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第30話 スーツの男
その日が始まりだったのかもしれない。
学校が終わった後、免許の講習があったオレは少し急いでいた。
それで、アリスより先に校舎を出た。
大学の正門のところまで行くと、背の高いスーツ姿の男が立っているのが目に入った。私服ばかりがうろうろする大学で、就職活動中でもなさそうな年齢の、スーツを着た男は目をひいた。
周りに学生がいなかったせいか、その男が話しかけてきた。
「君、何年生?」
不審者に教える理由がない。
「すみません、急ぐので」
そう言って立ち去ろうとした時、後ろで声がした。
「先輩?」
振り返ると、テニスラケットを持った生徒が立っていた。
「ああ、山野辺!」
男が親しそうに話かける。
「先輩どうしたんですか? 来るんだったら連絡してくれればいいのに」
「ああ、仕事でこっちまで来たんだけど、ちょっと急に寄りたい用ができて」
なんだ、OBだったのか。
そう思って先を急ごうとした時、その男の言ったことにひっかかった。
「山野辺、1年の高梨一臣って知ってる?」
一臣と知り合いなのか?
振り返って2人の話に耳を傾けた。
「知ってますよ。高梨ホールディングスの社長の息子って、結構有名だから。知り合いなんですか?」
「いや、知らない。本人の方は」
山野辺と呼ばれた男は少し辺りを見回し、校舎の方から歩いて来る一臣を指さした。
「あいつ、ほらブルーのシャツ着てこっちに歩いてきてるのがそうです」
「助かったよ」
男の言い方が気になったので、そのままそこで男がどうするのか立って見ていた。
一臣が正門のところに来たところで、男が話しかけた。
「高梨一臣くん?」
「……そうですけど、何ですか?」
一臣が不審そうな口調で答える。
「僕はこういう者だけど」
男が一臣に名刺を差し出した。
それを見た一臣が
「あ」
と一言発した。
「会社名を見てわかるってことは、お父さんから聞いてるんだ?」
「何をですか?」
「君の口から直接聞きたいんだけど、本当に君も承知のことなの?」
何の話をしているんだろう?
「お父さんは、君がそれを望んでいると言っていたけど?」
一臣が、男の側に立っていたオレに気が付いた。
そして、なぜか黙ってオレを見続けている。
「黙っているってことは、やっぱりお父さんが言ってただけってことか。正直こっちは……」
「言いました」
男は少し驚いたようだった。
「本当にそっちに政略的な意味合いはないんだ」
「はい」
「じゃあ、本当なんだ」
「はい」
「それだけ確認したかったんだ。ただ、本人の意向を無視して身内を仕事の道具にするつもりはないから。時間をとらせて悪かったね、急に」
「いえ」
「じゃあ、失礼するよ」
男は待たせていたらしいタクシーに乗って行ってしまった。
オレは突っ立っている一臣のところに行って聞いた。
「知り合い?」
「親父の仕事関係の人だった」
「そうなんだ」
「……ごめん」
一臣が謝る理由がわからない。
「何が?」
「いや……海斗、教習所行くんじゃなかったっけ?」
時計を見ると5分で駅に着かないと技能教習の予約時間に遅れてしまう。
「あ、やば。じゃあな」
オレは急いで駅に向かった。
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