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2.
「マザコン……」
絵里奈はそう言った。もう6年も前のことなのに善行はその言葉を思い出すたびに針で刺されたような痛みを胸に感じる。実家を出てひとり暮らしを始めたのは都内の大学に進学したのがきっかけだった。兄弟のいないひとり息子と離れて暮らすことに両親は寂しさを隠せず、善行も新生活への憧れと期待を持つ傍ら後ろ髪ひかれる思いで引っ越しの準備をしていた。旅立つ日に見送りの駅で母は「元気でね」と今生の別れのように泣いた。まるでそのあとの運命を知っているかのようだった。
それからの日々は人生初めての出来事だらけの目まぐるしさで絵里奈も生まれて初めてできた「彼女」だった。
「平本くんってよくお母さんの話するよね、お母さん大好きなんだね」
つきあいはじめた頃ケラケラと笑いながら指摘されたのがなんとも不快だった。善行は「そんなことないよ」とだけ呟き無口になった。やがて絵里奈はため息をつくことが多くなりふたりの間には溝ができた。
「死んじゃった母親に私がかなうわけないよ! 理想を追い求められたってムリだよ! それって元カノよりハードル高過ぎじゃん!」
大学卒業間近に母は亡くなった。絵里奈ともそれきりになった。絵里奈と別れたことに悲しさはあまり感じていなかったが吐き捨てるように言われたひとことが心にこびりついたまましばらく離れなかった。入院中の母の枕元にあった小銭入れにはプラスチックの小さな金の折り鶴の根付が付いていた。火葬の時、喪服のポケットに忍ばせ祈るように握りしめた。それ以来いつも右のポケットには母がいる。
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