二人で立つマウンド

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「ただいま~」 「あっおかえり将大! 今ご飯できたから一緒に食べよ~」 「うん──いつもありがとう、姉ちゃん」  帰宅し、エナメルバッグを肩から降ろして脱力する。姉の紗綾(さあや)と二人で囲む食卓は、家族と過ごせる癒しの時間だった。 「やだぁ、お礼言うなんて珍しい──何か嬉しいことでもあった?」 「へっ? まぁ……嬉しいと言えば嬉しいかな」 「ふふっ、今日も試合勝ったって聞いたよ。仕事で見に行けなかったのが残念だけど──刈屋(かりや)先生から"ナイスピッチングだった"って連絡来たわ」 「監督……! 余計なこと言わなくていいのに……」  そんな会話で笑い合いながら、食事をするのが日課だった。食卓には椅子が二つだけ。今は、俺と姉ちゃんの二人家族だ。  母さんと父さんは、俺が中学生の時に交通事故で亡くなった。野球部での遠征中に起きた不慮の事故。あまりに突然の別れだった。  急に取り残されてしまった娘と息子。それでも、姉ちゃんは強かった。看護師として働きながら、「将大は私が育てる!」と言って懸命に働いてくれている。食事のサポートからユニホームの洗濯まで──何から何まで、頭が上がらない。  高校に入学した俺は最初、部活に入るつもりはなかった。姉ちゃんの働く姿を見ていたら、野球よりもアルバイトをするべきだと思ったからだ。学校が始まる前に朝刊を配り、放課後は夕刊を配る、新聞配達の仕事。(せわ)しなく過ぎる毎日は、意外と悪くなかった。  しかし──そんな俺に声をかけてくれたのは、三河商業高校の先生でもある刈屋監督だった。中学時代の俺のピッチングと、新聞配達でひたすら自転車を漕ぎ続ける姿を見て、「君は良いピッチャーになれる」と手を差し伸べてくれた。  もちろん最初は断った。姉ちゃんのことを考えると、とてもじゃないけど「野球がやりたい」なんて言えない状況。そう思っていたのに──何故そうなったのかは分からないけど、監督は密かに姉ちゃんとコンタクトを取っていた。  これはマズいと思った。案の定、姉ちゃんは「何で黙ってたの! 野球やりなよ!」と言い出し、すごく困ったのを今でも覚えている。まぁ──実際野球はやりたかったし、一番心配していた姉ちゃんがそう言うなら、大丈夫かなと思って入部した。この時、俺は既に二年生。高校球界では確実にオールドルーキーである。  そんな出来事があったからこそ──当時の刈屋監督と、今の伊勢崎さんの姿が重なって見えた。野球は楽しい。必要としてくれるのは嬉しい。それなのに……名波家に降りかかる運命は、いつまで経っても残酷だ。 「将大はさ、高校卒業したら何するか決めてるの?」 「へっ? どうしたんだよ突然」 「とりあえず野球は続けるでしょ? 大学行ってもいいし、社会人野球って道もありよね」 「ちょ、ちょっと待ってくれ姉ちゃん──!」  一人で勝手に話を進める姉ちゃんの言葉に、思わず箸を止める。 「社会人野球のチームなんて簡単に入れないし、そもそも大学行くお金なんて、ウチに無いでしょ。それくらい俺だって分かってる。就職して、姉ちゃんの負担少しでも減らすからさ」 「そんなこと気にせんでいいよ。野球好きなんでしょ? お金は看護師の稼ぎで何とかするから、将大は野球に集中して──」 「違う! 俺は就職したい!」  あぁ、ダメだ。嬉しいはずなのに、冷静でいられない。  語気を荒げるつもりはなかったのに、思わず大声が出てしまった。 「ま、将大……?」 「野球はもう、充分やらせてもらった。大満足だよ。夏の大会終わったら、就活と新聞配達、始めるからさ」 「そ、そう? 将大がそこまで言うなら、それでいいんだけど……」  いつもは賑やかな食卓が、今日はその言葉を最後に沈黙となってしまった。気まずさに耐えられなくなり、まだお腹は満たされていないのに「ご馳走さま」と言って席を立った。  言えるわけがない。伊勢崎さんからスカウトを受けたこと。そしてまだ──野球を続けたいと思ってしまっていること。  だけど、この思いはいつか昇華させないといけない。その区切りが、高校卒業というタイミングになっただけ。そう思うと少しだけ気が楽だった。  残り少ない最後の夏を、存分に楽しもう。そう決意して、いつものようにユニホームを洗濯機に入れる。姉ちゃんには後で謝りに行こう──。
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