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富山に降る雨
朝、マンション5階の窓には雲が流れる青空が広がっていたが、天気予報は降水確率午後30%夕方80%と、毎朝 ”おはよう富山” にチャンネルを合わせ視聴率アップに貢献している俺にすれば、傘を持って出勤するひと手間は造作も無い事だった。黒いビジネスリュックに差し込まれた傘を見た同僚たちは、「さすが、弁当忘れても傘忘れるなの県民性」と皆、笑い飛ばした。
「ウルセェな!今、俺はお前らに雨の呪いを掛けた!」
「だっせぇ、厨二病かよ」
「こんな奴にあんな可愛い彼女とか、信じられんわ」
俺の携帯電話の待受画面には、金沢支店に残して来た恋人、満島瑠璃が微笑んでいる。それを目ざとく見つけた同僚は「天は二物を与え過ぎだろう」と羨ましがった。ざまあ。
案の定、営業を終え会社に戻ると自社ビルの玄関先にはコンビニエンスストアで購入したであろう安っぽい白い持ち手のビニール傘が何本も傘立てに並んでいた。ざまぁ。
「お先」
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
「おぅ、ご苦労さん、また明日も頼むよ」
今日も一件、新しい顧客との大口契約を取り付けた。
機嫌の良い俺はエレベーターのボタンを押し、だんだんと降りてゆく雨粒の流れるガラス窓を眺めていた。黒いカラスが北陸電力本社のビルの上に並んでいる。雨雲は黒さを増し、どんよりと夜に垂れこめていた。
「あれ」
「あれ」
「佐川さん、なにしてんの」
「お疲れ様、奈良くんは今帰り?」
「おう」
赤茶の大理石の階段を降りたところで佐川さんが困り顔で佇んでいた。手には黒いビジネスバッグ。傘は、無い。
「佐川さん、天気予報見なかったんでしょ」
「あぁ、寝坊しちゃって」
「なるほどね、髪の毛、跳ねてる」
何気にストレートボブヘアーの襟足、跳ねた尻尾に触れた瞬間、彼女は素っ頓狂な声で床から五cmくらい飛び上がった。
「あ、ごめん」
「あ、ううん。ちょっとびっくりして」
俺はビジネスリュックから少し湿り気の残る折り畳み傘を取り出し、真っ青な紫陽花が咲くように開閉ボタンを押した。
ポン
そして木製の持ち手を彼女に手渡した。
「はい、これ使って」
「え、奈良くんは?」
「陸上部、長距離走選手を舐めんなよ」
「いいの!?」
「いい!」
俺の天気予報は佐川さなにバトンタッチした。
手を振る彼女の笑顔に手を振り、俺は路面電車の駅に飛び込んだ。
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