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退勤のタイムカードを押し、エントランスに出た所で愕然とした。大粒の雨、天気予報はあくまで予報なのだと身をもって知る。
「最悪」
社屋から目と鼻の先にコンビニエンスストアの看板が見える。その間に二箇所の横断歩道、赤信号に引っ掛かれば全身ずぶ濡れになる事は必死だった。
「なんだかなぁ、もう」
自宅の傘立てに置かれた赤い傘を思い浮かべながら歩道に飛び出そうとしたその時、ふと雨が止んだ。いや、止んだのではなく大きな男性用の紺色の傘が差し出されていた。
「ん?」
「ん?」
「あっ!か、係長!」
そこに立っていたのは濃灰のスーツに紺色のネクタイを締めた黒木係長だった。雨粒がフレームレスの眼鏡に弾いている。
「お、お疲れ様です!」
「あぁ、ご苦労様、何、る・・・満島さん、傘忘れたの?」
「・・・・・・」
「天気予報、見なかったんだ」
「いえ、見たんですが面倒くさくて」
「そうか」
赤らんで歩道を見下ろしながら下唇を突き出した私の変顔に吹き出した黒木係長は、更に私の頭上に傘を差し出した。
「なら、入って行く?」
「え。」
「私の車、社の駐車場に停めてあるから。」
ドキッとした。
「駐車場まで行けばもう傘は使わないから、満島さん、使って。」
「あ、はい」
ホッとした。
雨粒が歩道の凹凸に水溜りを作り、私と係長はそれを避けながら駐車場まで向かった。ほんの数分の事が、特段話す事もなく長く感じて緊張は最高潮だった。ふと見ると係長の左の肩が黒く色を変え、濡れていた。地下駐車場に繋がる階段の入り口で係長は木製の傘の柄を私の手に持たせてくれた。
小指が少しだけ触れた。
「じゃあ。」
ピッと鍵が鍵が開く音がして暗がりにハザードランプが点滅した。
黒いトヨタのクラウン、最新モデルでタイヤがやけに大きかった。そんな事をぼんやり考えていると係長は右手でオールバックの髪を掻き上げて笑顔で手を振った。
ドキッ
「な、何。ドキッて。」
建には、心の中で謝罪会見を開いたけれど、黒木係長の大人の雰囲気に少しばかりときめいてしまった。ごめんね、建。
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