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帰宅したらエアコンをオンにしてまずシャワー。上がったら、下拵えを済ませてある魚をグリルにかけてスマートホンのタイマーを回す。その間にドライヤーで髪を乾かし、九割乾いたところでタイマーが鳴る。火を止めたら余熱を通しながら味噌汁に取り掛かる。豆腐の消費期限が近かった。半丁切って、残りは冷奴にすることにする。乾燥わかめと粉末だしを投入した頃に炊飯器が鳴る。米は帰宅時間の十九時に炊き上がるようにセットしてある。蒸らしている間に味噌汁を仕上げ、作り置きの肉じゃがを一人分小鉢によそい温めて、各位をダイニングテーブルに並べ終えたら丁度電子レンジが鳴る。完璧なタイミング。常温で保管してあるミネラルウォーターをコップ一杯注いで、食卓につく。
「いただきます」
声は思いの外大きく響いた。2LDKのマンション。部屋数は多いが、ダイニングはそこまで広くないはずだ。まずは味噌汁。少し味が薄かったかもしれないが、許容範囲。副菜、主菜、米と順に味わう。どれもこれも格別に美味いというわけではないが及第点を満たしている。誰に食べさせるわけでもないのだから、このくらいの量と味があれば十分だ。食事中にテレビはつけない。静かな部屋に、エアコンの駆動音と食器の音だけが響く。
「ごちそうさまでした」
勝手に視線が壁の時計に行く。十九時五十分。就寝時間まであと二時間と気づき、溜息をつきそうになった。食器を戻して食洗器にかけ、ミネラルウォーターを注ぎ足してからソファに腰を下ろす。テレビをつければ、少し気になっていた歴史の特集番組が始まるところだった。イスタンブール。いつか訪れてみたい場所のひとつだ。これを見ていれば、二時間。そう勘定してしまっている自分に得体の知れない嫌悪感が湧いた。
番組の冒頭が終わったところで食洗器が仕事を終えた気配を感じる。テレビを横目に炊飯ジャーを手で洗い、明日の弁当の分の米をセット。無洗米なので作業はすぐに終わってしまう。ソファに戻れば丁度番組が再開する。リモコンを片手に握ったまま、柔らかいクッションに横になる。
このまま眠ってしまおうか。独り暮らしになってから、自宅での時間がやたらと長く感じられる。体感だけではない。実際に長くなった。食事が随分と早く終わるようになったのだ。前はどうしていたのだったか。やたらと食べるのが遅く、しかも箸の使い方がいちいち下手くそな同居人の食事が済むのをお茶を飲みながらゆっくり待ち、彼が食器を洗ってくれている間にごみをまとめたりの些事を済ませ、その後ふたりでテレビを見ることが多かった。時計などあまり見ることがなかった。
感傷的になっている己に気づき、坂井は人知れず口許をゆがめた。苦笑だ。自分の中にこんな感情があることに驚いた。テレビの中ではイスタンブールの小路が映し出され、日陰で体を伸ばす猫が可愛らしい。
ペットでも飼うか。一瞬でも考えてしまった自分が可笑しくてしかたなかった。いよいよ独り身の男らしくなってきた。目を閉じて、ナレーションが荘厳な宮殿の解説をするのを耳だけで聞く。
――遼、遼太郎ったら。寝るならちゃんとベッドで寝なよ。
誰かが呼びかけてくれた気がした。気がした、だけであることは、分かり切っていた。
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