YOKOHAMA1985

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   YOKOHAMA1985 「周東、マジで頼むよ」  外線電話から掛かってきた喘ぐような声は同期の竹村和久だ。周東譲は電話越しに聞こえてくる竹村の声を、テレビドラマの下手な芝居でも観ているように聞いていた。 「結局、オレにどうしろっていうわけ?」 「だからさ、お前がオレのタイムカード押しといてくれれば、それでいいんだよ」  竹村は日頃から要領よく、人を利用することに掛けては人後に落ちない。本人の話によると竹村はこの日、寝坊して電車に乗り遅れたらしい。そこで、横浜駅の公衆電話から慌てて譲に電話を掛けてきた。 「わかったよ」  譲はそれだけ言うと、電話を乱暴に切った。  譲が勤める食品卸売会社は朝から忙しく、得意先から何本も注文の電話が入る。猫の手も借りたい中での厄介な頼み事だった。 「まったく、人騒がせな野郎だ」と思いながら、譲は経理課の席を立った。  給湯室の前に設置されているタイムレコーダーの前で、竹村の出勤カードを探した。急いで竹村の出勤カードを押すと、8時58分という時刻が印字された。これで、竹村がギリギリで遅刻を免れたと思うと自分のしたことに若干の後悔が残る。しかし、どんな奴でも同期は同期、竹村はこんな時だけ、いつも友達面をしてくるから質が悪い。つくづく嫌な野郎だと思う。  だいたい、他人のタイムカードを押す行為は就業規則違反どころか、会社を欺く立派な犯罪でもある。譲がそんなことを考えていると突然、竹村がニヤニヤ笑いながら現れた。課長には朝から腹の調子が悪くて会社のトイレに籠っていたと上手く説明したらしい。相変わらず太々しい野郎だ。譲に対しても「ありがとう」や「悪かったな」といった労いの言葉などは一切ない。まるで、何十分も前から会社に居たような顔、で平然と自席に座った。  竹村と譲は同期だが譲は五回も面接を受けてやっと内定を取った。しかし、竹村はコネ入社で面接は一回きり。入社式の日に突然、現れたことを譲はよく憶えている。  1985年、周東譲は食品卸売会社横浜支店に勤務する入社二年目の社員だった。譲は経理課に配属された。  フロアーの大半を占める営業部は広いが、経理課は室内に課員十五人が犇めくむさ苦しい密室だった。一日中、こんな部屋にいると息が詰まりそうになる。譲は毎日のように、ここから逃げ出す方法がないものか考えていた。  梅雨入りする六月は特に気が滅入る。毎朝会社に行くのが億劫で、憂鬱な気分になった。  そんなある日、経理課に突然、若い女性がアルバイトとして入ってきた。名前は吉川敦子。少し茶色掛かった髪をポニーテール纏めた彼女は、経理課の鬱陶しい雰囲気を一瞬で吹き飛ばしてくれた。譲はその日から、会社に行くのが楽しみになった。  梅雨の晴れ間の夕暮れ、会社の帰りに横断歩道で信号待ちをしていると、不意に横から声を掛けられた。 「周東さん、どこの駅から帰るんですか? 石川町ですか、それとも関内?」 「えっ? オレは石川町だけど。いつも、石川町から国鉄で横浜に出るけど」 「偶然ですね。あたしと一緒です」  それが、敦子と交わした初めての会話だった。  初夏に白いワンピースがよく似合っていた。敦子の清楚な佇まいが眩しく感じた。その後、譲と敦子とは会社帰り、時々お茶をするようになった。時には喫茶店でだべるだけでなく、夕食を共にするようにもなった。  敦子は女子社員から「あっちゃん」と綽名で呼ばれていた。エアコンがまだ十分効いていない朝、経理課の部屋で譲が暑がっていると、敦子が下敷きで仰いで風を送ってくる。譲はそんな、さり気ない仕草に癒され、次第に敦子に惹かれていった。  ほどなく譲は退社後、会社近くのファミレスで敦子と待ち合わせするようになった。携帯電話などない時代、仕事の振りをして互いにメモで連絡を取り合った。  ウエイトレスが注文を取りに来た後、敦子が口を開いた。 「周東さん、どうして、この会社に入ったんですか?」 「本当は旅行会社に入りたかったけど、どこからも内定がもらえなかったからだよ」 「元々、希望した会社じゃなかったんだ」 「第一志望の会社に入れる人間なんて今時、稀だよ」  譲が就職活動した頃はバブル景気の始まる前だった。譲は二十社近くの会社を回ったが内定が取れたのはこの会社だけだった。 「行きたい会社に採用されるには、しっかり会社研究をしないと駄目なのよ」 「はあ? いきなり何様のつもり?」 「採用されるためには面接の受け答え方にだって、ちゃんとノウハウがあるのよ」 「随分、偉そうに言うじゃん」  譲はコネなど一切なく、自力で今の会社に入社した。それをバイト風情の分際で説教されるのは不快に感じた。気まずい沈黙が続く中、敦子が口を開いた。 「ごめんなさい」  素直に謝る敦子を見ながら、譲は尋ねた。 「そういう、あっちゃんこそ、どうしてウチの会社なんかにアルバイトで入ったの?」  敦子はその質問には答えたくなかったのか、曖昧に話を逸らした。  譲はその時、なぜか訊いてはいけないことを訊いてしまったように感じた。  その日、横浜駅の相鉄ジョイナスで食事をした後、夕涼みがてら近所の公園まで歩いた。横浜駅から徒歩十五分ほどにあるその公園は子供の頃、父の祐輔によく連れてきてもらった懐かしい公園だった。 「反町公園って、オレが子供の頃はミニ遊園地だったんだよ。ジェットコースターやゴーカートもあって、夜なんて噴水がとても綺麗でさ。それから、この公園のプールで小三の夏、初めて泳げるようになったんだ。夏休みで親父に毎日、特訓されたりして」 「そうだったの。この公園って普通の公園じゃないんだ。周東さんの思い出がたくさん詰まっている場所だったんだ」    小学校の頃、譲は夏休みに横浜の祖母の家に行った。昭和四十年代は市電もトロリーバスもまだ現役で、当たり前のように道路を走っていた。横浜にも「ALWAYS三丁目の夕日」的な場所もたくさん残っていた。そんなことを思い出しながら、譲は子供の頃の話をした。  敦子は譲の取り留めもない話を「すごい」とか「信じられない」とか言いながら、いちいち相槌を打ちながら聴いてくれた。敦子は聞き上手だった。譲は敦子と一緒にいるだけで気持ちが癒される気がした。退社後、食事をしてから反町公園で取り留めもない話をする時間は楽しかった。ふと、気づくと何時間も時が経過していることがあった。もっとも、ほとんど譲が一方的に喋っていただけだったけれど。  ある日、敦子と横浜駅で別れたら、敦子が譲をダッシュで追いかけてきた。 「終電、なかった」と言われた時、譲はドキッとした。  譲は敦子に尋ねた。 「どうするつもり?」  敦子は黙っている。 「家に帰らないの?」  敦子は首を振った。 「じゃ、帰るの?」  敦子はこっくりと頷いた。  敦子は東海道線だが、幸い譲が使う京浜急行はまだ動いていた。譲は考えた末、京急で敦子と一緒に横須賀の譲の自宅まで帰り、辻堂にある敦子の自宅まで車で送ることにした。  体は疲れていたが、真夏の夜の湘南ドライブは最高だった。逗子から海岸線の道に入る。窓を全開にすると左側の窓から一気に海風が吹き込んできた。譲はカーステレオにユーミンの「リーンカーネーション」やオメガトライブの「二人の夏物語」をセットして、ドライブ気分を高めた。車は二人だけの空間だった。カーブの度、敦子がさり気なく譲の肩にもたれ掛かってくる。そんな敦子は譲にとって、恋人そのものだった。  江の島を過ぎて右折すると辻堂までは単調な道が続く。海が見えない分、譲は疲労を感じた。敦子の指示通り、右に折れて数キロメートル進むと敦子が住むマンションがあった。  譲は自宅マンション近くで敦子を降ろすと、とんぼ返りで来た道を引き返した。行きはテンションが上がったが、帰りは孤独な一人ドライブだった。キラキラ輝く海が不気味に灰色に見えた。自宅に戻ると時計の針は午前三時を回っていた。  慌ててシャワーを浴びた譲は「明日、マジで仕事キツイわ」と思いながらベッドに倒れ込んだ。数時間仮眠を取って会社に行った日、真夏の太陽を眩しく体はフラフラだった。しかし、そんな無理ができるほど譲はまだ、若かった。  八月十二日、航空機史上、最悪の惨事「日航ジャンボ墜落事故」が起きた。死者五百二十名の大惨事だった。日本中が深い悲しみに暮れている中、この年の阪神タイガースはダントツに強かった。横浜スタジアムから数キロ離れた譲の会社や山の手まで風に乗って、阪神ファンの「六甲おろし」のどよめきが聞こえてきた。  ある日、出社してデスクの抽斗を開けると小さな箱が入っていた。譲が訝し気に箱を開けてみるとそれはハンカチだった。しかし、譲には直感で、それが誰の仕業かわかった。    その日退社後、譲は敦子と山の手でデートした後、石川町駅に近い鮨屋に入った。 「ハンカチ、気に入ってくれた?」 「あれ、やっぱり、あっちゃんの仕業だったんだ」 「周東さん、暑がりでしょ。何だかいつも、汗拭いているイメージがあるから」 「よく見てるね。それじゃ、ありがたく使わせてもらうよ」  譲は今まで女の子からプレゼントを贈られた経験など、ほとんどなかったから素直に嬉しかった。品物はけっして高級品ではなかったが、ハンカチにはきちんとウンガロのロゴが記されていた。  鮨屋のカウンターでビールとつまみの刺身を頼むと、隣の常連と思しき男性客が急に野球の話をし始めた。 「今年の優勝は、もう阪神で決まりだな。この前、横浜スタジアムに行ったけど、阪神と大洋なんてまるで横綱と十両の取り組みみたいだったよ。あれじゃ、まるで千代の富士と蔵間の相撲だよ。つくづく情けねえな、大洋っていう球団は」  地元横浜でも、ここまで地元チームを蔑む人は稀だった。譲は別に大洋ファンではなかったが、少しは大洋を擁護したい気持ちになった。 「タイガースは強いですけど、今年のタイガースファンも異常ですよ。でも、阪神なんて所詮助っ人のバースがいなけりゃ、並の球団じゃないですか?」  ところが、ビールを運んできた女将さんは関西出身らしく大の阪神ファンだった。 「何言ってんのさ。バースだけじゃないよ。阪神には掛布も岡田も真弓だっているんだよ。あんた知らないの? あの四人だけで、ホームラン150本近くも打ってるんだよ」  女将さんは血相を変えて譲に応戦してきた。マジ切れされそうになったので、譲と敦子は早々退散することにした。勘定を済ませ二人は女将さんから逃げるように店を出た。  走り疲れた後、街角でふたり手を取り合って大笑いした。  敦子は社内で人気があったから、譲以外の男性社員でも声を掛けてくる人間がいた。  その日、いつものファミレスで譲は敦子から相談を受けた。 「あたし、今悩んでいることがあるの」 「天真爛漫なあっちゃんでも、悩みなんてあるんだ」 「最近、総務の原さんからしつこく付き纏われて困ってるの」  原は今時、下着に透けたランニングシャツを着るような、いわば空気の読めない男だ。 「具体的に何かされたとか?」 「この前なんか、会社の前で待ち伏せされていきなり、お茶でも飲みませんかって誘われちゃった」 「嫌なら断ればいいじゃん」 「あたしが何も言わなかったら、『このまま、吉川さんの家まで付いていっちゃおうかな』なんて言って、ずっと付いてきたのよ」  当時はまだストーカーなどという言葉はなかったが、本人が望まない迷惑行為は立派な犯罪である。   普段、誰にでも愛想のよい敦子も好き嫌いはあるようだった。  中でも食品販売四課の浅野は社内で敦子がもっとも嫌っている人間の一人だった。浅野はロッカー室で、帰り掛けに香水を付けるようないけ好かない男だった。譲もいつも自信満々の態度の浅野が大嫌いだった。 「あたし、あの人とすれ違う度、あの匂いに吐きそうになるわ」 「アラミスだろ? あの匂いだけで女を口説けると思っているんだからイタすぎるよね」 「あと、あのウエスタンブーツ、何とかならないかしら?」 「スーツや靴は本人の好みだから仕方ないよ」 「でもジーンズならともかく、スーツにウエスタンブーツはさすがにおかしいわ」  譲は柑橘系の仄かな香りのするコロンしか付けていないし、ブーツや高い靴は身に付けない。敦子がランニングシャツやブーツが嫌いなのも譲と同じだった。ファミレスで、そんな他愛もない話題でも盛り上がって、二人いつまでも笑っていた。  事件は突然、起きた。  横浜駅ビルのエレベーターで敦子と一階に降りたところで運が悪いことに、譲の上司である浅間課長と鉢合わせしてしまった。その時は敦子と付き合っていることが一瞬、バレたと思った。敦子と会社近くのファミレスで待ち合わせしている時も何時、社内の人間に出くわすかわからないから譲はいつも内心、ヒヤヒヤし通しだった。しかし、敦子は意外にも社内恋愛している人間のこともよく知っていた。 「手嶋さんと駒田さん、よくここで、待ち合わせするらしいよ」と言いながら敦子は結構、スリルを楽しんでいるようだった。手嶋は経理課で譲の一つ先輩、駒田もやはり経理課の女子社員だ。二人は付き合っているにも関わらず、経理課内では互いに無言を貫いている。  何時の時代でも社内恋愛は会社の人間に悟られないように隠れて上手くやるのが暗黙のルールだが、敦子はそういう点、意外と図太いのかもしれないと譲は思った。社内恋愛は発覚して破局した場合、どちらかが会社を辞めなければならないリスクが常にある。それが社内恋愛をする人間のスリルと同時に怖さでもあった。  しかし譲が恐れていたように、譲の恋愛を邪魔してくる人間がほどなく現れた。同期入社の竹村だった。  譲は以前、竹村からタクシー代を踏み倒されたことを思い出した。  同期で飲んでいて終電がなくなりそうになった時、竹村と二人で横浜駅までタクシーで帰ったことがあった。あの時も譲がタクシー代を全額支払った。「あとで返すから」と言う言葉を素直に信じたものの、タクシー代の半額料金が返ってくることは二度となかった。竹村はすでに時効と考えているらしいので、譲も請求するのをすっかり諦めてしまった。竹村に飲み代を踏み倒されたり、昼飯を奢らされたことも二度や三度ではない。  ひと月に一度ある倉庫の棚卸しの時も部長や上司が見ている時は熱心に仕事をする振りをしているが、上司がいなくなるとすぐに、サボってタバコを吸い出すのが竹村だった。  ある日、譲はたまたま竹村と中華街で一緒にランチをする羽目になった。  竹村は譲に囁くように話し掛けた。 「経理課にいるあのバイトの女、どうやら彼氏がいるらしいよ。退社時間に会社までいつも、ソアラで迎えに来るんだって」  譲が無言でいると、竹村はさらに畳み掛けてきた。 「男は、ああいう女に騙されるんだよ。お前も気を付けろよ」  竹村は情報通だが時に引っ掛けもあるので、竹村の話を鵜呑みにしたわけではなかった。竹村は譲と敦子が付き合っていることを知っていて、嫌がらせのために茶々を入れてきたのかもしれなかった。  いつの間にか秋風が吹く季節になっていた。  十月のある日、敦子は大学サークルのトレーナーを着てきた。敦子は成城大学の出身で学生時代は合唱部に入っていたと話した。腕に「SEIJO UNIV SOP ATSUKO」と刺繍してあるのを見て、譲が冗談で「何これ、ソープあつこ?」と突っ込むと「ソープじゃないわよ。ソプラノよ」と笑い返した。  その日、山の手にあるお洒落なフレンチレストランでディナーをした。楽しい食事だった。レストランから出ると潮の匂いが漂う秋風が心地よかった。自然と港の見える丘公園の方向に足が向かった。展望台から見る横浜港は様々な光りが眩く宝石箱のようだった。日本にも夜景が素晴らしいスポットは多数あるが、ここはデートには最高だと思った。  平日のため人も疎らで格好のデートスポットだった。公園から少し下ったところに木製のベンチがあった。敦子が先にベンチに座ったので譲も隣に座った。敦子は何かを待つようにずっと目を閉じている。  間が持てなかった譲は、即興で江戸の子守歌を「よいこの部分を、あっちゃんはよい子だとねんねしな」と替え歌にしたら、敦子がいきなり吹き出した。こんな寒いジョークにも敦子が笑って反応してくれたことが譲は嬉しかった。    譲はこの時、初めて敦子と唇を重ねた。  譲はこんな日々がずっと、このまま永遠にずっと続けばいいのにと思った。  しかし、そんな日々は長くは続かなかった。  譲が敦子が結婚するという話を聞いたのは、経理課の女子社員たちの井戸端会議からだった。譲が食堂を通り抜けようとした際、どこからともなく敦子に関する噂が聞こえてきた。話では敦子には大学時代から付き合っている彼氏がいて、結婚することが既に決まっているらしい。女子社員の話は竹村の話と違って一応、信用してもよさそうだった。  譲は事の真相を確かめるためその日、行きつけのファミレスに敦子を呼び出した。単刀直入に聞き出すことにした。 「何か噂で、あっちゃんが結婚するっていう話を聞いたんだけど、それマジな話なの?」 「あなたは、とっくに知ってると思っていた」 「はあ?」  噂話は事実だった。 「それじゃ、婚約者がいるのを承知で、今までオレと付き合っていたの?」 「ごめんなさい。でも、あなたへの気持ちは嘘じゃなかった」  敦子は目に一杯涙を浮かべながら弁明した。 「適当なこと言うなよ。ならば最初からオレとは遊びのつもりで付き合っていたわけ?」  それ以来、二人の関係は急速に冷えていった。譲は会社で敦子を無視し、あえて素っ気ない態度を取った。そんな日々が一ヶ月近く続いた。  十一月になり、譲は帰り道で久々に敦子と一緒になった。流れで譲は敦子を誘い、元町にあるレトロな喫茶店に入った。 「いったい、どういうつもりなの?」 「ごめんなさい」 「ごめんなさいじゃないよ。怒らないから、最初からきちんと説明してよ」 しばらく沈黙が続いた後、敦子は話し始めた。 「サークルの二つ先輩で、学生時代から付き合っていた人がいたの。彼は今、銀行員で卒業してから結婚するつもりだったの。あたしが大学を卒業する前に婚約したんだけれど、今では気持ちはすっかり冷めちゃって。あなたと付き合い出してからは、あなたと一緒にいられる時間が一番楽しかった。だから、あなたには言い出せなかったの。でも、結婚式の日取りは決まっているし、相手の両親にも迷惑が掛かるから、今さら婚約解消はできないの」  どうやら、その言葉に嘘はなさそうだった。 「それで、結婚式は何時の予定なの?」 「来年の六月に挙げるつもりなの」  敦子の話によると、銀行員の彼は譲と同い年で、譲の存在にももう気付いているという。一部始終を聞いてしまった後、譲は敦子をあからさまに咎める気持ちにはなれなかった。これ以上深入りすれば、とんでもない泥仕合になりそうな気がした。  しかし、いくら恋愛は自由だと言っても、譲が敦子と正式に付き合うには大きな障害があった。それは婚約者の父親と経理部長が昵懇の仲で、その縁故で敦子がアルバイトで入ったことを譲は敦子自身からその時、初めて聞かされた。譲がかつて敦子にどうしてウチの会社に入ったか問いただした時、お茶を濁したのはおそらくそのためだ。  同じ大学卒で銀行員の彼とやらも、おそらくは地位の高い親によるコネ入社なのだろう。譲の親は公務員で、就職活動もすべて徒手空拳で臨まなければならなかった。譲は社会人のスタートラインから既に目には見えない差が付いていることを知り、改めてショックを受けた。  しかし、このまま譲が敦子と付き合うことになれば経理部長の面子を潰すだけでなく、課長の顔にも泥を塗ることになってしまう。譲は試案を重ねたが、敦子との交際は諦めざるを得なかった。譲は恋愛以前に、上司の顔色を伺わざるを得ない入社二年目の無力なサラリーマンでもあった。  十一月下旬にもなると山下公園通りの銀杏並木が色づき、落葉樹の葉はすべて落ちた。山下公園は新緑の時期に増して美しく、この時期の夜の公園はカップルたちで一杯だった。  譲の大学はミッション系の大学でクリスマス期間中、キャンパスでイルミネーションがある。譲はある日、敦子に「来週の土曜、ウチの大学に行ってみない?」と誘った。  ところが悪いことに、その日は箱根の保養所である忘年会旅行と重なっていた。それでも譲は忘年会より、敦子との最後のデートを優先することにした。課長には大学時代の先輩が急遽、海外に赴任するので成田まで見送りに行くからと一世一代の大芝居を打った。それが通って忘年会旅行は欠席することができた。  決行の日に向けて、譲は敦子と入念な打ち合わせをした。  譲の会社は完全週休二日制でなく、土曜日の就業時間は午後三時までだった。敦子とバス停で偶然を装い待ち合わせて別々にバスに乗り込んだ。幸い、会社の人間には誰にも見られていなかった。大学には五時過ぎに着いた。冬至近くで、すっかり日は落ちている。キャンパス正面の二本のヒマラヤ杉には色とりどりのイルミネーション灯されている。  敦子は無邪気に「きれい!」と言いながら、いつまでも感慨深げにツリーを眺めていた。  譲は敦子を学生時代にお気に入りだったパブに連れて行きたかったが、生憎やっていなかったので近場の別の店に入った。譲はつまみを注文し見栄を張って会社が輸入しているスコッチウイスキーのボトルを入れた。冷静に考えれば二度と来ることがない店だった。食事を済ませた二人はもう一度、キャンパスにクリスマスツリーを見るため大学に出向いた。  その日も譲は夜遅く、敦子を自宅まで送っていった。  敦子を送り届けて家に帰ると、母親が誰かと電話で話をしている最中だった。午前二時過ぎで、明らかに普通の電話でないことはわかった。電話の主はどうやら敦子の母親らしい。譲は母の玉枝から受話器を奪い取ると「お電話、変わりました」と一声を挙げた。 「あなた、いったいどういうつもりなんですか?」 「はあ?」 「娘をこんな時間まで引き摺りまわして」  譲が黙っていると母親はさらに畳み掛けた。  それは、強烈なクレームの嵐だった。 「娘は婚約だってしているんですよ。さっきも彼氏が来て、僕を莫迦にしていると言って怒って帰っちゃったんですよ。どうしてくれるんですか」 「お言葉ですが、娘さんが僕と一緒にいたのはあくまで娘さんの意思ですよ」 「今後もこんなことが続くようなら、こちらにも考えがありますよ」 「それは具体的に、どういうことですか?」 「部長さんに、すべて話をします」 「それは脅しですか?」 「当り前じゃないですか。娘は嫌々、あなたに付き合わされているんですから」 「彼女が無理やり、僕に付き合わされているとか言ってるんですか?」 「ええ」  遠くで敦子が「あたし、そんなこと言ってないじゃん」と喚く声が電話越しに聞こえた。  翌週、出社すると敦子はそのことについて何も言わなかった。  譲が年末からスキーに行くと言うと、敦子は「気をつけて行って来てね」と言って送り出してくれた。それは、いつもと変わらぬ素直で思いやりのある敦子だった。  新年が明け、敦子は突然会社に来なくなった。  青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう。敦子が母親とともに会社に乗り込んできたのだ。敦子の母親は警戒感なのか、明らかな不快な表情を浮かべている。  課長は突然の来訪に別室で対応することにした。譲は不安な気持ちでそれを眺めていた。敦子が母親とともに会社を出て行った時、譲は二人を追いかけていった。譲を初めて見た母親は、まるで蠅でも追い払うかのように譲に接した。 「これ以上、ウチの娘に付き纏わないでください」 「どういう意味ですか?」  譲は誤解を解きたがったが、敦子は譲と母親の遣り取りを対岸の火事を見るようにニヤニヤ笑いながら傍観している。  敦子が突然、口を開いた。 「浅間課長から周東と何かあったのかって言われたけど、あの時はたまたま会っただけだって答えといたから」  譲は二の句が継げなかった。  敦子は譲に恩を売ったつもりのようだ。相思相愛だったのにもかかわらず、あたかも譲が一方的に懸想したかのように言われたら立場がなかった。 「あんたも元気でね。まだ、若いからよ」  母親から言われた言葉が空しく響く。敦子の婚約者は譲との関係を知って激怒して、部長を強く非難したのかもしれない。おそらく、部長の面子は丸潰れになったはずだ。  その後、報復のように経理課で突然、上役との面談があった。譲にとっては取調室の尋問のように長く感じた。この一件で、譲は出世に完全に罰点マークが付いてしまった。  人生はいったん悪い方に転がり出すと止まらない。まるで坂道を転がるようなものだ。それどころか、敦子は女子社員には「取り返しのつかないことをしちゃった」と話したらしい。そのため、譲の社内での立場は悪くなる一方だった。 「お前、悪い奴だな。婚約者がいる女に手を出したんだって」 「こいつが、えげつないことやるんだ」等々、言われたい放題だった。  しかし、話にはあれからまだ続きがあった。  敦子が会社を辞めた後のことだった。  三月に突然、譲のもとに一通の手紙が届いた。それは敦子からの手紙だった。その文面を譲は今でもよく憶えている。 「最後に一度だけ会ってください。会って、私に忘れるように言ってほしいのです」  譲は行くべきかどうか最後まで迷ったが結局、敦子に会いにいくことにした。敦子が待ち合わせに指定してきた場所は、今はない横浜駅西口にあった東急ホテルだった。  敦子は約束の時間ちょうどにホテルのロビーに現れた。敦子は笑みを浮かべながら、譲に話し掛けた。 「久しぶり!」  敦子は春を感じさせる赤いワンピースの上に白いカーデガンを羽織っていた。譲がいつか「ワンピースが好きだ」と言ったら敦子は譲と会う時には必ず、ワンピースを身に付けてくるようになった。敦子は既に気持ちが整理されて吹っ切れていたのか、手紙とは裏腹に意外と元気そうな様子だった。敦子が口を開いた。 「髪、こんなに切っちゃったんだよ」  譲は女が失恋すると髪をばっさり切ったり、あるいは禊の意味で髪を切るということを知っていたので、おそらくそのパターンだろうと思った。  二人は横浜駅のコンコースを抜けて東口のそごうに入った。レストランのあるフロアーで適当な店に入り、昼食を取ることにした。  譲は慎重に言葉を選びながら話した。 「訊きたいことがあるんだけど、あの手紙ってどういう意味?」 「最後にあなたに会いたかったの。でも、もしあなたが今日来てくれなかったら、落ち込むじゃない。だから今日、大学のサークルの同窓会とダブルブッキングしてたの。あなたがもし、今日来なければ同窓会に行こうと思ってたの」 「それじゃ、今日、オレが来ないことも最初から想定していたんだ」 「あの人、あなたのことも、よく知っているから何も用事がない時に出掛けると、あなたに会いに行くんだろうって邪推されちゃうから」  婚約者がどこで譲のことを知ったのかはわからなかったが、敦子によると譲のことをよく知っているのだという。譲はそのことについて、あえて尋ねなかった。それから敦子とどういう話をしたのかはほとんど憶えていない。ただ、敦子がまったく罪悪感を持っていないことが譲には驚きだった。譲は敦子に、体よく遊ばれたのかもしれなかった。  最後に横浜駅で別れた時、敦子が「元気で!」と言って東海道線に乗り込んでいった。それ以来、譲は敦子に会っていないし、敦子の消息を知りたいとも思わなかった。  譲が経理課にいた頃、一級上に塩田明彦という社員がいた。  塩田はN大出身で、竹村と同じコネ入社だった。塩田は陽気で人当たりはいいが調子よく、上司へのゴマすりも欠かさなかった。年末年始、三十日まで営業している譲の会社でも五日程度の休みが取れる。塩田はその年、長期休暇を利用して、塩田は友人とグアムに旅行した。格安ツアーなどまだ登場していない80年代半ば、年末年始の旅行だからおそらく、普段の三倍くらい費用が掛かったはずだ。ところが、塩田がグアムから帰国したあたりから、課長の浅間の塩田への扱いが急変した。譲も最近、浅間が塩田を露骨に依怙贔屓していることに薄々気が付いた。しかし、その理由が思わぬところからわかった。  ある日、譲が仕事の帰り、同僚と行きつけのスナックに行った。  その時、中年のマスターがお姉言葉で、譲に馴れ馴れしく話し掛けてきた。 「周東さん、このボトル、いいでしょ?」 「ウチが輸入しているスコッチウイスキー『バランタイン30年』、じゃないですか?」 「そう。中身は空だけど、浅間課長さんから特別にボトルだけいただいたの」 「たしかに店に置いているだけでも結構、いいインテリアになりますよ」  マスターも得意先の課長である浅間に、ミエミエのヨイショしているのはバレバレだ。 「何でも塩田さんが年末年始にグアム旅行に行った時、浅間課長にお土産に免税店で買ってきたらしいわ」 「えっ? マジですか?」 『バランタイン30年』は譲の会社が総代理店契約をしているいわばドル箱商品だった。標準小売価格は八万八千円で庶民にはまず、手が出ない高級酒だ。ホテルのラウンジや銀座のバーなどでは一杯一万円程度で提供される。社員の譲ですら一生喉を通ることがない高級ウイスキーである。それを免税店で買った塩田は、会社で意気揚々と浅間に贈答したらしい。おそらく、免税店で購入しても2万円は下らなかったと思われる。新婚旅行のお土産ならいざ知らず、贈答品としては明らかに常識の範囲を逸脱していると譲は思った。  会社とは己の実力だけで出世できるほど甘い世界ではない。ありとあらゆる手段を使って上役に取り入り、上司の覚えめでたく気に入られた者だけが出世することができる。 (塩田も普段はのほほんとしていながら、まったく抜け目のねえ野郎だな)  驚くべき出来事はさらに続いた。翌年、浅間が課長から次長になり、東京本社に栄転になった。するとその直後、まるで計ったように塩田も東京本社に栄転になったのだ。バランタイン30年の効果、恐るべしだった。  実力者の浅間が塩田を本社に引っ張ったのは明らかだった。  譲はその時思った。 (塩田も上手いことやって、とうとう課長に取り入りやがったな)  譲はコネ入社が幅を利かす会社にだんだんと嫌気が差し始めていた。また、バブル景気で儲かっている他の業界に比べて小売業のバイイングパワーに押され、会社の将来にも希望が持てなかった。  この世に実力だけで評価される世界はないだろうか。譲が考えたのはコンサルタントだった。国家資格を取得してコンサルタント業界に転身したい。そこで、譲は仕事をしながら中小企業診断士を目差すことにした。  譲は仕事をしながら週二回、赤坂見附にある資格学校まで通った。  譲が診断士の勉強を始めた時はやる気満々だった。まだ内勤だったので、勉強時間もある程度コントロールすることができた。譲もちょうど、診断士の勉強が面白くなり始めていた頃だった。  まるで譲のやる気を削ぐかのように、譲は翌年の人事異動で内勤から営業の販売一課に配置換えになった。営業職になると定時に退社できないのは明らかだった。  さらに運悪いことに、同時に竹村も仕入課から販売一課に異動になった。  販売一課の得意先は主に問屋で、入社以来仕入担当でメーカーとも懇意だった竹村と違って営業経験もない。そのため、何かと竹村を先輩扱いしなければならなかった。  そんな折急遽、二人に外回りのための営業車が必要になった。  その際、どういうわけか譲には十年落ちのバンがあてがわれ、竹村には軽の新車があてがわれた。竹村は巧みに上司に取り入り便宜を図り、先に軽の新車を取ってしまったのだが後の祭りだった。譲のバンはマニュアル車のうえ、エアコンが効かなかった。そのため夏は一日中サウナに入っているようで、営業を終えて家で風呂上がりにヘルスメーターに乗ると二キロは体重が減っていた。譲はこのままでは体が持たないと思ったが、一方の竹村は新車でパワステ、パワーウインドウ、オートマチック、冷暖房完備で、夏でも快適に仕事を続けることができた。  しかし、困ったのはそれだけではなかった。  譲の会社には月に数回、置き回りや引き売りという業界の慣習があった。得意先を回り、積み荷をすべて売り切らなければ会社に戻れないことになっていた。譲のライトバンは積載量400キロで缶詰や飲料が三十ケース以上積め込めるのに対して、竹村の軽自動車は積載量が少ないため十五ケース程度で済んでしまう。こんなところまで計算に入れていた竹村は敵ながら、万事手抜かりがなかった。  仕事でも竹村は譲にはどうでもいいような役に立たなそうなことばかり教えてくれて、メーカーとの交渉など肝心なことは一切教えてくれなかった。それどころか、メーカーとの力関係を利用して譲が知らないで困っていることを喜んでいることもよくあった。  営業になってからは残業が普通で、途端に学校に通えなくなった。  同じ時期に勉強を始めた受験仲間たちから「お前は最初から続きそうもないと思っていた」とか、「もう諦めて挫折しちまったのか」とか散々揶揄われたが、譲はやる気満々だっただけに彼らの辛辣な言葉に胸を痛めた。譲はよくよく、自分はツイていないと思った。  勉強も捗らず、鬱々としていた日々を過ごしていた譲に、さらに追い打ちを掛けるような出来事が起こった。  竹村が結婚式を挙げることになったのだ。  竹村は譲が資格の勉強をするため週二回、資格学校に通っていることを知っていた。竹村は会社帰り、密かに書店で譲が目指している中小企業診断士について調べた。すると、八月の第一土曜と日曜に試験があることがわかった。竹村はその時、ライバルである譲の試験をどうにかして妨害してやりたいと考えた。結婚式をあえて六月の日曜日にしたのも、譲に試験前にダメージを与えるために早急に決めたものだ。  ありがた迷惑な話だったが、披露宴の招待状は当然のように譲にも来た。  元々いけ好かないうえ、試験の直前なので行きたくなかったが、同期で同じ課なので無下に断ることはできなかった。  結婚式当日、譲がどうしても出たかった二次試験対策講座があったが、譲は式に出席するため泣く泣く、その講座を諦めざるを得なかった。  結婚式は会社と取引のあるホテルニューグランドで行われた。  譲の会社は食品を取り扱うだけにホテル業界とも深い付き合いがある。竹村はここで神業ともいえるような計画を遂行した。  仲人は仲人は竹村が営業に来る前に在籍していた仕入課の中島課長夫妻が務めた。しばし歓談の後、スピーチタイムになった。  初めに仲人の中島がスピーチの口火を切った。 「竹村君は同期の中でも群を抜いて仕事ができる優秀な社員です。ウチの会社には欠かせない貴重な人材なんです」  譲は竹村と同期なので、誉め言葉であってもけっしていい気持ちはしなかった。 (たしかに、要領の良さだけは同期の中でも群を抜いているかもね)  さらに歓談の後、部長の笠原尚がスピーチに立った。 「竹村君は我が社のホープです。彼の長所は人並外れたフットワーク力と類まれなバランス感覚でしょうか?」 (ホープ? えげつなさや狡賢さだけは断トツだけどね)  最後は次長の佐久間俊之がスピーチに立った。 「竹村君は我が社になくてはならない貴重な人材です。熱心に仕事に取り組む姿勢は若手社員の鏡です。人の嫌がるような仕事も厭わず、率先して取り組む姿をよく目にします」 (とんでもない。上司が見ていないところではコイツ、いつもサボりまくってるよ)  次々と繰り出される歯の浮くような台詞を聞きながら、譲は臍で茶を沸かす気がした。  課長補佐の小川が何を思ったか突然、ピント外れの「一杯のかけ蕎麦」のエピソードを披露して大きくスベった時だけは譲も思わず苦笑したが、友人のスピーチもたいして面白くもない話で譲は飽き飽きしていた。 「退屈でつまらない結婚式だ。早く家に帰って、勉強したいな」と譲は心の中で毒づいた。  披露宴の中盤、思わぬサプライズが起きた。  落語家の卵だとかいう司会者がいきなり、当社のウイスキーの紹介をし始めたのだ。不幸なことに、当社のスコッチウイスキーは最近、酒造メーカー大手のS社に販売代理権を奪われた。そのため緊急に新たなスコッチを探す必要があったが、先日スコットランドにある三流メーカーとの交渉の末、代わりのスコッチの代理権をやっと手に入れた。扱い始めて間もないそのスコッチをド素人の司会者がいきなり、紹介し始めたのだ。 「ご歓談中の皆様、今円卓に乗っているウイスキーはホワイト●ッカイといって、スコットランド原産の高級スコッチです。味は円やかで飲んでいれば必ず癖になって二度と手離したくなくなります。是非、この機会のご賞味ください」  明らかに部長に媚を売るミエミエのパフォーマンスだった。譲がこっそり部長の顔を盗み見ると、笠原はご満悦な表情で頷いている。竹村がここまで権謀術数に長けた策士だったとは。司会者のスピーチでも確実にポイントを稼いただろう。譲は空いた口が塞がらなかった。どれだけ、ヨイショすれば気が済むのだろう。話も盛りすぎで限度を超えている。  極め付けは竹村の親族代表のスピーチだった。  新婦の伯父は神奈川県有数のスーパーのSマートの取締役だという。もちろん、当社の上お得意先でもある。義理の伯父と思しきその人物がスピーチに立った。竹村としては出世のため、それも最大限利用してアピールしたかったのだろう。 「我が社と当社は長年にわたり切っても切れぬ深い関係にあります。私は今日の式は、新たな出会いをもたらしてくれた場と感謝しています。また、竹村君は私の大学の後輩でもあります。竹村君が有能で期待されている人材であることは皆様のスピーチからもよく伺い知ることができました。是非今後とも、竹村君をよろしくお願いします」  その時、盛大な拍手が起きた。  譲は必死になって欠伸を堪えていたが、そろそろ限界だった。  一石二鳥という言葉はまだわかる。しかし、これは一石二鳥どころか一石七鳥か一石八鳥くらいだろう。厭らしさもここまでくると見事で笑えてくる。敵ながら脱帽だった。  おまけに、譲は受験生なら絶対に外せない今日の講座も竹村の結婚式のために出ることが叶わなかった。譲のとっては妨害以外の何ものでもなかった。  譲は思った。今日、この結婚式に出ている連中のどれだけの人が竹村の本性を知っているのだろうか。本来、こういう奴こそ地獄に落ちるべきだと譲は思った。譲は式場にいるだけでへとへとに疲れた。  しかし、竹村の結婚式を境に自分の人生が大きく狂わされることになるとは譲はこの時まだ気付いていなかった。  中小企業診断士の試験まであと二週間という時、その事件は起きた。  朝、出社すると会社の雰囲気が明らかにおかしかった。誰もが皆、暗く沈痛な表情を浮かべている。譲は総務課の山本正一に声を掛けた。 「何か、あったんですか?」  山本は黙って販売四課の方に顔を向けた。四課のデスクの島にはなぜだか、花瓶に一輪の花が供えられている。譲は誰か亡くなったことを直感した。 「どなたかにご不幸があったんですか?」  譲は噂話が好きそうな定年間際の木村さんに訊いてみた。 「木村さん、誰か亡くなったんですか?」 「堀木だよ」 「えっ!」 「酔っ払って線路の上を歩いていたところ、電車に跳ねられちまったらしい」  堀木伸郎は譲より一つ下でまだ、二十代の若さだ。  聴くところによると堀木は昨日、竹村たちと飲みに行ったという。  終電間際まで飲んでいたが、何を思ったか堀木はホームから降りて線路伝いに横浜方面に向けて歩き出した。終電は終わっていたから電車は来ないと考えたのかしれないが、運悪いことに回送電車に跳ねられたという。堀木は酩酊すると公園のベンチで寝たりする癖がよくあったが、その日社内はパニック状態で仕事どころではなかった。その後、警察の捜査では事件性はないと判断され、事故死として処理されたが、遺体はバラバラでも原型を留めていなかったらしい。  翌日は通夜で、譲も当然のように斎場に駆り出された。譲は堀木と割と仲が良かったのでショックだったが、遺体がない通夜は不気味そのものだった。試験直前のタイミングでとんだ迷惑な話だった。堀木が正体を失うまで飲まされたのは、おそらく竹村に唆されて飲まされたのだろうと譲は考えた。飲んで大暴れして来いという意味で堀木は竹村に飲まされた。斎場から帰ってシャワーを浴びると、譲はショックと疲労でベッドに倒れ込んだ。  譲は仕事でも大きな商談を抱えていた。  得意先の大手菓子問屋に自社の飲料三千ケースの納品を進めていたが、ようやく受注が取れそうになった。九月に発注すると決めていたがそれを再度、次長の佐久間が頭を飛び越えて別に注文の依頼をしてしまった。それで、話が違うと先方が怒って商談がぶち壊しになってしまった。単なる佐久間の勘違いかあるいは、嫌がらせかのいずれかだった。竹村と違って上司に取り入ることが不得手で要領も悪い譲は、誰かのミスの責任を転嫁されることも多かった。    中小企業診断士の試験は八月の第一土日の二日間、都内のA大学で行われた。ところが試験日が夏休みに当たるため、学校が休みで冷房を使うことができない。  暑さに弱い譲は札幌で受験することにした連日の残業、勉強不足、竹村の結婚式、堀木の自殺、葬式の手伝い、大口商談のぶち壊し等により譲の体力や精神力は低下し、モチベーションすら維持できなくなった。譲は二日間の夏休みを試験日に当て飛行機で前日に札幌に入り、ビジネスホテルにチェックインした。譲は部屋に入った時、一瞬冷房が効きすぎて寒気を感じた。体を温めようとシャワーを浴びたら、それが仇になり逆に40度の高熱が出た。  譲の体はこの時、すでに体力の限界を超えていた。  翌朝起きても熱は下がらず、譲は試験中も集中できなかった。こうして、譲の一度目の試験は無情にもロクに戦えないまま終わってしまった。試験に落ちたことで当時付き合っていた女や母親から「できない奴」と罵られて一方的に婚約を破棄された。  譲はコンサルタントになるため、どうしても資格が欲しかった。  営業のような不規則な仕事は思うように勉強ができないので転職することにした。  譲は一年前の自分はまさか、今のような事態になるとは想像すらしていなかった。あの頃は資格を取得して、結婚もして、コンサルタント会社に転職するというシナリオを描いていたが、今は資格も取れず、婚約は解消、会社も辞める羽目になった。これも、すべては竹村の結婚式から始まった負の連鎖だった。譲は自分のこととはいえ、まるで目の前でドミノ倒しを間近で見ているような気がした。譲が会社を辞める時、ライバルを蹴落とした嬉しさから竹村は終始落ち着かない表情で、ニヤニヤしていた。  譲はきっと、こういう人間が将来、出世するのだろう思った。  譲はその後、転職した会社も半年で辞めて三度目の受験に備えた。三度目の受験で中小企業診断士を取得した譲は三十一歳になっていた。その後、譲はコンサルタントとしての経験を一通り積んだ後、独立した。  それから十年以上の年月が流れた。  譲はある日、ビジネス誌の取材があって、横浜のホテルニューグランドに出掛けた。横浜港近くでロケーションはよく、昔の職場とは目と鼻の先だ。会社は直営のストアも併設しているので、譲は冷やかし半分に店に入ってみることにした。見慣れた店内はレイアウトも昔と変わらない。在職中、昼にここで弁当を買ったことを思い出し、懐かしさが込みあげてきた。  その時、店内から不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。  咄嗟に声の方を振り返ると昔、経理課で一緒だった塩田だった。髪に白い者が混じっているが塩田に間違いなかった。  譲が声を掛けた。 「あれ、ひょっとして塩田君じゃない?」  相手はいきなり声を掛けられ、驚いた表情で目を白黒させている。 「塩田君だよね」 「はい。そうですけど」 「この店も変わらねえな。オレだよ、オレ、ハンバーグだよ、じゃなかった、経理で一緒だった周東だよ」 「あー、周東か。久し振りじゃん」 「でも何で、こんなところにいるの?」 「うん。四十五歳以上は皆、肩叩かれて希望退職を勧められて」 「だって塩田君って浅間課長から気に入られて、本社に栄転になったんじゃなかったっけ。経理でバリバリやっていた塩田君が何で、今さらストアで店員なんかやってるわけ?」  塩田は譲の言葉に沈黙している。どうやら、早期退職を拒んだためにストアに配置転換されたようだ。明らかに会社の嫌がらせだが、野暮なので譲はそれ以上は訊けなかった。 「今度、飲みにでも行こうよ」と譲が言って名刺を差し出すと、塩田は「火曜日なら空いてるから今度、メールするよ」と言って別れた。  新入社員からずっと経理部で過ごし、財務や資金繰りやのような花形の仕事を経験した塩田が四十代半ばになってストアに異動させられたのは、リストラ以外の何もでもない。  しかも、塩田は店長のような管理職ではない。言葉は悪いが、単なる売り子に過ぎない。譲は塩田も出世すると思っていたので意外だった。  ただ塩田の場合、入社早々から浅間にべったり取り入っていた。それだけに不可解な気もする。推測するに、今まで散々庇護を受けていた浅間が定年退職した後、腰巾着の塩田は周りからは疎まれて冷や飯を食わされたのだろう。  自分の人生を他人に賭けるのがもっとも愚かなことだと譲は思っていたが、それを塩田は自ら実践してしまったらしい。「ご愁傷様」と心の中で呟きながら、譲はストアを出た。  数か月後、譲がストアの前を通りかかると塩田が店頭で大声を張り上げながら、観光客相手にワゴンの商品を売っている姿を見かけた。憐れだった。譲は自分の方が気恥ずかしくなって、慌てて目を逸らせた。  以前、塩田に飲みに行こうと誘いはしたが、塩田からその後、譲に連絡が来ることは二度となかった。  2014年の暮れのことだった。  譲はその日も、ホテルニューグランドでビジネス系出版社の取材を受けることになっていた。早めに着いたので自然と足が昔の職場に向いてしまった。会社の裏手は倉庫になっている。倉庫に入ると黄色いフォークリフトが目に入った。係員がピッキング作業を黙々としている。  譲はそこにいた係員の一人に声を掛けた。 「あの、すみません。隣のストア、もうやっていないんですか?」 「ストアでしたら、昨年末で閉店しました」 「えっ、閉店になっちゃったんですか?」 「ええ。長年ご愛顧いただきありがとうございます」  譲はこの男にも見覚えがあった。海上部に勤務する海藤で、たしか一つ先輩だった。  幸い、海藤は譲のことは忘れていたようで無造作に名刺を渡してきた。名刺には課長と記されている。海藤は酒屋の息子で、N大出身でやはりコネ入社だと聞いている。若い頃、シンガポールに出向していたが、課長という肩書ならサラリーマンとしては一応の成功なのだろう。しかし、改めて職場を見ると倉庫は物資で溢れかえっている。そう言えば、三十年前、海藤に初めて会った時も、今と同じようなピッキング作業をしていた覚えがある。 (こいつ、三十年間まったく、進歩してねえじゃん)  譲はそう思いながら、譲は咄嗟に口から出まかせに言った。 「じつは、隣のストアに大学時代の友人がいたんですけど」 「名前、何て言うんですか?」 「塩田と言います」 「ああ、塩田なら僕の同期ですよ」 「そうだったんですか。彼は今、どうしてるかわかりませんか?」 「さあ、あんまり付き合いないもんで、ストアにいた以降のことはわからないですね」 「そうですか。それなら結構です。お仕事中、大変失礼しました」  それぞれの人生、どんな風に生きようが、他人からとやかく言われる筋合いなどない。海藤はおそらく、船舶納入業という仕事に一生を捧げてきたのだろう。立派な人生だと思うが、なぜか切なさだけが残った。  譲は静かに倉庫を後にした。 (課長になってもフォークリフトを運転したり、段ボール潰したりするのがルーティンワークなら進歩していないし、要は誰だってできる仕事じゃん)  2022年になった。  譲には三十年以上付き合いのある川嶋英之という友人がいる。  川嶋は静岡に本社がある水産食品メーカーの社員だった。今は年賀状だけの付き合いだが、川嶋の定年をきっかけに、熱海で再会しようという話をした。  譲は熱海に母の玉枝と一緒に湯治を兼ね、年二、三回必ず訪れる。二月末だがそれほど風は冷たくない。熱海に宿泊した翌日、川嶋とは熱海駅の改札で待ち合わせた。  譲は川嶋のスマホに電話を掛けると本人が出た。 「今、喫煙所にいます。タバコ一本吸い終わったら行きます」  川嶋とは二十五年ぶりの再会である。その数分後、川嶋が現れた。幾分白髪は目立つが容貌はさほど変わっていない。 「元気そうだね」 「ええ、おかげさまで元気にしています」  川嶋は譲の二つ年下だ。  譲と川嶋は仕事以外でも馬が合い飲みにいったり、ゴルフをするようになった。ゴルフ前日、川嶋が譲の自宅に泊まりに来たこともあった。それを恩義に感じた川嶋は毎年、父親の実家の農家から立派なみかんを送ってきた。それがもう三十年以上続いている。玉枝は朝から、川嶋さんに直々にお礼がしたいと話していた。 「川嶋さん、毎年、美味しいみかん送ってくださって、ありがとうございます」 「こちらこそ毎年、ビールを贈っていただいて」  譲も川嶋も独身で父親を三十代で亡くし、母親はともに後期高齢者である。譲は玉枝と駅で別れて、川嶋と昨日泊ったホテルに向かった。昼食と温泉付きのパックがあることは事前に調べてある。エレベーターで最上階の大浴場に向かった。  裸で露天風呂に行くまでは勇気がいるが、温泉の中は海から吹く風が心地よい。天気が良い日は遠くに初島が望むことができる。 「マジで、久しぶりですね」 「退職した後、何してんの?」 「会社の先輩と飲みにいったり、たまにゴルフとかもしています」  フリーランスの譲は四十代後半から、次第に体に異変や不調を感じるようになっていた。 「周東さんはゴルフ、もうやらないんですか?」 「オレはもうゴルフどころじゃないよ。運転も不安だから結局、車も手放しちゃったよ」  七、八年前まで譲が運転する車で毎年のように熱海に来ていた。玉枝は今年米寿を迎えるが、幸い心身ともに健康だ。玉枝は普段は楽しみがないようだが毎年、熱海に来ることを楽しみにしている。来るたび温泉と新鮮な海鮮料理を満喫していたが、新型コロナの影響で、料理の質が落ちて食事の楽しみがなくなったと嘆いている。 「ところで、川嶋さんのお母さんは元気なの?」 「お袋は今年で九十歳です。もう、介護レベル3ですよ」  川嶋は三つ違いの兄がいるがやはり独身で、母親を二人で手分けしながら面倒見ているという。譲は近所に姉がいるが、子供が独身のまま迎える老々介護は最近、深刻な社会問題になりつつある。シリアスな話になりそうだったので、譲は話を変えた。 「この前、自宅のアルバムを整理していたら一緒にゴルフをやった時の写真が出て来たよ。たしか鹿野山カントリークラブでやった時だよ。オレの大学時代の友人二人と四人でラウンドしたよね。あと、下田でゴルフしたこと憶えてる? 夜明け前に家を出たのに道に迷っちゃって結局、ゴルフ場に着いたのは十一時近くでさ。携帯なんかない時代だから、途中で公衆電話からフロントに電話して、スタートの時間を遅らせてもらったこととかもあったよね」 「あの時は参りましたね。ゴルフ始める前にもう疲れちゃってプレーにならなくて、困りましたね」 「あの頃は二人とも若かったから、あんな無茶や無謀なことも出来たんだろうね」  譲は他にも目には見えない病気がある。譲たちもいつの間にか還暦を過ぎ、後は下るだけの人生である。温泉から上がって一階のレストランで再会を祝して乾杯した。風呂上がりのビールはいつでもどこでも格別だ。  久々に再会したのはよいが、こういう時は共通の話題がないので、なかなか話が盛り上がらない。  譲がなんとか話題を探そうと話し掛けた。 「そうそう。この前、何気なく流通業界の新聞の人事情報を見てたら大島のことが載ってたよ。大島、M食品で結構偉くなったらしいよ」 「えっ、周東さんの同期の大島さんですか? 懐かしいなあ」  大島聡は譲の同期入社で、川嶋とも面識がある。 「うん。札幌支店で部長になってた」 「へー。大島さん、すごいですね」  ビールを飲み干した後、川嶋がいきなり思い出したように口を開いた。 「そう言えば、六、七年くらい前だったかな。偶然、竹村さんに会ったんですよ」 「えっ、竹村に!」  譲は耳を疑った。あの竹村と川嶋が出会っていたなんて。 「どこで?」 「あれはたしか、山梨でしたね」  譲の会社は譲が退社後、二度の吸収合併を経験していた。  最初は総合商社に卸売事業部門を譲渡し、二度目は資本関係があったその商社に再編成され、M食品という新会社になった。 「竹村、まだ会社にいたんだ」 「ただ、二度も吸収合併されたりしている訳ですから、竹村さんは会社に居残るだけでも相当辛かったと思いますよ」  川嶋の会社とは取引先だからどこかで出くわす機会がないわけではない。しかし、まさかこんなところで、三十年ぶりに竹村の近況を知らされるとは思わなかった。 「しかし、またどうして、山梨なんかにいたの?」 「M食品の山梨営業所です。私が行ったら竹村さんが懐かしそうに『憶えてる?』って近寄ってきましたよ」 「珍しいこともあるもんだね。ところで、竹村は偉くなっていた?」 「えっ?」 「だから、課長とか部長とか役付きになっていた?」 「全然、偉くなんか、なってないですよ」 「だって、六、七年前ならもう五十五歳とか、そんな歳だろ? 当然、役付きだろうが」 「いいえ。平社員の一担当ですよ」 「マジで? 三十年以上たっていまだに平社員ってことは、今まで一回も昇進できなかったってこと?」 「まあ、詳しいことはわかりませんが、そういうことになりますかね」  譲は信じられない思いだった。  二度の吸収合併を経験していても大島は北海道という地で部長になってていた。一方、若い頃から常に狡賢く振る舞い、人を出し抜き、蹴落とし、権謀術数に長けた、あの竹村が最後まで平社員だったとは。 「それから数年前だったかな、突然、竹村さんから早期退職の挨拶が届きまして。その後、西湘にある食品問屋に再就職したらしいですよ。私もそれ以上、詳しいことはよくわからないんですが、なんか風の便りで聞きました」  譲は三十歳の時会社を辞めたが、辞めないで最後まで会社にしがみ付いた竹村、塩田、海藤のような奇特な者もいる。しかし、川嶋の話によると会社に人生を賭けた竹村も、どうやらビジネスマンとしては成功できなかったらしい。  竹村も海藤も塩田も結局、一度もアクションを起こそうとはしなかった。たった一度切りの人生なのに、自分の意志で一度も動こうとしなかった。    会社に人生を賭けた竹村。  仕事に人生を賭けた海藤。  上司に人生を賭けた塩田。  人それぞれ、いろいろな人生がある。    そもそも人生とは他人と比べられるようなものではない。だから他人がとやかく言うようなものではない。それでも彼らは最後まで会社にいて、満足だったのだろうか。譲はコンサルとして成功はできなかったが、自分自身で考え、やりたいことはやってきたつもりだった。  川嶋と近況を語り合った後、譲はほろ酔い気分の中、海風に当たりながら熱海駅まで歩いた。川嶋が熱海駅で別れ際に、譲に声を掛けた。 「周東さん、また、ちょくちょく、こうして会いましょうよ」 「そうだね。川嶋さんもお母さんを大切にね」  しかし、譲は今回を逃したら、おそらく次に川嶋に会う機会はないだろうと思った。高齢の親のことも自分自身のことも今後は一切、予測が付かない。  譲は旧友との再会を喜びながら「いつまでも、お元気で」と川嶋の後姿を静かに見送った。  川嶋に会ってから半年が立ち、街には秋の気配が漂い始めた。  ホテルニューグランド本館の階段を上がると、二階にだだっ広いロビーがある。大きな窓からは山下公園が見渡せ、眼前には見慣れた氷川丸の姿あった。  譲は、この場所にいるといつもあの頃にタイムスリップできる気がする。    譲はロビー奥にある長いソファーに座り、ゆっくり身を沈めた。  目を閉じると、遠くから郷愁を感じる船の汽笛が二、三度聞こえてきた。  九月末の夕暮れはまだ、明るかった。  ホテル裏口から通りに出ると昔、会社があったビルは高層マンションになっていた。敦子とよく、待ち合わせをしたファミレスもなくなっていた。  元町方面に向かうと、当時はなかったペデストリアンデッキが架かっていた。下を流れる溝川を眺めながら橋を渡るといきなり急な坂が現れる。  若い頃は苦痛に感じなかった坂だが、還暦過ぎの身には結構応える。苦労して坂を上りきると港の見える丘公園入口の標識が見えてきた。昔は駐車場とトイレしかなかった殺風景な広場だったが、今は綺麗に整備されていた。  あの日、敦子と食事をしたレストランも跡形もなく消えていた。レストランのあった場所は公園の一部になっていた。  譲は園内を回遊すると、横浜港が一望できる展望台まで辿り着いた。  そこは昔、敦子と夜景を見た場所だった。  あの頃は、数キロも離れた横浜スタジアムから六甲おろしがここまで聞こえてきた。展望台の左側に小道が続いている。階段を下りると、あの時と同じようにベンチが三基あった。譲はおもむろに真ん中のベンチに腰を下ろした。端から見たら、おそらく侘しい初期高齢者に見えるだろう。  ベンチにいると、あの時の出来事がまるで昨日のことのように思い出される。敦子が突然会社を辞めた時、敦子を辞めさせたのは譲ではないかと社内で良からぬ噂が立った。おそらく、竹村あたりが脚色して広めたのだろう。  譲はベンチに座ったまま考えた。  誰の人生にも「もし、あの時ああだったら」というタラレバがある。港の見える丘公園のこのベンチで、おそらく何十万組のカップルが愛を語り合ったことだろう。その中には成就してゴールインしたカップルもいただろうが、別れたカップルは、きっとその何十倍もいたことだろう。当たり前だが、色恋沙汰のすべてがハッピーエンドで終わるわけじゃない。そんなことは世界中にある日常茶飯事の出来事で、どこにでもある平凡なことだったのかもしれない。  譲は敦子にそれほど未練があった訳ではないが、敦子からもらった手紙だけは長い間、処分することができなかった。というか、捨てる機会を逸してしまったという方が正しい。  ところがある日、何気なく寝室のタンスの引き出しを整理していると、奥から見慣れない箱が出てきた。それは敦子が譲に贈ったハンカチだった。  譲はハンカチを保管していたのではなく単に忘れていただけだったが、使うことを忘れていたから引き出しの奥に仕舞い放しになっていたのだろう。  ただ、ハンカチは消耗品だ。使わなくても何れ摩耗して捨てる羽目になる。譲はそれでも心の奥底で、敦子と譲を結ぶ唯一の接点であるハンカチを失いたくなかったのかもしれない。敦子との思い出を失いたくなかっただけかもしれない。久々に箱から出されたハンカチは気の遠くなるような時を超え、繊維が劣化しもはや使い物にならなくなっていた。  時代はいつのまに昭和から平成になり、年号は令和になっていた。子供の頃、同級生だと思っていた人がある日突然、天皇陛下になった。  二月、譲は昨年のように熱海に出掛けた。  熱海は定宿があって年に数回行くが、今日は温泉が目的ではなかった。ショルダーバッグの中には、あるモノが入っている。  譲は熱海港から初島にフェリーが出ていることを昨日、ふと思い出した。譲は熱海に来るたび、露天風呂から初島を見る度、いつかフェリーに乗って初島に渡りたいと思っていた。その夢がやっと今日、実現する。    熱海駅に着くと、譲は港を目指し歩き始めた。  最初から路線バスを使わず歩いて行くつもりだったが、かなり距離があったので港に着いた時は安堵した。フェリー乗り場で初島行の往復切符を買った。     しばらくするとフェリーが船着き場に入港してきた。たかだかフェリーといっても船に乗る時はなぜか、いつもワクワクする。  初島までは約三十分だが、東京湾フェリーなどと違って太平洋の海原に出ていくため妙な高揚感があった。二月ということもあって観光客も疎らだったが、その方が譲にはむしろ好都合だった。  船はゆっくり湾内を走り、やがて外海に出た。  デッキに出るとさすがに風が冷たかった。カモメが鳴き騒ぎながら乗客に餌をもらいに来る。譲は乗客がカモメにスナック菓子を与えている姿を横目で見ながら海を眺めていた。  船が沖合に出るとだんだんと熱海の街が遠のいていく。沖合から見ると、巨大なホテルや旅館のある熱海の街がまるでミニチュアの模型のように見える。  譲はその時、おもむろにバックから手紙を取り出した。  手の中にあるのは、譲がずっと捨てられなかった敦子の手紙だ。  譲はバッグに手を入れて、ハンカチの箱を取り出した。  手紙は色褪せもしていなかったが、ハンカチはもはやハンカチとはいえない単なるボロ布そのものだった。譲は元ハンカチだった布で手紙を包み込むと、中心で手紙がはみ出ないようにきちんと縛った。  これならば、傍からは手紙とは見えないだろう。  今思うと、敦子には恩もあれば恨みもある。ただ、自分でもわからないが敦子の場合、それが他の女のように一切合切、相殺されなかった。譲の場合、今まで付き合ってきた女は仮に100のよい思い出があっても、100、200の悪い思い出があれば、結果ゼロや差し引きでマイナス100点になった。  結果として「あの女、嫌な女だったな」という思いだけが残ってしまった。しかし、敦子だけはそうならなかったことが不思議だった。  譲は今でも、敦子と過ごした楽しかった日々が忘れられない。  ただ、敦子に人生を狂わせられたことも事実だ。今も、よい思い出と悪い思い出が心の中に混在している。しかし敦子の場合、それがけっしてゼロやマイナスにはならなかった。譲には一緒にいて楽しかったり、癒されたり、救われた思い出だけが残って、敦子を恨むことはできなかった。  当たり前だが、敦子との思い出は1985年のまま、ずっと止まっている。 譲の中での敦子は22歳で、今も同じ齢である。  デッキの乗客は皆、思い思いに海面を眺めている。  譲も他の乗客たちと同じように大海原を見入る振りをした。譲の手の中には、ハンカチに包まれた敦子の手紙がしっかりと握られている。  譲はその一瞬の隙を見て、ハンカチを海に放り投げた。ハンカチは舞い上がり、白波の中で海面に浮かび上がったかのように見えたが、波にかき消されすぐに見えなくなった。  譲はハンカチが一瞬波間に見えた時、敦子と別れて初めて涙が出た。
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