散華

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 実朝が逝った日は公暁が逝った日でもある。  殺された叔父と殺した甥。  娑婆においては、大罪とされることも、仏の世界においては善悪の境界を越え、ただそこに区別なき死という仏縁による事実があるのみ。  秦野の地には、源実朝の首塚と呼ばれる供養塔が建てられており、今なお実朝を慕う多くの人々がこの地を訪れている。  そこに真実、実朝の首が葬られているのかは定かではないが、実朝を忘れないということは公暁を忘れないということでもある。  娑婆における大罪を許すか否かは誰が決めるのであろうか。  仏が決めるのであれば、人間が関与せぬ領域のことに想いを馳せること自体僭越なのかもしれないが、公暁が逝って八百年余りの時が流れ、仏の慈悲が条件を問わず誰にでも注がれているものであるのならは、彼はもう許されていると思いたい。  そして、月日が流れた後、仏縁によって実朝と同時に公暁に想いを馳せる人々が出てくるように、公暁と同じ時代を生きた人の中にも、娑婆での善悪を超えて、ただ仏縁によって公暁を偲ぶ人がいたであろうと思いたい。
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