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4.突然の訪問者
ある日の夜。プテリスはガンガンと扉を叩く騒がしい音で目を覚ました。まだ日は登っていない。ぼんやりとした意識のまま、扉の前へと足を運ぶ。扉の向こうからは悲痛な叫び声が聞こえていた。
「助けてくれ!!誰か!中にいるんだろ!?なあ!助けてくれ!」
アスターがスッと姿勢を低くし、警戒態勢に入る。
「排除しますか?」
カッと開かれた瞳がぐるりとプテリスに向けられる。その瞳に慈悲などなく、命令が下されれば今すぐにでも、という様子であった。
「いや、待て」
今にも扉の向こうに飛び出しそうなアスターに静止の声をかける。プテリスとて変に事件は起こしたくない。他人の命などどうでもいいが、面倒な事はごめんだった。
「分かった。分かったから。今扉を開けるからそのガンガンうるさい音を止めてくれ」
「ああ、ありがとう……恩にきるよ」
そう声がすると、扉を叩く音がスッとなくなった。慎重にロックを解除していく。ガタンと音が鳴り、シェルターの扉が開かれる。男がシェルターの中へ足を一歩踏み入れた瞬間、アスターは男の足を引っかけ、グッと胸ぐらをつかむと素早い動きで男を床へ転がした。シューッとシェルターの扉が閉められ、アスターが男の体の上にドスンと座る。
「うっ……おっも!……お前、アンドロイドかよ」
「少しでも妙な動きを見せれば、今ここでお前を殺す」
どこから取り出したのか、アスターは男の首筋にスッとナイフをあてた。まばたきは一切なく、大きく開かれた黒い瞳は男の一挙一動を全て映していた。
「待て待てアスター!一旦落ち着け」
「はい」
プテリスに声をかけられ、アスターは男の首からナイフを外す。しかし体は相変わらず男に馬乗りになったままだ。身動き取れない男を見下ろし、プテリスは声をかける。
「お前が危害を加えない、裏切らない事が前提条件だ。飲める気がしないならここから離れろ。死にそうなのは皆一緒だ」
「わ、分かった!絶対に危害は加えない!」
男は少し怯えた様子で何度も頷いた。
男の言い分はこうだった。集団シェルターの中で生活していたところ、食料が残りわずかになり、残りの食糧をめぐって喧嘩になった。喧嘩の末、自分がそのシェルターを出ることになり、マスクをつけてあてもなく彷徨っていた。そこで運悪く戦闘用ロボットにかち合い、命からがらこのシェルターに逃げてきた。
「……つまり、今この近くで戦闘用ロボットがうろうろしている、と」
「……はい。すみません」
男は申し訳なさそうに頭を下げる。謝られても現状は変わらない。これは面倒な事になったなとプテリスはため息を吐いた。
「僕が壊してきましょうか?」
何食わぬ顔でアスターが尋ねる。片手にはいつの間にやら銃が握られていた。
「いーや、お前が壊れた時の方が面倒だ。行かなくていい」
「……分かりました」
ほんの少し間をあけて、アスターが返事をする。いつも聞き分けの良いアスターだが、何か不満そうなのは珍しい。少し不思議に思いながら、男の方へ目を向ける。
「一晩だけ泊めてやる。救急セットはそこにあるから怪我は自分で何とかしろ」
「ありがとう!助かるよ!」
感謝する男を一瞥し、未だ警戒を解かないアスターへ耳打ちする。
「明日以降、再三くるようなら近所の空き家でも教えてやれ」
「了解しました」
その晩、一つ増えたいびきを聞きながらプテリスは眠りについた。
プテリスは少しずつ自身の意識が覚醒していくのを感じていた。そろそろ朝だろうか。いつもならアスターが起こしに来てくれるが、今日はやけに静かだった。そう、静かすぎるのだ。
「アスター?」
ふと嫌な予感が頭をよぎる。急いで体を起こし、アスターを呼ぶ。返事はない。それに、昨晩床で寝ていたはずの男の姿も見当たらない。
「アスター!」
人型アンドロイドは高級品だ。盗もうとする奴らなどいくらでもいる。普段のアスターならそんな奴らなど返り討ちにしているが……
「……っくそ!」
慌てて扉の方へ向かう。ロックを解除して扉を開けようとした時、勝手に扉が開いた。
「何をしているのですかご主人様」
不思議そうな顔をしたアスターがそこには立っていた。
「マスクもつけずに外に出ようとしていたのですか?人間のご主人様にとってそれはあまりにも自殺行為かと思いますが」
「あ……」
プテリスは自分の顔を触り、マスクを着けていなかったことに気付いた。
「とりあえず部屋の方に戻りましょう。朝食の準備もしますから」
「そんな事より、お前は一体何があった!?昨晩来た男は?」
黒い瞳がプテリスを見つめる。少しの沈黙の後、アスターは感情のない声でこう答えた。
「今朝、男が突然僕を持ち出し、このシェルターから出ようとしていたため、男がシェルターを出たところで反撃し、戦闘機の前に放置してきました。これでご主人様が責められるようなこともありません。誰かが死体を見ても戦闘機に殺されただけだと思うでしょう」
顔色一つ変えることなく、アスターは語る。ただ事実を伝えているだけであり、そこには何の感情も感じられなかった。
「……アスターは、どこか傷がついたりはしてないか?」
「はい。どこも故障はありません。ただし、男の返り血がついているので、少々汚れているかと思います」
プテリスの口から深い深いため息が出た。
「ご主人様?」
怒られるのかとアスターが考えた時、プテリスの大きな手がアスターの頭を不器用に撫でた。突然の出来事に、アスターはどうしたらいいのか分からず、静止する。
「おかえり」
それは、ぶっきらぼうながらも温かみのある声だった。
アスターが朝食の準備をしている音を聞きながら、プテリスは自分の心が落ち着いていくのを感じていた。朝、アスターがその場にいないのを確認した時は頭が真っ白になったが、今はそれがきちんと帰ってきている。そして冷静になった頭でプテリスは考えた。
「アスターお前が攫われたとき、どうして叫ばなかったんだ」
調理場に向かって声をかける。
「ご主人様は寝ていらしたので。睡眠の邪魔をしては悪いかと」
大体予想通りの答えが返ってきた。
「次からは遠慮なく全力で叫べ」
「どうしてですか?僕ならご主人様より強いですし、人間相手なら一人でなんとかできます」
「そうだとしても、変に傷が増えたり劣化したりしたらどうするんだ。俺は専門家じゃねえんだから限度がある。それに……」
「それに……なんでしょう」
プテリスはムッと口を結ぶと少し苛立ったように眉間にしわを寄せた。アスターは出来上がった朝食を運びながら、まっすぐにプテリスを見つめる。
「いや、なんでもねえ」
アスターの持ってきた盆を少し乱暴に受け取ると、プテリスはむしゃむしゃとパンにかじりついた。しばらく無言の時間が続き、パンが半分になったところでプテリスがピタリと動きを止めた。
「……俺を護衛するんなら、俺が生き残るためにもお前がそこに居ないとだめだろうが」
「……はい」
プテリスは顔をそむけたまま、またムシャムシャとパンをかじる。アスターはその様子を見ながら、不思議そうに己の胸に手を当てていた。
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