どきどき 1

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どきどき 1

 呆然と立ち尽くしていた私はスマホに大量の通知が届いてることに気が付いた。しかし円歌からのものはない。  その後ふらふらと校舎の端までなんとか辿り着き、崩れ落ちるように座り込んだ。どうして晴琉が……円歌とも連絡がつかない。どうしたらいいか分からなくなる。 「葵ちゃん!」 「志希せんぱ……」  うつむいていたところに、志希先輩が現われた。ただただ無気力な私を見て名前を呼びきる前に抱きしめられた。不安な気持ちが少しだけ減り、先輩の腕の中で思わず涙がこぼれた。 「何があったの」 「分からない……何も分からないんですけど、たぶん、救急車に運ばれたのが晴琉で……円歌とも連絡つかなくて……」 「そっか……」  先輩はずっと背中を撫でてくれていた。少し経って目の前に人の気配がして顔を上げると、そこには寧音ちゃんがいた。私の泣き顔を見て申し訳なさそうな顔をしている。寧音ちゃんの目は泣いた後のように見えた。 「葵ちゃん……やっと見つけた」 「寧音ちゃん……」 「寧音?」  私を抱きしめるようにしていて寧音ちゃんに背を向けていた先輩も振り返る。 「志希ちゃん……なんであなたはいつも……今はそれどころじゃないね……あのね、円歌と晴琉ちゃんが階段から落ちて。私が二人を見つけて救急車を呼んだの。晴琉ちゃんが円歌をかばうように落ちたらしくて、晴琉ちゃんは足を怪我して歩けなくて。円歌は手首を痛めたみたい。晴琉ちゃんが頭を打ったみたいだけど、話は出来てたし、大事にはならないといいけど……」  私と先輩は黙って寧音ちゃんの話を聞いていた。とりあえず二人の安否がわかって良かった。でも二人とも怪我をしたなんて。どうして。 「……どうして階段から落ちたの」 「救急車が来るまでに聞いた話だと、円歌は呼び出されて……あの告白する場所になってるところあるでしょ、屋上に出る扉の前の。あそこに行ったけど誰もいなかったから帰ろうとしてたんだって。それでちょうど女の子たちに囲まれた晴琉ちゃんも人が来ないところまで逃げてたら円歌を見つけたの。晴琉ちゃんは階段の上にいた円歌の背中に人の手が伸びて、押されたのを見たって。それで階段の下にいた晴琉ちゃんが落ちてきた円歌を抱えるようにして落ちたみたい。二人が倒れた横を誰かが通り過ぎたけど顔は見れなかったって……私ももしかしてあそこかと思ったの行ったら、二人が倒れてたの」 「……寧音ちゃんは押した人に心あたりがあるんでしょ?いい加減教えてよ」 「寧音、そうなの?」 「二人は顔を見てないし……まだ分からないから言いたくない」 「寧音!そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」  志希先輩が怒っている姿を初めて見たかもしれない。いつも落ち着いてる寧音ちゃんは今だけは、まるで叱られた子どものように感情的で、不機嫌なことを隠そうともしなかった。 「志希ちゃんに言われたくない!……志希ちゃんのせいで円歌に嫉妬してる子なんていくらでもいるじゃない」 「そんな先輩のせいみたいに言わないで」 「志希ちゃんのせいだよ!志希ちゃんが……」  寧音ちゃんは言葉に詰まると、どこかへ駆け出してしまった。先輩が「寧音!」と呼び止めたけどいなくなってしまった。先輩は追いかけようとしたけど、私のことも置いていくわけにはいかないと思ったのか、そのまま残ってくれた。 「寧音とのことは後で必ず解決するから。まずは円歌ちゃんからの連絡を待とう?」 「……はい」 「ここは寒いし、中に入ろうか」 「……はい」  私は弱々しく返事をすることしか出来なかった。先輩に支えられるように立ち上がり、校舎に入って円歌からの連絡を先輩と待つ。  けれど結局いつまで経っても連絡は来なくって。文化祭も一日目が終了の時間になり、教室へ戻った。先生から晴琉と円歌が怪我をした報告があり、無事であることと、晴琉は明日の2日目の文化祭は出られないことが伝えられた。主役の晴琉がいなければ劇を出来ない。晴琉の代役を務められる子もいなくて、2日目の劇は中止になった。みんな残念がっていたけど、怪我をした晴琉のことを思うと落ち込んでいられなかった。クラス委員長の提案で明日は晴琉のお見舞いについて考える時間を作ることになり解散になった。  帰ろうとした時にようやく円歌からメッセージが届いた。 〈ごめん!全然返事できなくて!〉 〈私は大丈夫〉 〈先に帰ったから今家いる〉  次々と送られるメッセージに安堵して涙が流れそうになる。さすがに帰り道で泣く訳にはいかず、グッと涙を堪えた。  家に着いたら電話してと言われたけど、晴琉からも〈全然平気だから〉〈円歌のところ行ってあげて〉とメッセージが届いていたから、顔が見たくて直接円歌の家に向かった。早く会いたくてほとんど走っていたから家に着くころには息が上がってしまっていた。円歌のお母さんに通してもらい部屋へ行く。 「円歌!」 「わ!びっくりした!来てくれたの」  ドアを開けると思っていたよりも元気そうなパジャマ姿の円歌がベッドでくつろいでいた。ひとまず顔を見れてようやく安心する。 「はぁ……大丈夫?」 「葵のほうが顔色悪いけど。息切れしてるし……っと葵?」  カバンを落とす勢いで置いて、ベッドから起き上がった円歌に抱き着く。ずっと帰る間に我慢していた涙がこぼれてしまう。 「どれだけ心配したと思ってるの……」 「ごめん葵……ごめんね」  円歌は私が息を整えている間、ずっと頭を撫でてくれていた。落ち着いたころに一旦円歌から離れて、話を聞く。 「階段で押されて怪我したって聞いたけど」 「晴琉がかばってくれたおかげで、手首ひねっただけで済んだよ。二、三週間で良くなるって」  円歌は包帯を巻かれた右手をひらひらと振って大したことがないアピールをする。よりによって利き手。 「でも晴琉が足首ひねっちゃって……大会は無理みたい……ごめん」  今度は円歌が泣き出した。そう、バスケ部はこれから冬の全国大会に向けて予選が始まっていた。秋の大会はダメだったけど、鏡花先輩がマネージャーになってチームのレベルは上がっていたから、冬は全国行けるかもと期待していたところだった。でもそれは晴琉がいればの話だ。 「円歌のせいじゃないよ」  円歌がしてくれたように、今度は私が円歌の頭を撫でてやる。誰だか分からないけど、円歌と晴琉に怪我をさせた犯人が憎くて仕方がなかった。 「あとね……学校には私が階段で足を滑らせたって言ったの」 「どうして?」 「階段から落ちた後、寧音が来て、すぐに救急車呼んでくれたんだけど。そのあとに急に泣き出したの。ごめんって謝りながら」 「寧音ちゃんが?」  そういえば。寧音ちゃんが私と志希先輩のところに来た時、泣いた後のような顔をしていたことを思い出す。やっぱり泣いていたんだ。 「私がちゃんと見てなかったからだって。私も晴琉も意味が分からなかったんだけど、寧音は何か知ってるのかと思って。だからとりあえず事故ってことにしたの」 「そっか……葵もそう思うし聞いてみたんだけど、寧音ちゃんは知ってること教えるつもりはないって言ってて」 「もう一度ちゃんと話合えないかな」 「そうだね……さすがに見逃せないし」 「寧音……すごく辛そうだった」  こんな大変な目にあって、それでも人の心配ばかりする円歌は本当にお人好しだと思う。 「寧音ちゃんのことは、志希先輩も協力してくれるから」 「先輩が?」 「寧音ちゃんと先輩、昔からの知り合いなんだって。今は何があったか知らないけど話もしないみたいだけど」 「そうだったんだ……寧音、先輩の話なんてしたことなかったから」 「先輩とのことも含めて、どうにかなればいいけど」 「そうだね……」  寧音ちゃんと先輩の間に何があったのだろう。先輩のあの子は嘘をつかないという話と、円歌を見ていなかったことに責任を感じて謝った寧音ちゃんの言動を聞くと、悪い子だとは思えなかった。 「円歌は明日はどうするの?」 「んー……この状態で行っても邪魔になりそうだから、晴琉のお見舞いに行こうかなって」 「じゃあ晴琉に無理しないように言っておいて」 「うん」 「……明日もあるしそろそろ帰るね。ごめん急に来て」 「ううん、大丈夫。嬉しいよ」  名残り惜しいけど、円歌も疲れているだろうし、帰るためにベッドから立ち上がろうとした……のに。制服のブレザーの裾を軽く掴まれて思わず動きが止まる。 「どうしたの円歌」 「ねぇ……帰る前にぎゅーってして?」  円歌が不安そうに見えてしまった私は、なるべく優しく抱きしめた。円歌も腕をまわして抱きしめ返してくれるけど、怪我をしているから右手は添えるだけなのが寂しい。 「ありがと葵」   円歌の安心したような声に私も安心する。そういえば今日は色んなことがあったから、もはや遠い昔のように感じるけど、円歌とは部室で今までで一番いちゃいちゃしていたんだった。ふと思い出してしまい途端に恥ずかしくなる。 「なんか葵ドキドキしてない?」 「……抱きしめてたら部室でのこと思い出しちゃった」 「え?……そう」  円歌の声は消え入りそうなくらい小さくて。引かれたかと思ったけど、髪からのぞく耳が赤くなっていることに気付いて、同じ気持ちなんだと嬉しくなった。思わず円歌の耳に触れると、思ってもみなかった甘くて高い声が私の耳に届いた。 「え?」 「ちょっと!……耳触るのダメ……」  たしか志希先輩が円歌と付き合ってたころ、「円歌ちゃんは耳弱いもんね」とわざわざ私を煽るように言ってきたことがあった。思い出して沸々と黒い感情が湧き上がる。ダメと言われたけど耳を撫でるように触り続ける。 「ねぇ本当にダメだってば!」  私から逃げるように円歌が突然動いたから、体勢を崩してそのまま二人ともベッドに崩れ落ちる。「ごめん」と言いながら肘をついて上半身だけ起こすと、意図せず円歌を押し倒したような形になっていた。円歌の顔は耳と同じように真っ赤で、泣いた後だから目も潤んでいて……。 「円歌……」  名前を呼びながら頬を撫でる。視界の端に包帯を巻かれた手首が見えた。このまま帰ったら、円歌は文化祭を思い出す度に、怪我をしたことも思い出すのかと思うと、耐えられなかった。  帰りが遅くなるからと、円歌のお母さんが部屋に様子を見に来る直前まで、部室でしたよりもずっと丁寧に深くキスを繰り返した。最初は戸惑っていた円歌も次第に私を受け入れてくれて。懲りずに耳を触ろうとしたらさすがに睨まれて拒絶されたけど。 「じゃあ本当に帰るね」 「……うん」  円歌はもうほとんど布団に頭を被せてしまっていて、表情は分からない。くぐもった返事だけが聞こえる。 「円歌」 「なに?」 「今日は、葵とたくさんちゅーした日だからね」 「……うん」 「寝るまで葵のことだけ思い出してね」 「……ん」  今日の事で真っ先に思い出すのは、私のことであってほしい。これって重いかな……。 「最後に顔見せて?」  ためらいながらも、少しだけ布団から顔を出した円歌の顔は真っ赤で。私には最後にちゃんと目を見て伝えたいことがあった。   「円歌、好きだよ」 「……ん」   すぐに顔を伏せてしまった円歌。だけどちらりと見えた耳まで真っ赤で。あまりの愛おしさに帰りたくないと思ったけど、何とか気持ちを抑えて部屋を出た。
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