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第29話 伝えると言うこと
気がついたらとか、いつの間にか、なんかじゃなくて、言葉に出して付き合い始めたのはいつ以来だろう?
思い出せないから随分昔のことなんだろうな。
アリスと付き合い始めてわかったことは、ちゃんと言葉で相手に何かを伝えることの大切さだった。
言葉にしないとわかってもらえないことが多すぎる、ということもあったからだけど……
ドイツ語の教室に入って来たアリスが、オレの隣に座ってすぐに、
「前の教室に忘れ物したみたいだから取って来る」
と言って、そのまま教室を出て行った。
授業が始まってもアリスは帰って来なかった。
結局、戻って来たのは授業が終わるチャイムが鳴ってからだった。
「何かあった?」
「うん……ちょっと……」
アリスには珍しくあやふやな返事を返してきた。
「何?」
「わたしが人に言っていいことかどうかわからないから言えない」
アリスがそれ以上何も言わなかったので、気になったけれど、黙ってそのまま別れた。
ひとりで次の教室に向かっていると、川口利穂に呼び止められた。
「楠くん、小暮さんと付き合ってるんだよね?」
「何、いきなり?」
「さっき、265号の教室で、高梨くんと小暮さん、2人でずっと一緒にいたの知ってる?」
「だから?」
「一応、教えておいてあげようと思って。2人が親密そうだったから」
「あのさ、そういうのって、だから何?」
オレは引き返すと、アリスがいる教室に向かった。
父親にフランス語の通訳を頼まれて、フランス人ジャーナリストのアナベラ・ドゥエールと一緒に食事をすることがあった。
会ってからわかったことだったが、彼女は流暢な日本語を話す、アリスの母親だった。
オレがアリスに好意を持っていることを伝えると、紛争地帯における国境なき医師団の役割について話し合うはずの食事会は、オレの元カノについて細かく質問される食事会になってしまった。
その時アリスの母親がオレに言った。
「あなたの最大のライバルは、あなたのその恋愛経験かな」
その時は意味がわからなかったけれど、最近、何となくわかるようになった。
今みたいなことだ。
自分のこれまでの経験に当てはめたらダメなんだよな。
アリスを教室から連れ出して、校内にあるカフェの隅の席に座った。
そして、さっき川口利穂から聞いた話をそのままアリスに伝えた。
「どうして川口さんがそんなこと言うんだろう……」
アリスが困っているのがわかる。
「オレはアリスのこと好きだから、こういうの聞くと、気になる」
思っていることを口にした。
気になっていることをちゃんと聞いたら、アリスはきちんと答えてくれる。
ようやくアリスが話す気になった。
川口さんと、二股がどうとかでもめたことに一臣が落ち込んでいたから、ほっとけなくて一緒にいた、と。
まず、一臣の今の「彼女」は2年の女だ。
そして、オレの知る限り、一臣はころころ女は変えても、二股はしない。
川口が勝手に自分を「彼女」だと思って、一方的に怒っただけだろう。
誤解させるような態度をとった一臣ももちろん悪いけど。
だったら一臣は何をそんなに落ち込んでいたんだろう?
川口が、わざわざオレに告げ口しに来た理由もわからない。
「高梨くん、泣いてたから……」
一臣が泣いていた?
何に対して?
いや、誰に対して、と言うべきなのか?
「頭撫でてたのが誤解されたのかな……」
「アリス……それはダメなやつ……」
「え?」
こういうこと、本気でわかってないから困る。
「そういうの、普通は相手に誤解を生むと思うよ」
「どうしよう……わたしのせいで川口さんと高梨くんの仲がさらに悪くなったら……」
大丈夫。元々仲は良くないはずだから。
「一臣なら誤解しないし、川口さんのことは、一臣が解決する問題だから大丈夫。オレも、気になってたことをちゃんとアリスから聞けて良かった」
川口がオレに告げ口してきたってことは、アリスに関係あるんだろうか?
「わたし言わないといけないこととか、わからないことが多いから、海斗の、言葉で聞いてくれるとこ好き」
そう言ってアリスはにっこり笑いかけてきた。
「好き」とか平然と言うんだ。オレはそれに弱い……
「もしかしたら、もっと言わないといけなかったことがあるかもしれない……」
「何?」
「社会学部って言ったかな? 佐々木くんっていう人に『付き合ってください』って言われて断った。あと、3年のバスケサークルの人? 『彼氏がいてもいいから付き合おう』って。嫌って言った。あと……」
「まだある?」
「もう少し」
「うん、まぁ、断ってるならもう話さなくていいよ」
「良かった。話したこともないのにみんな変だよね?」
オレが把握していないやつもまざってた。
社会学部の佐々木って誰だよ?
アリスがうといのは天然かと思っていたけれど、どうやらそうではない。
中学までは、いわゆる過疎化地域の学校にいて、小中合わせて8人しかいない学校にいたらしい。みんなオムツの頃から知ってるくらいの仲で、とても恋愛対象とかありえないと言っていた。
隣町の高校に入学してからは……ほとんどの女子に無視されて、仲がいいと言えるほどの友達が一人もいなかったらしい。
男子も近寄っても来なかった、と言っていた。
高校には2時間かけて通っていたから、当然学校が終わると真っすぐに家に帰る3年間を過ごした、と。
それで、恋愛指数だけゼロのアリスができあがってしまったようだ。
時々、ひな鳥を育てる母親の気分になってしまう。
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