく
長年の違和感の正体がわかったぜ。
この屋敷には微かに匂いがしてたんだよ。
俺達兄妹以外の存在を仄めかす匂いがな!」
孤独が語気を荒げて男を睨んだ。
「これで俺様の勝ちだ。
兄貴の『神出鬼没』は二子だからこその技。
種がわかれば何の不思議もねえ。
一人になった兄貴はもはや恐るるに足らねえ!」
「・・試すか?」
男は冷ややかに答えた。
「けっ!『蜻蛉切』もねえのに、
どうやってこの俺様とやり合うつもりだ!」
そう叫ぶや否や、
孤独が男に向かって飛び掛かった。
孤独の鉤爪が男の体に触れようとしたその瞬間、
キィンッという甲高い金属音が空へ響いた。
孤独が瞬時に後ろに飛んで身を引いた。
見ると孤独の左手の鉤爪の先が
すっぱりと切り落とされていた。
「俺の名は・・
一双斎。
愚弟に代わって
夜霧に血の雨を降らせてくれよう」
男の右手には
西日を浴びて白く光る小刀が握られていた。
「けっ、
片方の鉤爪を封じたくらいでいい気になるなよ。
今は油断したが、次は外さねえ。
そんな脇差一本で何ができる!」
その時、一双斎の左手が背に回った。
次の瞬間、
その手には真っ黒な刀身の太刀が握られていた。
「この『一胴七度』の切れ味の凄まじさは
脇差『空也』の比ではないぞ」
そう言い放つと一双斎は二刀を構えた。
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