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 善行という名は母がつけたそうだ。 「お父さんはヒロユキかタケシがいいって言ったんだけど譲らなかったのよ」と得意気に話していた。  小学校高学年の頃になると若かった母のこだわりを恨めしく思うようになる。クラスの仲間にからかわれるようになったからだ。 「善行くんの名前を見習って善い事をしましょー」「善行くんは名前のとおりイイ人でーす」  自分の名前が嫌いになっていった。 「オレぜんぜんイイ人じゃねーし!!」  わざと自分のことを「オレ」と言い乱暴な言葉遣いで虚勢を張った。  ある日の下校時に普段から善行をからかっている中心人物の崎山健太(さきやまけんた)と一緒になった。健太以外にもふたりの男子生徒がいて4人で担任のモノマネをしたり覚えたての流行りのラップ曲を歌ったりしながら家に向かっていた。 「行くか」  健太が善行以外のふたりに目配せをする。ふたりは気が乗らない様子だったが健太に逆らえないのが常らしく黙って頷いた。 「ヨシユキも行く?」 「どこ?」 「ババアの店」  帰り道にある文房具屋のことを言っているのだなとすぐにわかった。年寄りの女性店主がひとりでやっている狭い店内には小学生が使う文房具や子供向けの漫画などが雑然と並べられている。ほとんど売れないため平積みにされたノートの表面には埃をかぶっている物もあった。 「今日はキン肉マンのボールペンにしよっかな」  健太が善行の方をちらりと見る。 「ヨシユキ初めてだよな。俺らはよくやってんだけどさ」  それが何を意味するのかわからないほど鈍感ではない。 「でもヨシユキくんは善いコトをする人だからダメかあ残念!」  健太が鼻で笑う。残酷なシチュエーションだった。ここで引き返したらこの先ずっと名前のことでからかわれ続けるだろう。イジメと同じだ。 「オレも行くよ。ババアの店……」 「イェーイ!」  健太に肩を組まれて歩き出す。おとなしいふたりは後ろから無言でついてくる。  その時だ。目の前の路地から母が現れた。 「おかえり」  なんでこんな時に出てくるんだよ! 叫びたくなる。母は家にいる時のくたびれたトレーナーとズボン姿ではなく少しだけお洒落な服を着ていた。授業参観の時に着ていたワンピースだと気づく。化粧もしていた。 「母さんオレこれから崎山んちで宿題やっていくから先に帰ってて」 「あらそうなんだ。宿題やるならノートや鉛筆必要だね。あそこの文房具屋さんで買ってあげるからみんなもいらっしゃい」  ババアの店を指差す母に善行だけでなく健太たちも慌てる。 「いいよ、いらないよ。帰って!」 「つべこべ言わずに来いよ! おまえらも来るんだよ!」  突然男みたいな言葉を発した母に善行はひっくり返りそうなくらい驚く。他の3人も同様だったらしく母の後ろをおずおずと並んで付いて歩いていた。 「好きなだけ買ってやるから! だからもうこの店には来るな! 3丁目のコンビニにも子供だけで行くな! わかったか!?」 「なんで……なんで子供だけで行っちゃいけないんですか。そんなのオバさんに関係ないじゃないですか」  健太が怯えながらも母に楯突く。 「それは自分の胸に手を当てて考えてみるんだな。善行! あんたも考えな」  店に着くと母は文房具屋の陳列棚からアレもコレもと手当たり次第に商品を手にとりレジへと持って行った。「こんなに売り上げがあったのは初めてだよ」と目を丸くしている女店主は更にボソリとつぶやいた。 「ありがたいねぇ。もうこれでこの店は閉めてもいいかもねぇ」と。  安堵した。と、同時に善行はなぜだか泣きたくなった。大声をあげて母の胸に飛び込みたかった。歯を食いしばりグッと堪えて空を見上げると薄紫と金色が溶け合う夕焼け空がどこまでも続いていた。  帰り道母と並んで歩きながら善行は聞く。 「知ってたの?」 「知ってたよ。母さんはなんでもわかるのよ」 「どうしてお洒落してきたの?」 「それはねえ」  一瞬間があった。 「プライドだよ」と母は笑った。
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