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7.ギルバート
「戦闘の際に少し汚れてしまって、申し訳ないのですが」
アスターが一枚の写真を差し出した。鉄がむき出しになり僅かに静電気が散っている腕でしっかりと握られた写真は、多少の土埃をかぶりながらも美しいままだった。昨日撮影した『アスターの花』であり、戦闘機との遭遇により紛失していたものである。無いと知った時はひどく慌ててしまい、かなり大人げない事を言った。夢にまで見てしまうほど、今となっては後悔している。
それが、彼が、アスターが持って帰ってきた。喜びと同時に痛々しい姿に表情が歪む。昨日かけた言葉のせいである事も、自分が”主人”であるからこそ彼にそうさせたことも分かっていた。写真は大事だがアスターにこんな姿になって欲しいとはつゆほども思っていなかった。まばたきが増え、涙が出ようとしているのが分かる。
「僕にはこの写真の価値は分かりません。しかし、ご主人様にとっては危険を冒してでも探しに行きたいものだったのでしょう?その事を理解せず、僕はご主人様に不適切な事を言いました。しかし、僕には心から謝るという事ができません。だから……」
もういい、精一杯なのは分かった。プテリスは声に出すよりも先に体が動いていた。ぎゅっと彼を抱きしめる。ぱちり、と指先に静電気の痛みが走ったけれど、腕の力を解く理由にはならない。彼がどこまでもまっすぐで素直で、見た目の様に、もしくは見た目以上に純粋な事がよく染みた。ここまで純粋でまっすぐな行いをただどうだっていいと放っておく理由などない。プテリスは歯を食いしばりながらもいくらか涙がこぼれたのを自覚して、アスターに悟られないように虚勢を張っていた。
ありがとうという言葉が聞こえたかも分からない頃、アスターが活動継続困難なエラーを口にし始める。流石に付け焼刃程度の知識ではどうにもならず、プテリスはアスターの手を引いてマスクを着けた。すぐさまシェルターを出る。
「歩くことを優先しろ。護衛としての機能は一旦セーブしておけ。あと返答も最低限で構わない」
「了解、しました」
一瞬の躊躇いの後、短い返答をした。アスターは何も言わず、ただひたすらプテリスに手を引かれて歩いている。瞬きもせず、腕や姿勢もほぼ変わらない。足だけが素直に歩いているという、人間的ではない動きは彼の本心ではないだろう。
さて、アスターに本心というものがあるのか、と一瞬自分の思考にまばたきをする。だがすぐに今考える事ではないと首を振る。プテリスは道を迂回したり戦闘機と地雷に警戒したりしながら、一人の老人の元へと向かっていた。
シェルターの戸を四回ノックし、足元を二回蹴る。五秒ほど待てば、ぎぃと戸が開かれた。人影を認識するよりも先に、早口気味にプテリスは喋りだす。
「ギル、アスターが戦闘機との戦闘で重傷を負った。報酬は出来るだけこたえるから、直してくれ」
現れた老人、というにはまだ快活で元気のいい初老の男性はプテリスの横にいるアスターを見ると「入りなさい」と案内した。
”ギル”ことギルバートは技術職の男性である。元々手先を動かすことが好きだったらしく、始めはプラモデル。次にいらない電子機器の分解と再設計。年齢が上がるにつれて回路について勉強したり、自己流の組み立て方を作り上げては同級生どころか教師も驚かせるものを作っていた。しかし本人は周りの評価にさほど興味が無いらしかった。
戦争になる前は街の修理屋のような仕事をしていたらしく、腕は確かだ。最初のボロボロの姿だったアスターを直してくれたのも彼だった。そのためアスターとしても顔なじみであり、ロボットの医者のような存在として、一定の信頼を置いている。
ギルバートはアスターの様子を見て、からりと笑った。難しいものや一時間そこらで直らないものを見ると、ギルバートはご機嫌になるのだ。一度変態的だと指摘をしたら「お前も写真をもって食料を欠かすなんてことしてるくせになぁ」と言われたため、それ以降は何も言わないようにしている。
「アスター、ギルバートへの返答はできるだけしてくれ」
「はい」
「よぉく躾られてるもんで」
「そうじゃねぇつってんだろ」
ケタケタと笑うのをじとりと見下ろしてから、プテリスはアスターの顔を見る。人間では無いのだから血色が悪いことはない。彼の皮膚はただの合成樹皮やらの類であり、土で汚れこそすれ基本的な色は昨日と同じである。目もほぼ真っ黒と言っていいほど黒いため、異常を察する事は難しい。
ただ、視線が定まっていない事は分かる。それは単に、プテリスの命令が『護衛を抑えろ』と『ギルバートへできるだけ返答しろ』というものであるため、周りを認識する必要が無いのだろう。という事が分かってはいてもプテリスは心配で口先が結われていく。
アスターが直らない可能性は正直あまり考えてはいない。ギルバートが技術者である事もあるが、いくらか長い時間を共にしている存在が、唐突にいなくなる可能性を考慮していなかった。希望的観測である。きっと直る。高くつくだろうが、ともにシェルターで過ごす日々がやっぱり来る、と。そう信じていた。
「報酬はどれくらい必要だ?」
「あーこれはねぇ、そうねぇ。ベリー系の缶詰とポーク系の缶詰、食い切った者でもいいからそれは最低限必要だな。あと燃料オイル、これはライター程度の物でもいいが、量がありそうならマッチ箱は一つ用意してくれ。あとはそうさなぁ、廃屋とかで見つかった時計とかできるだけ持ってきてくれ。アルミとかが欲しいんだ」
一見とんちんかんな彼の要求もきっと必要な物なのだろう。こんな地上で煙の上がりそうなことをするなんて、と思わないでもないが、それが彼の楽しみなのだ。
「わかった。ついでに飯が多く回収できそうなら、もってくから」
「おぉ、頼んだぞ。さて……そうだな、三日か五日ほどしたら来てくれ。しっかり直してやろう」
「よろしく頼むぞ」
プテリスはアスターを一瞥し、軽く頭をなでてやってから出口へと向かう。アスターがギギギ、と顔をあげようとしたのも分かっていながら、歩みは止めなかった。
「にしても、なぁにをしてこんなになるかねぇ。戦闘って言ったって、得意分野だろうに」
プテリスはその言葉には答えなかった。プテリスの写真のことを話したって、きっと彼には理解しきれないか、面白い話にしかならないだろうから。
悪い人ではない。だが、高性能なアンドロイドが負傷してまでするのが『紙切れ一枚』のためなんて普通は思わないだろうし、盛った冗談だと思うだろう。どんな形であれ、アスターの誠意を笑われたくはなかった。
「またな」
プテリスはシェルターを出る。一人では特に危ない帰り道も、迷うことなく確かな道を選んで帰っていった。
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