第3話 ミッシツ

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第3話 ミッシツ

 憎いほど心地よい春風が、ふたりの間を軽やかに吹き抜けていく。  全速力で校舎を駆け抜け、ミルダがやっと追いついたとき。彼はレンガを組み上げたような白亜(はくあ)の外壁に手をやり、なにかを観察するように眺めていた。  その姿を見て、ミルダはこれから始まることを見逃さないようにと、わくわくしながら見守っていたのだ。  しかし。 「さっきから何やってんの? それ1枚1枚調べてさあ」  ミルダが到着してから、いやおそらくその前からずっと。彼は外壁のレンガに丁寧に触れては、細かなひび割れでも見つけるかのように調べる作業を続けていた。  これが長い。そして終わりが見えない。  あと地味。動きもないし。 「一応、なにか仕掛けがないか調べてるんです。ここは魔法薬学保管庫の裏ですから」 「……隠し通路があるってこと?」 「あ、べつに確証があるわけじゃなくて……むしろ、そんなものはないと思ってます」 「え? じゃあ無意味じゃん」  あからさまな悪態だったが、彼に気にした様子はない。  というよりも、どう思ってるかすらわからない。  ミルダが到着してからずっと、彼は壁のほうを向いて作業に没頭していた。  そんな姿にミルダはため息をつくと、ぽふりと芝の上に腰をおろし、ぼんやりした春の空をあおぐ。 「あーあ、これから犯人と対決すると思ったのになー」 「そんなことあるわけないじゃないですか」 「じゃあアルファストラはなんで調べてんの?」 「……アルフェルノアですけど」 「え、そうだっけ?」 「いいですけど、気にしてませんし」 「そっか」 「……僕だって、長い名前だなと思ってますけど……」 「いやめっちゃ気にしてんじゃん!」 「いいでしょうべつに! ……とにかく、僕が調べてるのは、たんに興味があったからです。あの部屋は密室だった可能性がありますし」 「ミッシツって?」 「え?」  驚いた声に少し遅れて、アルフェルノアが振り返る。  このとき初めて、ミルダは彼を真正面から見た。  教室で見た時はミルクティー色だと思った癖のある髪は、春の陽射しを受けて、蜂蜜を加えたように少し柔らかな色をまとっている。  そしてメガネのフレームにかかる長めの前髪と、その奥に見えるあの紅玉のような瞳。  雑に制服を扱ってるミルダと違い、シワひとつないシャツと一番上まできっちり留められているボタンが、彼の几帳面さを物語っていた。  その姿に、ミルダはこれまで彼と接点がなかった理由を瞬時に理解する。 (なんか、話合わなそー……) 「……まあ、そうですよね。推理小説とか読まないでしょうし」 「あ、待ってよ! ちゃんと説明してくれないとわかんないって!」   また作業に戻りかけていたアルフェルノアをミルダは慌てて引き止める。 「で、ミッシツって?」 「……」  気が進まない様子だったが、じっと顔をのぞきこむミルダに気圧(けお)されて、アルフェルノアはしかたなく口を開いた。 「……密室は推理小説でよく使われる言葉で、出入りが不可能な部屋のことを指します」  とはいっても、物理的に完全に入れないわけじゃない。  ただ、鍵がかかっていたり誰かに監視されていたりして、その時中に入ることが不可能だったと思われるものを密室と呼ぶ。そして。 「そこで殺人が起これば密室殺人、というわけです。今回の場合、魔法薬学保管庫がその密室だった可能性があります」 (あ、だからあのとき……)  ——これは、密室だったんでしょうか。  移動教室の帰りに立ち寄った魔法薬学保管庫の前で、アルフェルノアが口にしたのはこの言葉だったのかと気づく。 「推理とか探偵小説って、いまいち魔法使いウケしないんですよね。自前で壁もすり抜けられるし空も飛べちゃいますから、トリックもなにもあったもんじゃないですし……だから、ミルダさんが知らなくても無理ないんですけど」 「あれ、ぼくの名前知ってるの?」 「知ってるもなにも、この学校でミルダさんのことを知らない人のほうが少ないと思いますよ? その格好ことでも」 「……」  太陽にさっと雲がかかったように。  急に、ミルダの瞳に敵意のようなものが浮かぶ。 「……きみも」 「はい?」 「きみも、このことでなんか言おうってわけ? ぼくが——」
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