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☆☆☆
巡回の途中脱輪した荷馬車を発見救助して、原因となった穴を塞ぎ、さて巡回の続きと鐙に片足を掛けたその時だ。
「あ?」
相棒のケイトリンが一瞬固まると、羽織ったばかりのコートのポケットを懸命に探っている。
そんな何度もまさぐったって深さも広さもしれてるだろう、たかがポケットなんだから。
さあー、とケイトリンの顔から血の気がひく。もともと色が白い──本人いわく子供の頃から日焼けしても一時的に赤くなるだけなんだそうだ。
「体質なのかな。昔からよくからかわれたんだ」
男友達には女みたいとからかわれ、好きな女の子を含む女友達にはわたしより色白で可愛いのは羨ましい、と妬まれる。
そうぼやいていた。
確かにケイトリンは白皙の美貌も中性的。身なりを整えたら貴族の若様だと言われりゃみな信じるだろう。
事実、周囲に居る貴族出身のどの騎士よりもケイトリンのほうが貴公子然としている。まぁ容姿だけだけど。
「どうしたんだ?」
「………した」
「何を?」
ケイトリンは上目遣いに俺を見上げる。
俺のほうが頭ひとつぶんデカイので、近距離戦はいつもこの体勢だ。狡い。
この段階でも俺にはかなり分が悪い。
世にありふれた茶色の瞳も、ケイトリンのだと艶やかな琥珀色の貴石に見えてくるから不思議だ。
瞳が少し潤んでいるのはパニくってる証拠。素っぴんの癖に薄い桃色の頬には荷馬車を助けた際に汚れが付いたまま。栗色の髪には積み荷だった乾し草が付着している。それでも。間違いなく、色っぽい。
今日も俺の負けが確定。
いや何の勝負だか。
「ケイトリン?」
「……落とした」
「何?」
「落とした、みたい。手袋」
「手袋」
「そう。ジャスナが誕生祝いに誂えてくれた手袋。ここに入れてたはずなのに」
そう言って、ケイトリンはコートのポケットから内側の生地を引っ張り出して見せた。
「忘れてきたんじゃないのか」
「ううん」
ケイトリンは頭を振った。
「騎乗していた間はちゃんとはめていたもの。荷馬車を押す時に外してポケットにしまったんだ。汚れるといけないから」
「じゃあ、そこら辺に落ちてるだろ」
自分でもびっくりするくらい低い声が出た。
ケイトリンの瞳が見開かれる。
俺の態度にわかりやすくしゅんとなったケイトリンが可愛くて嬉しくなる。
俺も大概単純だ。
一緒に探そう。
出来るだけ優しい声でそう言って俺は自分のポケットを押さえて生地越しにそれを確認する。
☆☆☆
街道といっても辺境、しかも北の大国ロクスタリヤ王国やそこと近しい領主が支配するきな臭い地域だと整備も警備もままならない。街道の両脇は俺が隠れる程の丈高い叢で覆われている。ここで一組の手袋を見つけるのは絶対に無理とわかっていた。
それでもふたりで小一時間、探し回って──結局見つけられず、諦めるより他なかった。
巡回を放り出してしまう訳にはいかないからな。
ケイトリンは項垂れている。
「ごめんね、ノア。巡回途中だのに余計な手間をかけさせて」
今にも泣き出しそうな声はいつにも増して艶かしくて背中がぞくぞくした。
「気にするな、相棒だろ俺たち」
随分汚れたな、と俺はケイトリンの髪に絡んだ草の実や枯れ草、蜘蛛の糸なんかを取ってやる。
一生懸命探したんだろうな、スラックスも土で汚れている。
好きな女からの贈り物だから。
奥歯を噛み締め、手を髪から首、肩から背中と胸へ滑らせた。汚れを払ってやるふりをしながら。
無防備なケイトリンを抱擁するように両腕で囲い込んでみても、緊張する素振りもない。
出会ってから六年経つのに。意識されてもないってか。
沸き上がってくる苛立ちをケイトリンに悟られないよう、俺は視線と意識を背後の叢に向ける。さっき切り刻んだ手袋を棄てた辺りに。
★★★
ノアから贈られた真新しい手袋は軍から支給されるそれとは比べものにならない上質な輸入品だった。王都でも簡単には手に入らないだろう。もちろん以前ジャスナから誕生祝いで貰ったのよりもずっと高価そうだ。
僕等下っ端軍人の給料じゃ、とても手が出ない。
普段、身分バレしないようにと、慎重に平民出身の下級騎士らしく振る舞っているくせに。こういうところで素性がバレるとか考えないのだろうか?
これホントに高価そうだけど貰ってしまっても問題ないよね?
というかそもそも僕の手袋を棄てたのはノアなんだから。ノアは僕が気付いてないと思っているみたいだけど。
(ノア、負けず嫌いだからな。嫉妬深いし)
ノア本人も部隊の上官も僕には教えてくれないので彼の本当の正体はわからない。
上官は現国王派武官の中心的人物で、王女の婿に従兄弟の王子を迎えようと画策しているらしい。
そんな人物が、この数年なぜかずっと国境の警備を担っている。おかげで僕も辺境砦詰めでジャスナと会うのもままならない訳だけど。
王国北部の国境地帯。この街道の先はロクスタリヤ王国に続いている。
ロクスタリヤ王国とは今の国王と敵対してはいないけれど。
戦後ずっと封鎖されていて人流も物流も途絶えた辺境の砦を守護る国王の重臣。
ノアは上官の同郷出身だと言ってたけど──たぶん嘘だ。
『ノア』という名も偽名だろう。
前に一度、上官がノアに膝まずいているのを見たことがある。
ノアのことを『殿下』と呼び掛けているのを聞いたこともあった。
だからたぶん、想像だけど、ノアは先王の二人いる兄王子の孫、王女の従兄弟の誰か。亡命先のロクスタリヤかシラクサの王子だろうとは思うけど。
(ノアには感謝してる。この容姿だから入隊する前も入隊した後も、いろいろあった面倒事全部、彼が睨みを効かせてくれてるおかげで何もないし)
ノアが自分に恋情を抱いていることは知っている。気づかないふりをしてノアを害虫除けにしようと考えるくらいの打算もある。
ケイトリン自身は恋愛対象は女子限定なのでノアの好意を利用している、と言える。
希望的観測をいえばノアとは現状維持のまま、ジャスナと結婚したい。
だがノアとの付き合いもすでに六年。自分に向けられるノアの視線はすでに友人のレベルを超えている。近頃は何かにつけて身体に触れてくるし、いろいろ言い訳を着けて。その言い訳、無理あるだろ、ということも多くて苦笑してしまう。
「ノア、ありがと。大事にするよ、この手袋」
「……ちゃんと使ってくれよ。彼女のプレゼントみたいに汚すのが嫌だとか言ってしまいっぱなしにせずにな?」
外出時はずっと身に着けていて欲しい。
ノアはそう言いながら手袋を取り上げると僕の手にはめてくれた。
ノアの手はいつも熱い。
「これ地模様も綺麗だね」
「この地模様には呪いが込められていてね」
「呪い?」
王族や貴族の持ち物には暗殺対策に沢山の呪いが施されている、と聞いたことがある。
「刃避け、火傷避け、害虫避け──まぁありきたりだけど。ほら、任務中は案外指先の怪我が多いからな」
害虫除け、害虫避けねえ。
ノアの言う害虫の中には恋人や他の男達が含まれていそうだ。
僕はノアに笑顔を向ける。
ノアがノアであるうちは友人で居続けたい、という願望を込めて。
だけど。
自分を見つめ返す水晶のような瞳にケイトリンはため息をつく。
近々、自分はノアに美味しく食べられてしまうんだろうな、と覚悟を決めるくらいにその瞳は熱かったから。
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