第1章:ファンレター

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第1章:ファンレター

────────────────── Glowing Stars 優城光くんへ アイドルになってくれてありがとう。 改めて伝えたくなりました。 でも、光くんも一人の人間なんだから 人としてちゃんと幸せになってほしいな。 嘘も噂も信じません。 ただ、光くんが幸せなら私も幸せです。 芙由より ──────────────────  淡い紫陽花柄のレターセットで毎月届く彼女からの言葉は……いつだって俺を元気付けてくれた。  人間として見てくれていた。  アイドルではなく、一人の人間として。 「──でね、こないだ監督に言われちゃった♡今度、映画の主演だって!超嬉しくて私ね………」  アイドルって……何なんだろう?  この仕事、俺はいつまで続けるんだろう?  正直もう……今すぐにでも……。 「……なぁ、愛梨」 「ん?」  愛梨の部屋の天井は嫌味なくらい真っ白で、サイドテーブルに置いてあるライトによって美しく薄紫色に照らされてる。  ここに来る度『ラブホみたいだな』って思ってたことは…なんとなく、言わなかったけど。 「………別れよう」 「……え?」  天井を見ながら言うと、隣でぬくっと起き上がる気配があって、すぐに俺の顔の真上に愛梨の顔が現れた。 「何、急に……なんで??」  目をうるうるさせて、キョトンとした顔で俺を見つめてくるけど…… 「………検討ついてんだろ?」 「………」  黙り込んだ愛梨を見て、俺の決意は強く固まった。  思い出したくもない話題だ。考えただけで吐きそうになる。  ほんの一時期だけでも、愛梨を好きだと感じていた自分に、腹が立つ。  冷めるとかいう次元ではなく、もはや嫌悪に似た感情すら覚えていた。 「……今日、なんでシないのかなと思ったけど……そうゆうことだったんだね……」 「…………できるわけねーだろ」  ベッドから起き上がって、スマホとキーケースをポケットに仕舞うと、無言のまま玄関へと向かう。 「……光…っ…待って。話聞いて……おねが……っ」  愛梨の声を遮るように玄関のドアを閉めた。虚勢を張って出てきたけど、忽ち虚しさでいっぱいになる。  本当は否定して欲しかったんだ。違うって言って欲しかった。  あんなの全部、ただの噂だよって。  愛梨はそんなやつじゃない、芸能界はそんな汚いところじゃないって、そう思いたかったのに。  でも……最初から知ってたじゃん。やべー世界だってことぐらい。 ……馬鹿だなぁ、俺。 「推しって……なんなんだよ……」  収まりそうもない苛立ちをぶつけるように、見慣れた部屋番号のポストの中に合鍵を投げ入れ、愛梨のマンションを後にした─── ─────── ─── 「はじめまして!ピンキーズの白鳥愛梨です!よろしくお願いします!」 「GSの優城光です。よろしく」  2年ほど前、ドラマの現場で共演した愛梨。アイドルとしてデビューしたばかりの彼女は、その華やかなルックスと愛嬌の良さで、世間から注目され始めていた。  可愛らしい子だなとは思ったけど、最初は特にそれ以上の感情は持たなかった。  もっとも俺はこの業界に入ってから用心深くなっていて、人と距離を置くようにしていたし、特に同年代の若い女性とはあまり会話もしなかった。 「アイドルって大変ですよね……、どこの現場でも中途半端な感じがします。歌もダンスもお芝居も、何やってもその道のプロには敵わない感じがして……」 「……うん、……それ……すげー分かる」  俺と愛梨は共演シーンが多く、その度に愛梨がやたらと話しかけてくるようになり、撮影の合間にいろいろな話をした。  最初は警戒もしたけど、愛梨は見かけによらず男っぽい趣味があったりして会話が弾んだのと、俺のことをすごくよく分かってくれてる感じで話しやすくて、徐々に俺も心を開くようになっていた。  他にも同年代の役者がたくさんいる中で、なんで愛梨が俺にばかり話しかけてきてくれるのか疑問ではあったけど。  同じ“アイドル”という立場の人は他にいなかったし、少しずつ悩みも共有できる存在になっていった。  3カ月間のドラマ撮影が無事に終わり、打ち上げの日に告白されて、俺たちは付き合い始めた。  この業界に入ってからは愛梨が初めての彼女だったけど、ファンに対して後ろめたい気持ちなどは、正直少しもなかった。  もちろん、応援してくれることには感謝してる。ファンが大切な存在なのは確かだ。  でも俺の中で、ファンの為に自分の生き方を犠牲にすることには疑問があった。  俺には俺の人生がある。恋愛だって自由だと思う。そもそもこの仕事、好き好んでやってるわけじゃないし。そんな考えがいつも頭にあった。 『彼女なんて一度もいたことないですよ』 『俺たちはファンの皆さんのものなんで』  雑誌のインタビューなどで嘘を付くのだけは、いつだって少し胸が傷んだ。  大切にしたい人たちを大切にできていないような、矛盾した言動を取らないといけないことが、自分自身すごく嫌だった。でもこれも仕事だと割り切るしかなかった。 「光のお陰で、今の私があるんだよ」  付き合って間もない頃から、愛梨はいつも口癖のようにそう言っていた───  ──俺がその言葉の深い意味を知ったのは、付き合い始めて1カ月経った頃だった。  ドラマの効果もあってか、世間からの人気が高まっていくのを俺自身も肌で感じていた。休みなんてほとんどなく、ものすごく多忙な毎日を過ごしていた。  一方の愛梨も、急速に人気に火がついて、尋常じゃなく忙しそうだった。そもそもアイドル同士の交際なんて絶対に世間にバレてはいけないし、簡単に会うことなんてできない。  付き合うことにはなったものの、愛梨とはほとんど会えていなかった。目の前の仕事のことで頭がいっぱいで、すごく会いたいという気持ちにも別にならなかった。  でも、愛梨が頻繁に連絡をくれて、俺も気が向いたら返すという形で、会えないなりに関係は続いていた。  そんな中、たまたま撮影が早く終わった日があり、愛梨も午後はオフだと聞いていたから、付き合い始めてから初めて会えることになった。  結局、芸能人同士の交際なんて堂々と街へ出かけることはできないし、昼から個室の居酒屋に飲みに行くわけにもいかない。消去法で、どちらかの家で会おうということになった。  愛梨が「うちに来ていいよ」と言ってくれたから、変装して彼女の家へと向かった。  部屋で俺が買って行ったお菓子を食べながら、他愛もない話をしていた時のこと。 「光は、どうしてアイドルになったの?」 「……俺は……金がなかったから」 「え?お金のためにアイドルになったの?」 「……うん」  愛梨はちょっと残念そうな顔をしてたけど、これが俺の本音なんだから、仕方がない。 ───俺がこの世界に入った理由……ある事情で、どうしても早く働いて自立したかったからだ。  その想いが募り募って、中学3年の時、俺はとある有名ホストクラブの門を叩いた。地元で一番有名なそのホストクラブは、入り口に派手なお兄さんたちの写真がズラリと並んでいた。  恐る恐る入り口の扉を開くと、店員らしき男の人が驚いた様子で近づいてくる。 「きみ、何しに来……」 「ここで働かせてください!!」  店員さんの質問も聞かず、俺はそう言った。  何度も言い続けると、バックヤードと呼ばれている所の一番奥にある小さい部屋に案内された。 「……どうしてここで働きたい?」  どっしりとしたオーラを放つその人は、どうやらこのホストクラブのオーナーらしい。黒い世界の如何にもっぽい風貌をしていて、ちょっと足がすくんだ。 「……お金が……ほしくて」 「なんで?」 「……自立したい」  オーナーは次々と俺に質問をした。年齢、生い立ち、なんで自立したいのか。  聞かれたことすべてに、俺は全力で答えた。何を言ってもオーナーの反応は薄く感じた。 「……名前は?」  さんざん質問された最後、名前を聞かれて。 「……光です」 「ひかる?!」  オーナーが初めて大きな反応をしたもんだから、びっくりして飛び上がりそうになった。でもその時、オーナーの俺を見る目に、光が宿ったような気がした。 「……ここはホストクラブだ。ホストクラブって何する所か知ってるか?」 「知りません。たくさんお金を稼げるところだと聞きました」 「……お前はまだ中学生だ。酒も飲めないし、ここで働かせるわけにはいかねぇんだよ」 「…………」  ホストクラブというものが、女性相手にお酒を飲むところだと、俺はこのとき初めて知った。そもそも中学生はどこであろうと働かせてもらえないことは、既に分かっていた。  でもなんとなく、ここは普通じゃない世界な気がしたから。夜の街なら雇ってくれるのかもしれないと思ったのに。 「ここでは無理だが……お前に良い仕事、紹介してやるよ」  オーナーは鋭い目でそう言い放って、その翌日、俺を東京へと連れ出した。  後々聞いた話だと、以前ここのホストクラブで人気No.1だった人の源氏名が「ヒカル」だったらしい。オーナーが誰よりも目にかけていた存在だったけど、突然辞めてしまったそうだ。  最初から俺の容姿を見た瞬間に売れそうだと思った、と何かのインタビューでオーナーが言ってくれてるのを見たけど、本当かどうかは分からない。  もしかしたら、ただ俺の名前に、運命的なものを感じただけなのかもしれない。  その日から俺は、オーナーが東京で経営している芸能事務所での活動をスタートした。GSとしてデビューするまでの5年間は、俗に言う下積みのような感じだったけど、一人で暮らせる分の収入ぐらいは貰えていた。  だから、与えられた仕事はなんでも頑張った──   「……──愛梨は?」 「え?」 「なんでこの世界入ったの?」  質問を返しただけのつもりだった。なんの違和感もない会話の流れだったはずなのに……愛梨は急に深刻そうな表情に変わった。 「……引かない?」 「え……そんな引くようなことある?」  何を言おうとしてるのか、まったく見当が付かなかった。  愛梨は迷ってたみたいだったけど、引くに引けなくなったらしい。  クローゼットの前に立つと、ふ~っと深呼吸をして。  ゆっくり扉を引いた。 「………………なにこれ」  思考が、フリーズした。  愛梨が開けたクローゼットの中からは、Glowing StarsのCDやグッズが、大量に出てきたのだ。綺麗に整理整頓されて、CDも各種3枚ずつぴっちりと並べられている。  うちわもポスターも、俺の知る限りすべて揃っているように見える。  それだけじゃなかった。  15歳から活動してきた下積み時代の雑誌も。ほんの1分だけ端役で出演した記憶のある映画のDVDも……。  グッズの棚の前で頬を赤らめる愛梨に対して……  俺は嬉しさよりも、恐怖に似た感情を抱いていた。 「愛梨ね、ずっと前から光のことが大好きなの。デビュー前からずっと応援してた。光に気持ち伝えたくて、仲良くなりたくて、この世界に入ったの」 「………………え……」  そんな理由で実際に愛梨自身もデビューして、アイドルとして活躍できているわけで。おまけに今、俺と付き合ってる。  その熱意と努力は、恐ろしいくらい凄いと思った。 「光はね………私の初めての推しで、最愛の推しで、初恋の人なんだよ」  なぜだろう……。そんなに想い続けていてくれたこと、喜ぶべきなのかもしれないけど。  正直、かなり複雑な気分だった。  俺には推しなんていたこともないから、そもそもファンの人達がどんな感情でいつも俺を応援してくれてるのか、想像も付かない。  ましてや、会ったこともない人間に恋愛感情を持つ心理は、完全に俺の理解を越えていた。  でも、愛梨いわく、推しへの好きと恋の好きは一緒だということだった。  愛梨との出会いを思い出すと、合点がいくこともいろいろとあった。ドラマの撮影中、俺だけにやたらと話しかけてきた理由も。  愛梨は俺と共演したあのドラマと同時期に、主演ドラマの依頼があったらしいけど、断ったという話も噂で聞いていた。  すべては俺に近づくためだったのか……。そんな風に考えてしまい、純粋に彼女の好意を喜んで受け止めることができない自分もいた。  でも、それで完全に引いてしまったのかというとそういう訳でもなくて、そこからもそれなりに付き合いは続いていた。 ───付き合って半年が経った頃…… 『ねぇ、そろそろ光の家行きたいな~。いつになったら呼んでくれるの?』 『……あぁ、まぁそのうちね』  相変わらずお互い超多忙だったこともあって、その後もほとんど会っていなかった俺たちだったけど、電話する度に「家に行きたい」という愛梨の願いをそろそろ聞いてあげようかと、オフが合った日に愛梨を自宅に呼んだ。  元々、わりと潔癖なところがあって、人を自宅に呼ぶのがあまり好きじゃない俺は、正直あまり気乗りしなかったけど。彼女だし、このまま呼ばないのも確かにおかしい気がして、仕方なく。 「わ〜!すごーい♡♡」  部屋に着くなり、彼女は俺の家中を探索し始める。 「光のお部屋って、案外、物少ないんだね♡」  嬉しそうに、キッチンやら風呂場やら、ウロチョロしていた。部屋を見られても別に困るものもないし、好き勝手にさせて、俺はリビングのソファに座って愛梨が戻ってくるのを待っていた。 「……ねぇ、何これ?」  さっきまでのテンションとは何処か違って、ちょっとぎこちない声がして。愛梨は少し怪訝そうな顔をしながら、紙袋を俺のところまで運んできた。 「ファンレター、ちゃんと取ってあるんだね」 「……あぁ、うん」 「愛梨のは取っといてくれてないみたいだけど~?」 「………」  長年俺のファンだったという愛梨。ファンレターも出していたと言っていた。  よくよく思い返せば、何度か同名のファンレターを貰ったような記憶も薄っすらとある。  でも俺の手元に愛梨のファンレターは残してない。  “愛梨の”というか……。この、紫陽花柄のレターセットのしか、取っておいていないから。 「……知り合いなの?この人」 「いや……違うけど」 「………へぇ、そうなんだ。……変なの」  少しだけ不機嫌になっていたけど、結局、愛梨はそれっきり深くは聞いて来なかった。  愛梨との付き合いはそれからも続いたけど、お互いの忙しさゆえ大して会えなかった。今になって思えば、俺自身、最初から愛梨への想いはそれほど強くなかったのかもしれない。  彼女は若手のアイドルの中ではトップクラスに真面目だと業界内で有名だった。  実際に俺も愛梨のプロ意識の高さは感じていたし、尊敬もしていた。  芸能界はそんなに甘くない。いくら努力したって、実力があったって、必ずしも売れるとは限らない。  俺に近づくためとはいえ、ちゃんとこの世界で活躍してる愛梨は、運も良いのだろうなと客観的に見ていた。  でも……実際は…… ───その日、久しぶりにメンバー全員で生出演の歌番組があった。  歌唱までの待ち時間…… 「なぁ~、光、知ってる?」 「ん、なに?」 「白鳥愛梨の秘密」  メンバーの嵐が、ニヤニヤしながら聞いてきた。芸能界のニュースに敏感な嵐。ネットニュースを俺に見せようと、何やらスマホをタップしている。  俺は、司をチラッと見た。メンバーで唯一、愛梨と俺の交際を知っている司。バチッと目が合うと、複雑な顔で首を僅かに傾げている。 「ほら、見てこれ!!《白鳥愛梨、闇の枕営業》って、これ!!」 「…………」 「あぁ、それ、ガチらしいな」 「うん、俺も聞いたことある」 「…………」  メンバーの泉と圭も、話に乗っかってくる。 「…………まじかよ」  正直、ショックだった。現場で一緒だったプロデューサーや監督たちの顔が次々と浮かんでくる。  全部が全部、真実かは分からないけど。  記事によるとデビュー作の映画も初出演したドラマも、どの作品もプロデューサーと寝ることで獲得したらしい。  俺はショックを受けた一方…そうゆうことか、と。  そうだよな。やっぱりそんなに上手くいくはずないんだよな、この世界、と……。  そんな風に妙に納得してしまう自分がいた。 「……実は俺も聞いたことあったんだよね」  歌番組終了後、二人になった時に司は言った。 「ごめん、黙ってて」 「…………いや」  すごく周りに気を遣う司のことだから、俺のために黙っていてくれたんだろう。  それに、事実かどうかもまだ愛梨に聞いてみないと分かんないし。全部ただのでっちあげかもしれないじゃん。 ─── ─────── ……て、信じようとしていたその時の俺の期待は、今さっきの愛梨のリアクションによって、全て打ち砕かれる形になったんだ。  腹が立った。彼女の夢と引き換えに、愛梨に手を出した腐った大人たちにも。そんなことが本当に有り得てしまうこの業界にも。  そして、自分の身体を売ってまで俺に近づこうとした、愛梨にも。  自宅に着くと、風呂にも入らずソファーで寝ていた。変な体勢で寝てたせいで、首が痛ぇ。  久々のオフなのに散々だなぁ。やっぱり恋愛ってめんどくさい。特にファンなんて、もううんざりだ。  結局ファンってゆうのは、本当の俺のことなんか好きじゃないんだろう。  アイドルの俺が好きなだけ。……アイドルの俺が。  だから愛梨みたいに自分のエゴをぶつけてくるんだ。 ────────────────── でも、光くんも一人の人間なんだから 人としていつか幸せになってほしいな。 嘘も噂も信じません。 ただ、光くんが幸せなら私も幸せです。 ────────────────── ………あの人以外は、みんなそう。  なんとなくムシャクシャして家でじっとしていられなくて。俺はあてもなく一人でドライブに行くことにした。 ───ピコンッ……  車を発進しようとしたその時、タイミングよくスマホが鳴る。ロック画面に表示された懐かしい名前とメッセージ。 『元気か?』 『たまには顔見せに来い』  俺はすぐさまメッセージアプリを開き、返信を打つ。同時に、頭の中で目的地までのルート検索を始めていた───
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