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『互いに、礼っ!』
『ありがとうございましたー!』
試合終了。両チーム共に緊張が取れ、晴れやかな表情で選手同士ハグを交わした。
牛尾に投じたあの一球。自分でも納得のいくボールが投げられたと思う。しかし──打たれてしまった。走者一掃のタイムリーになってしまい勝負あり。俺達、三河商業高校の夏は終わりを告げた。
*
各々荷物を片付け、ベンチから撤収する。もっと寂しい気持ちに苛まれるかと思ったけど、思いのほか清々しい気分だった。全力を出し切って敗れたのなら、悔いは無い。
本当に充実した野球人生だった。そう嚙み締めて、球場の外へ出たその時──。「将大ー!」と呼ぶ声が聞こえ、足を止めた。
「姉ちゃん──」
チームメイトに「ごめん、先に行っててくれ」と言い残し、姉ちゃんのもとへ駆け寄る。夜勤明けでそのまま応援に来たせいか、顔には少し疲れが滲んでいた。
「──頑張ったね、将大」
「いや……結局打たれて負けたけどね」
「そんなのいいのよ。最後までカッコよかったわよ」
そう言ってニコッと笑う姉ちゃん。それだけで、今までやってきたことに自信が持てた。あのお守りが無ければ──もっと早く西邦にボロ負けしていたかもしれない。
少しだけグラウンドの土が付いたお守り。それをポケットの中から取り出し、「これ、ありがとう」と言って姉ちゃんに返した。
「すごく心強かった──離れてても、姉ちゃんのパワー貰えてる気がして。二人でマウンド立ってる感覚だったよ」
「そう──なら良かった。少しでも支えになったなら嬉しいわ」
「少しどころか……支えてもらいっぱなしだよ。今までずっとそうだったし」
「私はね、将大の野球やってる姿が大好きなの。決して我慢してるわけじゃないのよ? 友達と遊びたいとか、彼氏欲しいとかって気持ちよりも──こっちの方が遥かに大きい。私がやりたいから、そうしてるの」
「えっ──そう、だったんだ」
思いもよらない本音を知り、少し驚く。野球は姉ちゃんを苦しめてしまうもの。俺は今までずっと、そう勘違いしていた。
お守りを返せば、スパッと気持ちの整理がつくと思っていた。だけど──その決意は、むしろ逆方向へ勢いよく進んでいく。
「伊勢崎さんの名刺、見ちゃったよね」
「あぁ~……うん、見た。見ちゃった」
"清々しい気分"なんて大嘘。"悔いは無い"も大嘘。
ポケットから溢れ出るほどの熱い気持ちは、まだまだ先を目指したいと叫んでいる。
「俺、スカウトの話受けたい」
「うん」
「スポーツ推薦なら奨学金借りれるし、お金の負担も少しは減らせれると思う。それでも、まだ姉ちゃんには負担かけちゃうけど……」
「うん」
遂に言ってしまった。だけど、けっこう大事な話をしているのに姉ちゃんは「うん」としか言わない。真剣な表情を崩さないまま、俺の顔から目を離さずにいる。
「そ、そんなまじまじ見ないでくれよ……」
「いいから。将大は、これから何がしたいの?」
「えっと……俺、やっぱり野球続けたい。このまま終わりたくない。練習の合間にアルバイトもするし、なんならトレーニングも兼ねてまた新聞配達──」
そこまで言いかけた時。自分の体に、ドンッという衝撃がぶつかった。
ギュッと体が締め付けられる感覚。気が付くと俺は、姉ちゃんに強くハグされていた。
「うわぁ! ね、姉ちゃん──?」
「そんなこと気にすんな! 私は最初からずっと、野球やってほしいって言ってんじゃん!」
全ては余計な心配だった。そう痛感したら、自然と涙が零れ落ちた。姉弟でハグを交わすなんて、生まれて初めてだ。
高校を卒業したら、最初は野球を辞めようとすら思っていたのに──。ポケットの中に入れた名刺とお守りが、想像もつかないほどの奇跡を運んできてくれた。
「将大、あんた泣いてんの?」
「べ、別にいいだろ──俺の野球のせいで、姉ちゃん色々我慢してると思ってたから」
「そっかそっか──でもそれは、"余計なお世話"ってやつね」
腕の力を緩め、再び向き合う。泣いている俺の表情を見た姉ちゃんは、可笑しそうにクスっと笑った。
「このお守り──本当に野球やり切ったって思ったら、その時私に返しに来て。約束ね?」
そう言って、返したお守りを再びこっちに手渡した。俺も「分かった」と返事して、ユニホームのポケットの中にお守りをしまう。これからまだまだ続く野球人生──姉ちゃんの願いと思いも乗せて、俺はボールを投げ続けると決めた。
ポケットの中に秘める約束と情熱。
今までも、そしてこれからも
俺はマウンドで一人じゃない。
-完-
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