16.成長

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16.成長

 アスターの勉強用というべき肉を食べ終わってから、プテリスはふぅと息を吐いた。アスターの顔を見てみれば、どこか晴れ晴れとした表情をしている。何かしらの理解には至ったのか。 「楽しかったか?」 「いいえ」 「じゃあ学習にはなったか?」 「まぁ、はい」  何のだ、とプテリスが肩をすくめて笑う。前者の質問に対しては想像がつく。だが後者の質問で、意外な答えが返ってきたのだから、プテリスは思わず否定的な反応をしてしまう。  一方アスターはいくらか思考を巡らせたようにじっと行動をやめてから、とても自然な動きでプテリスを見上げた。 「まずは力加減。僕は戦闘や家事はできます。しかしそれらはプログラミングにより生地の柔らかさや戦闘における出力が決められているからです。なので、人間が食すべき物体の準備はできても、自分が食す側となって力を加えるというプログラムはされていませんでした。かなり広範囲をカバーできるアンドロイドとして作成されたため、テーブルマナーの形態ならば可能でも、あの通り皿を割ってしまうくらいには現場の加減というものが出来ませんでした。それを知ることが出来た。実際のカトラリーと食材の硬質についてを知ることが出来たのは、学習の一つでしょう」  つらつらと並べる言葉は堅苦しいが、要はは座学と実践の違いを目の当たりにしたということである。綺麗なほどパキリと割れてしまった皿が示す通り、アスターのみ目に反した力はテーブル上に犠牲をもたらした。 「また味を知っても僕には影響がないというとこが分かりました。そして、ご主人様が満足感を得る基準や、何をもって食事という行為を行っているのかを再認識できました。拙くとも感じる感覚と、一つでも腹にたまって息を吐く様子から満腹や八分目をさらに推定できました」  それは今までで十分に得ているのではないか、とプテリスが首をかしげていれば、アスターは言葉の整理が終わったように流暢に言葉を発する。 「ご主人様の食事は一人分よりも、他人といる方が早く満腹になるのだと分かりました」  アスターの言葉は全く持って予想外であった。そんなに早かっただろうかと、テーブルの上を見直して困惑を深めていく。いうほど多くない。一人前の半分程度しか用意していないのだから。ようやっと腹にたまってきたくらいがせいぜいだろう。なのにアスターは満腹の気配を感じ取っているかのように、普段通りの躊躇いのない視線を向けながら言ってきた。どういうことなのかと問おうとして、言葉を引っ込める。上手に言い訳も出てこなかったのだから、突くだけ無意味である。  そうか、とだけ紡いで終わってしまえば、後はいつものように静かな気配が漂うだけである。だが今日はいつにもまして、シェルターの中の冷たさが見下ろしているように思え、見知った空間なのによそよそしさを覚えてしまった。  食器を洗ったり、割れてしまった物を片付けたりしながらいつも通りの何でもない時間を過ごす。だが、どうしても質問がしたくなり、アスターへと顔を向ける。 「なんで、えー、食べさせることをした?えっと、いわゆる『あーん』ってやつ」  しばし回答に戸惑ったアスターは体を硬直させながら、ジジジ、と眼球をゆっくり左右に動かしていく。思考が定まったようにまっすぐ目線を向ける黒い目に迷いはなかった。 「僕が、そうしたいと思ったからです。僕にとってご主人様は庇護対象だから、かもしれません」 「……それって、俺はひな鳥じゃねえか?」 「ある種そうかもしれませんが、下に見ているわけではありませんよ」 「あぁ、そうなのかもしれねぇけどよ」  守られる、という意味合いだけで言えば、全く持ってその通りではある。だが彼は主従的な関係。命令を下す側と請け負うかがを徹底しているのだから、今まで行っていたことを再認識させられるだけだ。  しかしどこか、今まで通りとは言い難いものを感じる。庇護というには範囲の変わったような気配だ。アスター自身がこの行為を文化的だとか昔にもあった行為だとして認識しているのだとしたら、娯楽品ではない彼の異質さが酷く付きまとう。  いや、これの答えは見えているようなものである。アスターは娯楽のためのアンドロイドでは無いし、この行為についてを想起させたのはやっていくらかしてである。つまり最初から意図的に、人間の気分を変化させるために行ったものではなく、ごくごく自然に、彼の行動としてなされた行為なのだ。  プテリスはどうしてあれをしたのかが理解できない。考えれば考えるほど、あれがアスターの意思であったような気がしてくる。プテリスにとってそれは喜ばしい事なのかもしれない。 「改めて聞くが、今日の食事はどう感じた?」  プテリスの無茶ぶりに近しい問いかけは、しばらく思考の時間を要させる。 「一口ずつ口にしていきながら、必死にものを伝えようとする様は、何と言うべきなのでしょう……カワイイ?なと思いましたね」 「本当に庇護対象に対してのやつじゃねえか」  面白いほどに曲がりがないと笑っていれば、アスターは少しばかり首を傾げた。  まばたきをした機構の中には、アスターが食べられない食事を一口ずつ頑張って行くプテリスの様子が思い出されているのかもしれない。親鳥がひな鳥に食事を与えるような事をしつつ、プテリスが人間としての味覚を伝えようと頭をひねって眉間にしわを寄せる姿。ただ食べるだけでなく、表情や動作でものを伝えようとする行為は、アスターにとっては大げさに親に伝えようとする子供のように見えるのかもしれない。  成長するというのは、他人よりも跳躍しているように感じることがあるから。アンドロイドにも同じ感覚があるのかは分からないが、彼は成長中なのだと思えば、面白いくらいにある種納得も出来そうではあった。  もし他の感情があったとしても、アスターはまだ自覚は難しい。存在している事に気付いているかもわからないのならば、プテリスも教えることだってできやしないのだ。食後の何もない時間のように、味覚の気配を喉の奥に感じ取る瞬間は思い出すほどに長引いていくものだった。
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