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遥か遠くの未来の話、世界の姿は様変わりし、生活の様式も一変し、とは言え人の感情ばかりは、いつまで経っても変わらぬのであった。もしかすると、それは未来でなく、過去の話なのかも知れない。遠い遠い、昔の話。しかし昔のことか将来のことか、といったことは、きっと大した問題では無いのだろう。ともかく現代とは一変するものがありながら、不変のものがあった、ということさえ分かれば良い。
そのメカは長い年月を経て、目を覚ました。具体的に何年の時を経たのか、ということはやはり重要でない。そのメカの存在が、誰にも忘れ去られるくらい、長い年月である。つまり、今度目が覚めた時、メカのことを知っている者はもうこの世のどこにもいなかった。
メカは、自分から目を覚ましたのではなかった。そうつくられていないせいである。だからメカは、起こしてもらった。その日もメカは、いつもと同じように、起こしてもらうつもりでいた。
暦上、それは何ら特別な年でも、日付でも無かった。しかしメカはその日より、長い眠りにつくこととなる。
——おやすみ。
そう言う少女の声が、今もメカの頭の中に木霊している。メカにも、脳みそに似たようなものがついている。高性能につくられたのだから、当然考えたり、思ったりすることができるのである。その穏やかな声色を、メカは目を閉じて機能を停止した後でも、何度も何度も反芻しながら、明日の目覚めを待ったのだ。
——目を開けた時、そこに覗き込んだのは、見知らぬ少年と少女とが、一人ずつである。無論、少女はメカに「おやすみ」と声かけた少女とは違っていた。真っ白な帽子を被って、真っ白な毛皮のコートを着て、それからまた真っ白な手袋をしていた。そして少年の方も、大分着込んでいた。寒いのだろうか? それに背景の様子も先刻とは全く異なっていた。薄黄味がかった天井と壁の境目の覗くはずが、そこは薄暗がりで、壁は取り払われ半分外の景色が窺える。身を起こしてみると、二人はメカに目の前を見せてやるように脇へ引いた。眼前に広がったのは紺色の空と、雪景色である。雪玉ははらはらと舞っている。
「ここは……」と覚えずメカは発した。メカはメカにふさわしい格好をしていた。複雑な構造につくられていることが一目に分かるけれど、不恰好である。ご主人は、見た目にはちっとも拘ってくれなかったのである。いや、それがその時代にはメカに対する通常の扱いで、何もご主人ばかりが変わっていたわけでは無かったのだ。
「R-07976惑星だよ! 君はどこでつくられたの?」
少年が甲高い声でメカに教え、そして問うた。メカにも、少年が話す言葉はきちんと理解ができた。そしてメカは、初対面の人に丁寧な言葉遣いで接するように、設計されていた。
「私は、ずっとここにいました」
話しぶりは流暢なもので、ちっともメカっぽくは無かった。
「違う。そうじゃない……」
メカは、混乱し始めた。規定された動作を疎かにして、「ジンは、ナオは……!」などと訳の分からないことを叫び始める。
「いつもと何も変わらなかった。ここは……『明日』のはずだ。それなのに……どうして、どうして目覚めさせてくれなかったんだ!」
「落ち着いて……」と少女がか細い声を発する。
「ナオ……?」
メカは少女の方を向いて首を傾げた。
「私はレイ。ナオじゃないよ……」
メカは暫く動作を停止した。それから徐に、身体を軋ませつつ立膝をつくと、「今は、何年の何月何日でしょう」と静かに問うた。
「知らない。でも、ずっと前からこの星はこんな風に荒廃してるんだ」
「馬鹿な」とメカは驚きを禁じ得なかった。
「それじゃあ、ジンや、ナオは——」
メカは自分が今置かれている状況を、いっぺんに理解した。そうして、とにかく絶望めいたものが、メカの頭の内に巣食った。日常を唐突に失った時、味わう気持ち——それは将来への不安などといった打算的なものでは決してなく——深い悲しみと、憤りより生じるものであった。それを見ていた二人の少年少女は、首を傾げお互いに見つめ合った。
「君は人間じゃないよね?」と少年が聞いた。
「見れば分かります」
メカは元の口調を取り戻した。切り替えの早さは、さりとてメカである。
「君は、感情を持っているの?」
メカはこの問いに対する、上手い切り返しを思いつかなかった。
「感情……」
「見た目は機械なのに……人間みたい」と言って少女はフフと笑った。メカにはそれが、白い天使の所作に見えた。
「おかしなことでしょうか?」とメカが問うと、今度は二人共、ケラケラと笑った。
「レイ、名前をつけようよ。こいつは……メカーだ! 何せ外見がメカメカしいから……」
「それじゃあ、工夫が無いと思う。ひっくり返して『カメ』にしよう」
少女の静かな提案に、「それが良い!」と少年はポンと手を打った。何だか決まったらしい。自分はこれから『カメ』らしい、とメカは思った。メカはどうも自分に特別な名前があったようには記憶していない。きっと主人には、そんな考えが浮かばなかったのであろう。だから、『カメ』と名付けられることに、不満は無かった。
「良い、名前です」とメカは言った。そう言うように、規定されているのであった。すると二人は、滅法嬉しそうにして、このメカを連れていくつもりらしかった。
「どこに向かうのですか」と道中、メカはすっかりしおらしくなって聞いてみた。
「探し物だよ」と少年は答えた。
「探し物、ですか」
メカは相槌を打った。その探し物とは何か、などといった余計なことは詮索してはならないのだと思った。驚くべきことに、メカには『知的好奇心』が搭載されていた。だからこんな質問をしたのだし、『探し物』の正体も、気になって仕方が無いのであった。だが、メカは人間の為になるように、つくられたのであった。したがって、人間を不愉快にさせるかもしれないようなことは、できないのだった。
しんしんと雪の降り積もる中を、三つの影は横切っていく。メカは二人の後をついて、その背を見下ろしながら歩いた。そうしてその間に、色々のことを考えた。この二人がここにいる理由、自分はなぜ長い間眠り続けたのか、ご主人はどうなったのか、分からないことだらけであった。二人が時々会話する、その内容に聞き耳を立てた。
「ここでも無さそうだね」
「うん……」
少女は力無い声で答えるのであった。
「そろそろ戻ろうか」
「うん」
「新しい仲間も増えたことだし」
少年はそう言って、メカのことを振り返った。メカはにこと笑った。
「笑った!」と少年ははしゃいだ。メカは、顔の隙間に開けられた光の量を調節して、表情をつくることができるのであった。そして、適切な時に、適切な感情表現を、選び取る能力も備えられていた。
「泣いたり、怒ったりもできるの?」と少年が問うと、メカは「はい」と答えた。
「でも、今はできません。本当に、そういう気持ちになった時しか、できないのです」
「へええ」と二人は感嘆した。
「それじゃやっぱり、まるで人間だな。なっ」
少年は少女に同意を求める。少女は徐にうんと頷く。
「今から、船に帰るんだよ」と少年はメカに教えてくれた。
「船?」
「そう。俺たちが乗ってきた船さ。それに乗って、また旅をするんだ」
「……何の為に?」
「さっき言ったろ? ——大事な、探し物だよ」
それ以上は教えてくれない。二人はズンズン歩く。メカは、それについていく。
「あっ」と少女が素っ頓狂な声を上げた。つられて「あっ」と、少年も口を押さえた。
「船が無い!」と少年は叫び出した。
「確かにここに……どうして?」
二人は見るからに慌てふためき始めた。メカには如何ともしようが無かった。
「どうしよう!」と天使の少女が青ざめた顔で、メカの肩にしがみつき、助けを求める。
「何とかしてよ、カメ!」と少年に言われても、メカは対処の術を持たなかった。二人を慰めることしかできなかった。メカには分からない。何故彼らが動揺し、今涙を流すほどにまで悲しむのか。悲しいと涙が出るのは、知っている。悲しいという感情の何たるかも知っている(つもりである)。しかし、メカの有している全ての知識は、所詮入れ知恵に過ぎないわけで、実際の経験に基づいているのでないから、時折分からなくなるのである。こういったことが、これまでにも頻繁にあった気がする。決して昔の話ではない、メカにとってはつい昨日のことではあるが、こうして彼らと過ごすうちに、その実感さえも薄れてきた。ここは長い時を経た世界で、ジンや、ナオはきっともうどこにもいないのである。
「探し物を、していらっしゃるんですよね」
メカはそう声をかけた。メカに抱きつき縋っていた少女は、「えっ?」と言って涙に濡れた顔を上げた。
「そうだけど……もう見つからないよ……船が無いんじゃあ」
「船のことは、何とかしましょう」
メカはそう言い切った。
「本当に?」と少女は目を見開いた。後ろから少年も、「本当か!」と続いた。
「その代わり——私の探し物を、手伝っていただけませんか」
メカは咄嗟に、こんな提案をした。きちんとした考えが、整っていたわけでは無かった。が、メカは彼らを慰めるのも兼ねて、こんなことを言ったのであった。
「カメの探し物って、何?」
問われてメカは、
「私の失われた、時間です」と答えた。
「カメは、そんなに長い間、あそこで眠っていたの?」
メカはこくりと頷いた。
「しかし、私にとってそれは、つい昨日のことです。いつもと何ら変わらぬ、一日の終わり。その終わりに際して、私は何とも思わずに、眠りについたのです。それから……一夜のうちに全てを失ってしまった。まさか主人が見つかるはずもありませんが……その訳くらいは、知りたいのです」
「僕らと同じだな」
ふと少年が言った。そのことでたちまち、メカにも彼らの悲しみの理由が知れた。メカは共感を、この上なく嬉しく思った。
「それでは、もう少しこの星を、探索してみませんか」
雪の降り積もる中、二人はうんと頷き、彼らは足並みを揃えて雪原を渡り始めた。
メカと二人は、とある廃墟へやってきた。ここは、もうどこも廃墟であった。メカは、主人のいた時分にも、殆ど家から外へ出ることは無かったけれど、偶に外出してみた時には、こんな様子ではなかったと記憶している。記憶は昨晩でも、「モノ」はきちんと経年劣化しているらしく、どうも胸の内にある光景は縹渺としている。
その廃墟は、誰もいなくなって、それから雪の重みで崩れ出したらしかった。中へ入っていくのは憚られたが、少年少女は怖いもの知らずで手掛かりが無いかとメカの手を引いていく。薄暗く、足下も覚束ない。階段がある。既に少年が、半ばまで行き少女とメカを呼ぶ。
二階へ上がると、そこは広間であった。絨毯が敷いてあったらしい、埃や屑に塗れて汚くなっているが、部屋は見通しよく広がっている。奥の方で、二つ四角窓から青白い光が漏れ入る。それぞれ歩くと、ジャリという音が立った。そして、彼らは辺りを散策する。
「これ見て!」という少女の透き通った声が、広間に良く響いた。少年とメカは揃って、そちらへと寄る。少女が見せたのは、古びた紙切れであった。罫線が入っていて、メモ帳の切れ端のようであった。そしてその隅には、文字が中途半端に刻まれていた。
「読める?」と少女は問う。少年はそれを手に取って、「ううん」と唸ると、「所々掠れてて読めない」と諦めた。今度はメカが手に取る。
「どう?」と少女が聞く。
「もうどうにでもなれ」
「えっ?」
「そう書いてあります」
「良く読めたね」と少年は感心する。
「このメモ帳の本体が見つかれば、もっと何か分かるかもしれません」
メカはそう言って、紙切れを二人に渡した。怪訝そうな顔をするので、「私には、これを仕舞う所がありませんから」と教えてあげた。すると二人は、ケラケラと笑った。
「カメは裸だもんね!」
「カメの服も見つけてあげよう」と勝手に決める。メカはちっとも有難いと思わなかったが、「ありがとうございます」と答えた。
それから、彼らは色んな所を旅して回った。氷の山を登って、埋もれた家々の跡を見つけた。森に分け入って、奇妙な、鼠のようで真っ白の生物を捕まえた。空き家に入り込み、先刻とは別の文字資料を発見した。そこにはこう記されていた。
『もう一週間も、洪水は続いている。後三週間も、続くらしい。これが現実で、全てである。大人しく死のう。この、愛すべき故郷と共に……』
「きっと、未曾有の天変地異があったんだ。そのせいで、この星からは人がいなくなっちゃったんだよ」と少年が言った。
「だから——カメは、決して捨てられたんじゃなくて……カメを苦難に巻き込まないように、」
「そうでしょうね」とメカはぽつりと呟いた。メカの抱くのは、虚しさばかりであった。これっぽっちも喜びや感動といったものは、生まれ得なかった。それは、自分の設計ミスに違いない、とメカは信じた。そうでなければおかしな話である。メカは主人に、最後まで大切にされていたのかもしれないのに、それがちっとも嬉しくないのである。薄情にも程がある——と、メカは自己嫌悪に陥った。
「大丈夫?」と少女は気遣った。メカは黙って、首を縦に振った。ギシ、ギシという音がした。少年が、少女の肩に手を置いて、やっぱり首を振った。少女は首を傾げるばかりであった。
メカは、何も知らなかった時よりもずっと大きな喪失感に見舞われた。そして、「戻りたい」と、一言呟いた。二人は黙って頷き、メカを元の場所へと引き連れた。その中途、彼らの行手を阻んだのは、真っ白な鼠の大群であった。阻んだ、とは言っても、それらに敵意は無く、ただ邪魔な所に夥しい数群れているばかりであった。
「どうしてこうも、この生き物はふえるのだろう」
「異常な数……」
メカは、試しに一匹を抱き上げてみた。
「あっ」と少年が言った。チュ、と鼠が鳴いた。鼠はあっという間にメカの腕の間をすり抜けて、降りていってしまった。メカは如何ともし難い、寂寞の念に襲われた。涙を流したくなった。けれども、どうやらそんな機能は備わっていないらしかった。そのせいで大分、随分鬱憤が溜まった。
するとメカは、鼠の大群を容赦なく横断していく。あちこちでチュ、チュ、チュと喚いて煩い。覚えず少年少女は、耳を塞いだ。メカはあちこち噛まれた。けれども、その程度で身体に傷のつくはずもなかった。
「カメ!」と少年少女は大声に呼ぶけれど、鼠の騒音に掻き消されて聞こえなかった。いや、聞こえていても、メカは無視してそこを突っ切ったろう。二人がついて来られないのは、分かり切ったことである。しかしメカは満身創痍、ちょうど一体になりたい気分であったのだ。
鼠の群れを抜けると、まだ当分無言に、直向きに歩き続けた。メカは、元の寝ぐらを目指していた。もう一度、眠りにつく為である。これは全部、悪い夢なのかもしれない……とメカが考えたのは、革新的なことであった。今、誰にも知られず、ひっそりと世紀の科学的進歩があったのである。メカが不合理を考え出す。これはもう、メカが人になったのとほとんど同じことを意味するのであった。メカは失意と絶望の中で、真に人となったことを証明したのだ。けれども、それを伝えるべき相手もいない。
途端に尋常でないほど吹雪が激しくなった。メカの足取りは重くなった。それは凍える所為ではなく、雪に脚をとられるからであった。メカは実際、外の気温にほとんど影響を受けず活動することができた。当然、メカの身体はメカであって、人間とはつくりが異なる。そうすると、何をもって人と見做すのか。メカは人だろうか? メカも、歩きながら、ぼうっと同じことを考えていた。しかし、結論の出るのは早かった。やはり自分は人などではなく、メカである。メカであって、人でありたいとも思わなかった。その代わりメカのままでよいとも思わなかった。答えは出るが、自身の気持ちの落とし所ばかりが見つからない。
両肩にサラサラの雪を乗せながら、メカは『いつもの』場所に帰り着いた。そう、決してそれは「始まり」などといった大層なものでは無いし、「思い出」などという感傷的なものでもかい。ただの「日常」で、それ以上でもそれ以下でもないのである。メカはそこに横たわった。ただ、眠りにつくだけのことであった。
その時、指に何かが触れた。それは、白い紙であった。雪よりは、ずっと色褪せたその紙を——それは綺麗に四角に折り畳まれていた——メカは広げた。そこには、昨日、メカに「おやすみ」と言って笑ったご主人の、拙い筆跡が並べられていた。何も変わっていやしなかった。メカは胸を詰まらせた。
『愛する私のメカへ。——どうもこの世界は滅びるみたい。急にごめんね。でも、本当なの。こういう日は、突然にやってくるものなの。心の準備なんて関係ない、私たちが勝手にここに住みついて、それだからこの世が滅びることに、文句を言う権利なんか無いの。とにかく貴方は眠ってね? 眠っていれば、安全なんだから。どうにもならないで、生きていけるから。きっと、迎えに来るね? 私は、一旦は遠い遠い星に行くけれど——どうして連れていけないのかって? どうしても連れていけないの。でもきっと戻ってくるのだから、安心して。できるだけ早く迎えにいくよ。だから、心配ない。すぐだから。貴方は、いつもと同じように眠って、それで、目が覚めるだけ。そうしたら、周りの景色はちょっと変わってるかもしれないけど——引っ越ししたんだと思えばいいわ。でも、私にとっては長い別れになるから、起きた途端抱きしめちゃうかも。変だと思って、嫌わないでね? それじゃあ、また明日——』
メカの脳裏には、主人の、ソファに座している光景が浮かんだ。ソファに深く腰掛け、テレビを目の前にしている。メカはそれを、食卓について後ろから眺めている。時々主人が、ケラケラと笑う。メカは有難いとも思わずに、無表情で眺めている。そんな光景である。
メカはとうとう、涙を流した。涙は、熱かった。メカは、腕でその涙を拭った。けれども腕は濡れなかった。メカは、しくしくと泣き続けた。雪はとっくにやんだが、空は暗いままだった。
そこへ、少年少女がやってきた。少女が、
「ねえ、見て!」と言ってメカを指差した。メカはそこにぐったりと横たわっていたのだ。
「寝ちゃってる」と少女は言った。そして、クスクスと笑うと「起こしちゃ悪いよ」と上目遣いで少年を見た。
「次に目覚める時には、カメの探し物が見つかりますように」
そう言って少年は、掌を合わせることで祈った。少女もそれに倣った。三人はまだ暫くそこにいた。ここには年中、こんな風にして雪が降り積もっているのである。
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