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<夜半 子の刻> 闇耳
月明かりが夜霧の屋敷を優しく包み込んでいた。
本宅の艮の間の縁側に
消炭色の着物を着たおかっぱ頭の少年が一人、
ポツンと座っていた。
柳眉の下の二重の瞳は右目が緑に、
左目は赤く光っていた。
ツンと尖った細い鼻と
その下には鶴の頭のように赤い唇があった。
庭先で蚊母鳥が「キュキュキュキュ」と啼いた。
少年の太腿の上には真蛇の面があった。
不意に、少年の体が勢いよく横に倒れて、
直後、トンッという音が周囲の闇に響いた。
見ると少年の背後の壁に小刀が突き立っていた。
その白い刀身が月明かりに妖しく光っていた。
「目の見えぬ貴様が今の一投、
よくかわせたな。闇耳」
どこからか男の声がした。
闇耳は素早く体を起こすと
キョロキョロと周囲を見回した。
闇耳の視線が庭の片隅で止まった。
赤と緑の瞳が庭木の暗がりを捉えていた。
暗がりから
男がゆっくりとその姿を月明かりの下に現した。
男の銀色の髪が月明かりに照らされて
不自然なほど明るく輝いていた。
「兄、ちゃ、ん・・」
「先ほどから呼んでいたのに
気付かなかったのか?」
闇耳が濡れ縁に落ちた真蛇の面を拾って
顔につけた。
「ふ、笛、を、吹、い、て、た、か、ら・・」
「もはやこの家に残っているのは俺達二人だけだ。
故にもう、
俺の前で演技をする必要はないぞ、闇耳」
風が吹いて庭木を揺らした。
蚊母鳥が啼いていた。
「貴様の秘密は陰陽から聞いた」
真蛇の面の奥の瞳に僅かな動揺が広がった。
「貴様のその目は
他人が見落としてしまうような些細なモノや
遠く離れた処のモノまで見ることができる。
いわゆる『千里眼』だ」
闇耳はその言葉に何の反応も示さなかった。
ただ面の奥の瞳が
じっと一双斎の口元を捉えていた。
「そこで疑問が出てくる。
なぜ母は貴様が高熱により視力を失ったと偽り、
そしてなぜ貴様に面をつけたのか?
よくよく考えてみれば、
盲目だからと面をつける必要はどこにもない」
そう言って一双斎は一度言葉を止めると
夜空を見上げた。
雲一つない夜空に星が瞬いていた。
「俺は一つの結論に辿り着いた」
一双斎が視線を闇耳に戻した。
闇耳がごくりと唾を飲み込んだ。
「貴様が失っている感覚は『聴覚』だ」
庭の赤松が風にそよいだ。
「一つを除いて他の感情がない俺達二子。
痛覚のない一二三。
無毛症で十の歳から成長が止まっている孤独。
二つの性の狭間で揺れていた陰陽。
見目の醜い狐狸。
味覚のない二郎。
それに色素のない予見。
我ら兄妹はどういうわけか
それぞれが何らかの制約を持って生まれてきた。
だが、これらの制約は
戦いにおいてさほど不利になることはなかろう。
しかし貴様の聴覚に関してはそうはいかぬ。
その弱点は命取りになりかねぬ。
故に、盲目という嘘で
その致命的な弱点を隠した。
己の強みを敢えて弱点と偽ることは、
ここぞという時において、
この上ない武器となる。
母の機転に救われたな、闇耳」
闇耳はただ黙って一双斎の口元を見ていた。
「そして。
聴覚のない貴様が相手の言葉を理解するには
その唇の動きを目で追うしかない。
母が面をつけさせてまで隠したかったのは
貴様の視線。
つまりその面は
他人に瞳の動きを悟らせないためのモノだ」
一双斎の切れ長の目が
闇耳の真蛇の面の奥の瞳を
真っ直ぐに見据えていた。
「しかし相手の言葉は理解できても、
発声はそうはいかぬ。
面は貴様の声の違和感を隠す
という目的もあった。
さらに貴様は
内気で無口な人間を演じた」
闇耳が一双斎の視線から逃れるように
チラリと夜空を見上げた。
「母が貴様を盲目と偽らせた理由はもう一つある。
貴様を弱者に仕立て、
他の兄弟達の警戒心を解くこと。
そして母の狙いは
ここまでは上手くいったようだ。
実際、貴様はこうして生き延びている」
そこまで話すと一双斎は口元に手を当ててから
顎の無精髭を軽く撫でた。
「母がなぜ貴様に手を差し伸べたのか。
同情か。
恐らくは弱った子犬を助けるような
気持ちだったのかもしれぬ」
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