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6.正論はいつだって人を傷つける
静まり返った夜、シェルターではカチャカチャと機械を弄る音が響いていた。
「今回は何とか俺の手で修理できる範囲だったから良かったものの、ほんと勘弁しろよな」
「はい。しかし、あの場ではあれが最善だったと思います」
「分かってるよ。ありがとうな」
プテリスを抱えて戦闘機から逃げ出した後、思っていたよりアスターの足は故障していた。幸い部品の欠損は無く、少し関節の金属が歪んでいた程度だったため、プテリスに修理をしてもらえばすぐ元通りとなった。
「ありがとうございます。ご主人様は今日色々あって疲れているでしょう。なので今日は少し多めに夕飯を作りますね」
「いや、お前こそ今日は休んでもいいんだぞ」
「いいえ。そう言ってご主人様は食べずに寝るつもりでしょう?ご主人様はもっときちんとご飯を召し上がるべきです」
プテリスと最初に出会ったときなんか、まともに食事をとっていないせいで健康的な成人男性の平均体重を大きく下回っていた。最近こそ少しマシになってきてはいるが、少し油断するとすぐにご飯を後回しにしてしまう人だ。アスターの使命は主人の命を守る事。栄養不足で死なれてはたまらない。
「分かったよ。じゃあ頼む」
「はい」
観念したようにプテリスが眉を下げる。今日は材料もそろっているし、シチューでも作ろうか。そう考えながら調理場へ行く。
しばらくして、シチューの具材がぐつぐつと煮えてきたころ、部屋の方からプテリスの叫び声が聞こえてきた。
「無い!無い!!」
「どうしたのですか?ご主人様」
火を止めてプテリスの様子を確認する。見てみると、プテリスが部屋中のあらゆるものをひっくり返している。これではせっかく片付けていた部屋が台無しだ。
「落ち着いてください。ご主人様。一体何が無いのですか」
「……写真だ。今日撮った写真が無いんだ」
普段はあまり表情を変えないプテリスだが、この時ばかりは真っ青になっていた。プテリスのカメラはとった直後に写真に現像される。そのため、プテリスが写真を撮る時は必ず写真を入れるためのアルバムも一緒に持っていた。今日もいつもと同じようにプテリスはアルバムを持っていた。しかし、そのアルバムの中に無いとなると……
「あの時だ……あの戦闘の時に写真を落としたんだ……」
朦朧とした様子でプテリスは立ち上がる。そしてそのまま扉の方へ向かった。そんな状態の主人を見過ごせるはずもなく、ロックを解除しようとしていた手をサッと握る。
「ご主人様。外はもう暗いです。この状態で外に出るのは危険だと思います」
「だが!明日になれば写真が見つからないかもしれない!早く探しに行かないともう残っていないかもしれない!」
必死に訴えるプテリスを見つめる。今のプテリスは冷静さを欠いている。この状態で外に行くのはやはり危険だ。
「明日の朝行きましょう。それでも見つからなければ、もう一度同じ写真を撮ればいいのです」
「同じ写真なんてない。写真が残すそれは、一回限りの物なんだ!」
「どうして残す事にそんなにこだわるのですか。あれはただの紙です」
アスターがそう言った瞬間、プテリスの瞳の奥でギラリと何かが光るのが見えた気がした。プテリスはグッと歯を食いしばり、こぶしをわなわなと震わせ、やがて脱力した。
「そうだな……お前にとっては、ただの紙切れだろうな。でも、俺が信じてるのはその紙切れなんだ」
プテリスは笑っていた。しかし、ひどく歪な笑みであった。何かを間違えた。アスターの中にあるコミュニケーションシステムがエラーを起こしている。どうすればいいのだろうか。……分からない。
「ご、ご主人様。僕は何か失言を……」
とりあえず自分がご主人様を不快にさせたのだ。謝らなくては。そう思ったアスターの発言を拒否するようにプテリスはぴしゃりと遮った。
「謝らなくていい」
「しかし……」
「心にもない謝罪は、いらない」
心にもない。当然だ。アスターはアンドロイドなのだから。プテリスが今、怒っているのか、悲しんでいるのか、傷ついているのか、それすらもアスターには分からない。それに対して、アスターが申し訳ないと思っているかなんて、アスターにも分からない。謝らなくてはと思ったのも、そういう風にプログラムされているからだ。分からない。分からない。分からない……
シチューの入った鍋からは白い湯気が立っていた。
その後プテリスはシチューの完成を待つことなく布団に入ってしまった。アスターは鍋にふたをして、部屋の電気を落とす。
(どうすればいいのだろう)
暗闇の中、そればかりをずっと考えていた。
日付が変わり、外が明るくなってきた頃。アスターはキシキシと節々から音を出す体を引きずり、シェルターの扉を開けた。まだぐっすりと眠っている主人の横へはいずり、声をかける。
「ご主人様……朝、ですよ」
「…………んぁ?……ふわあぁ……って、どうしたんだアスター!?」
プテリスは床に横たわるアスターを見て声をあげた。
「なんでこんなにボロボロになってるんだ!?昨晩はそんな事なかっただろう!」
「少し戦闘機との戦闘がありまして……それよりご主人様。これ、ありましたよ」
金属がむき出しになった腕で何とかそれを差し出す。
「これは……」
それは、昨日プテリスが無くしたと言っていた写真だった。
「戦闘の際に少し汚れてしまって、申し訳ないのですが」
「お前、これを一晩中探してたのか」
「はい。昨日はあまり風が吹いていなかったため、墓石の近くですぐに見つけられました」
「俺には危ないと言っておいて、どうして!」
「僕にはこの写真の価値は分かりません。しかし、ご主人様にとってそれは、危険を冒してでも探しに行きたい物だったのでしょう?その事を理解せず、僕はご主人様に不適切な事を言いました。しかし、僕には心から謝るということが出来ません。だから……」
アスターがそう語っていた途中、プテリスがアスターの体をぎゅっと抱きしめた。
「ご主人様、現在僕の体は土や泥で大変汚れています。触れることはあまりお勧めしません」
「いいんだ……」
震えた声でプテリスが言う。
「ご主人様。泣いているのですか?どこか痛みますか?」
「泣いてない」
「しかし」
「泣いてない!」
「はい」
その後、プテリスのアルバムには土に汚れて紙の節々が破れた写真が一枚、入れられていた。
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