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吉備 五郎による反乱の鎮圧から一週間後。
禊医院の廊下にてひとり俯きがちに佇む黒部 雀が、小さな手で病室のドアをノックしかけて何度も躊躇う。
「入って」
乾いた響きの声に室内から促されて黒部はようやく、ドアを全身で押すみたいに開けてオズオズと踏み出す。
「えっと……だいじょぶなの……?」
「これで健康なわけないでしょー?」
ベッドに横たわる白玉 梓が素っ気なく答えながら、鋭い棘のように吊り上げた目で黒部の顔をキッと睨む。
「呼ばれなきゃ見舞いにすら来ないなんて薄情者ぉー」
親友の黒部でなくとも普段の白玉を知る者であれば、あまりの豹変ぶりにきっと衝撃を受けることであろう。常日ごろ目を細めて脳天気に振る舞っていた娘は今や、底冷えする凄みに縁取られて呪詛のような言葉を吐く。
「こちとらアンタにつきあってこのザマなのにさぁー」
しかしながら、それも無理からぬこと。
一夜の惨劇に、尊厳を奪い尽くされた。
男根型の害霊に犯されて生殖機能を破壊されたうえ、両の乳房も激しく揉みしだかれて捥げ落ちてしまった。
「ごめん……ごめんよう……!」
黒部がガクリと膝を折って真っ白な床にうずくまる。
「あたいが手柄なんて……欲しがらなければっ……!」
「お嫁にいけなくなってから謝られても遅いよねぇー。ヒドい目にあわされて組合なんかもうコリゴリだぁー」
黒部もまたカラダじゅうに傷を作っているけれども、いま新しく負った心の傷とは比べるべくもないだろう。
「もうこんな町イヤだぁ明日にでも沖縄に帰るよぉー。見送りも来なくていいよぉ顔も見たくないからさぁー」
「えっえっ?」
「連絡も金輪際とりたくないっていうか絶交しよぉー」
「どうじで?」
矢継ぎ早に繰り出される言葉の刃で滅多刺しにされ、混乱した黒部がフラリと立ち上がってベッドへ近づく。
「くんな!!」
およそ白玉のキャラに相応しくない大声で怒鳴られ、黒部はそれいじょう一歩も進めなくなって立ちすくむ。
「でもってコレは元・友達としての最後の忠告だけど、あんたじゃ祓い屋なんか絶対ムリだし諦めなよねぇー。身の丈わきまえてヒーロー願望もいいかげん卒業して、害霊に関わるのもやめて親御さん孝行でもしてなぁー」
「やだぁヤダよぉ白玉ぁウチらずっとドモダチだって」
すする余裕もない多量の鼻水を止めどなく垂れ流す、幼児みたいな状態の黒部に対して白玉はそっぽを向く。
「ハイ以上デスもう他人デスもう喋りませんサイナラ」
「わああああーッッ!! うぎゃああああーッッ!!」
耳障りな悲鳴とともに黒部が部屋を飛び出していく。
入れ替わりに現れたのは無表情の真辺 啓二である。
「あんなお別れでいいのかよ?」
「初めての大好きな友達だもん」
「いわゆる荒療治ってやつか?」
「梓みたいになってほしくない」
いつの間にか普段どおりの笑顔に戻っている白玉に、
「俺のサヨナラはだいぶ熱ィぞ」
と啓二が囁きかけてジッポライターのリッドを開く。
§
『最善は尽くした』
というのが闇医者の弁だ。
長時間に及ぶオペの甲斐もなく白玉は死亡していた。ここにいる女子高生は最早ありふれた人霊に過ぎない。
「梓、害霊になりたくない」
痛々しい姿の白玉が糸目を歪めながらポツリこぼす。
「祓ってください真辺さん」
「どうして俺に頼むわけ?」
「このとおり一生のお願い」
「一生なら終わってんぞ?」
九十九町の全域に流れる高濃度の穢れに触れながら、理性を保っていられる人霊など基本的には存在しない。よそに行こうにも土地の魔力に捕らわれて逃れられず、確実に汚染されて命ある者すべてに仇なす害霊と化す。
一説によるとまだ無害な人霊のうちに消滅できれば、散った霊子は町の循環サイクルに乗らずに済むという。
だが魂の行く先など誰も知らない。
天国や地獄の実在も証明できない。
§
「アッサリだねぇ真辺さん」
「安心しろ……跡形もなくキレイさっぱり葬ってやる」
「あははっ非情な世界だぁ」
「だってさ……人を呪うなんてお前らしくねぇもんな」
炎刃を形作って構えた啓二は白玉のもとへと近づく。
「祈力は世のため人のためってお前のポリシーだろ? しっかりしてて偉いなって俺ずっと思ってたんだぜ?」
「真辺さん時間ない……なんか始まってるみたい……」
白玉の姿を再現していた霊子が急速に変質している。まずは眼球の白目にあたる部分が赤黒く染まっていく。次に全身の肌は土気色に染まって亀裂を走らせていく。今まさに何かが少女のカタチの繭を破ろうとしていた。
「怖いよワタシがッ……ワタシじゃなくなルヴッ……」
「もってかれんな白玉 梓ァァァァッッ!!」
啓二は床を蹴り、唸って突き進む。
「お前はお前だけだろうがァァァァッッ!!」
「真辺さん、かなさんどぉ」
白玉が腕を広げ、炎を受け入れた。
「最後にさ、ぎゅってして」
啓二は右手の得物で白玉の腹を深々と刺し貫く。
そして左手で肩を掴んでガッシリと抱きしめた。
「うれし」
心から幸せそうに涙して灰と化す少女に男は告げる。
「またな」
シーツに積もった灰も雪が溶けるように霧散すると、ひとりでに開いた窓の向こう側から清らかな音が響く。
これは歌だ。
ひるさる うちゅーぬ あまたある てぃーちー
あおさる ちきゅーぬ ひるさーる しけぇーに
こーさる くいーぬー おもいやー とどちゅん
こーさる しまーぬー うんじゅぬ もーとーに
§
啓二の脳内でカラオケ屋での一幕がよみがえる。
「なんだよ白玉ウゼェなぁ」
「デュエットしよ真辺さん」
「俺さ……音痴なんだっつーの」
「うり……うんじゅにとってぃ」
§
たいしちな ちゅふぅどー
しぐそばに どぅいんどー
「たーだ」
うんじゅに びーけぇ
「とーどいて」
たぼぉーりぃ
「ひびーけー」
くいぬうーた
不思議な歌声は啓二の声と重なって喜ぶように弾む。
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