たった一つの約束

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 あ。まただ……  背筋を辿る様に湧き上がる悪寒。  全身を震えさせるその寒気は、何度感じても慣れるものでもない。    たまには映画でも見ようと、地下鉄に乗って映画館のある駅に着いたところだった。  開場時間に間に合うように、時間を調べて逆算して、ちょうどいい時間に到着する。そのまま映画館まで真っ直ぐ。それが私の計画だったのに。  私、今日は急いでるんだけどな。  自分が上がってきた階段を振り返る。ほんの十段ぐらい下。おぼつかない足取りで階段を上ってくる、おばあちゃん。  あの人か……  映画に遅れそうって、本来なら天秤にかけちゃいけないようなことを頭の中で秤にかけて、慌てて階段を駆け下りた。 「危ない!」  私がおばあちゃんの元に辿り着いたと同時ぐらいのタイミングで、おぼつかなかった足が階段を踏み外した。  私の全身でもって、その体を支えることができたのは、そのおばあちゃんが事故に遭うことをわかっていたから。 「ありがとうねぇ。おかげで命拾いしたよ」  助けたおばあちゃんが、私に何度も何度も頭を下げてお礼を口にしてくれる。  私のことを知らない人は、純粋にお礼を言ってくれるんだ。手を出して良かった。  一人で上らせるには不安の残るおばあちゃんの手を引いて、再び地上に辿り着く。  映画館へ急がなきゃ。 「また、お前か」 『また』はこっちのセリフなんだけど。  ダメダメ。今日は映画を見に行くって決めてここまで来たんだし。こんな人に構ってる暇はない。 「おい、無視するなよ」  声の主の方を見ることもなく、映画館に向けて一心不乱に歩き続ける私の後ろから、しつこく声が追いかけてくる。 「俺の仕事、邪魔するなって」  今日はしつこいなぁ。  私と違って彼は暇なのか。 「お前が邪魔するからさ、最近俺の成績落ち気味なんだけど」  暇なんだろうなぁ。私も寒気を感じてないし。 「おいって! ちょっと止まれよ!」  いやいや。映画に遅れちゃうし。こんな街中で一人で道路で立ち止まってたら、不審すぎる。 「俺、お前に触れねぇんだって。わかってるだろ?」  私が彼に背中を向けて歩き続ける限り、彼は私を物理的に足止めすることもできず。彼の声だけが私の後頭部に降り注いでくる。  私の後頭部。それも上方から。  いつもなら、そろそろどこかで呼ばれて、彼もそっちに向かって飛んでいくのに。  このまま映画館まで着いてこられたら、落ち着いて見ることもできないよ。    彼のしつこさに音を上げて、映画を諦めた私が向かった先はファーストフードショップ。ただでさえ騒がしい店内なら、私が一人でどうしてたって目立たないよね。 「あなたこそ、私の休日邪魔しないで欲しいんだけど」  喋ってるのがバレないように、コーヒーを口に運ぶフリして、彼に話しかけた。 「やっと返事した」  勝ち誇った様に、嫌味な笑顔を浮かべながら、彼が私の前に立つ。  立つ……とは少し違うかな。だって彼の足は地面に付いてない。  細身のスーツ、幅の薄い眼鏡、青っぽく見える髪色。まるで少し前のバンドマンの様な姿と、肩に乗せる大きな鎌。  死神と呼べる彼とは、もう数ヶ月前からの付き合いだ。
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