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◇◆◇
「熱?」
「うん。皐月くん、高熱が出て今日学校休むからって栞さんが」
「…そう」
朝、母親からそう言われた。
俺に会いたくなくて仮病?
でも栞さんが言ってたって事は嘘じゃないだろう。
…まさか、昨日の事がショックで?
まさかな。
皐月が隣にいない朝食。
皐月が隣にいない通学路。
皐月がいない、教室…。
「………」
寂しい。
皐月がいて当たり前だと思ってたけど、皐月が俺のそばにいたい…そばにいようって思ってくれていたから“当たり前”が成り立っていたんだって今更思い知る。
とぼとぼ帰宅して、荷物を置いてから野村家のインターホンを押す。
すぐにドアが開いた。
「さつ…」
「あ、穂高くん」
「…栞さん? あれ、仕事は…」
顔を出したのは皐月のお母さん。
「皐月の熱が全然下がらないから今日は休んだの。今、病院から帰ってきたところ」
「そんなに悪いんですか?」
なんか悪い病気だったらどうしよう。
「それが、風邪でもインフルエンザでもなくて、心因性のものじゃないかって」
「心因性…」
やっぱり昨日の事が原因だ。
どうしよう…皐月の事、そんなに傷付けたんだ。
俺がもっと素直になればこんな事にならなかったのに。
「皐月に会えますか?」
誤解を解かないと。
ちゃんと俺の気持ちを言わないと…!
「それが、誰か来ても帰ってもらってって言ってて…私とも顔合わせたくないみたいで、病院に連れて行くのも大変だったの」
「そうですか…」
「…でも、もしかしたら」
「え?」
栞さんがいい事を思いついたって顔をして、俺を家の中に招いた。
栞さんから渡されたおかゆののったお盆を持って皐月の部屋のドアをノックする。
返事は帰って来ない。
続けてノックする。
「今、お母さんとも会いたくない…」
ドアの向こうから皐月の弱々しい声が聞こえる。
更にドアをノックする。
また返事が返って来なくなる。
なにも喋らず続けてノックする。
「しつこいな、なんの用…」
ドアがゆっくり開いて、泣き腫らした目をした皐月が顔を出す。
俺を見て固まって、それからぼろぼろ涙を流し始める。
「おかゆ、持って来た」
「…ほだか…」
「入っていい?」
「……なんで来たの…?」
皐月がぐずぐず泣きながら聞くので。
「お見舞い」
額に手を当てる。
熱い。
「食欲あるの?」
「……ほだか…ほだかぁ…っ」
わんわん泣き出す皐月。
とりあえず部屋に入って、テーブルにお盆を置いて皐月を落ち着かせる。
涙は収まった様子。
「おかゆ、ノックしてるうちに冷めちゃったんだけど食べられる? 食欲ある?」
「…食欲はあるけど…」
「じゃあ食べて」
レンゲでおかゆをすくって皐月の口元に運ぶ。
皐月がぽかんとした顔してる。
なんだ。
「…穂高が食べさせてくれるの?」
「いいから食べて」
「……うん」
ほんとは誰かに食べさせてあげるなんて初めてで恥ずかしい。
顔が熱いから、赤くなってるんだと思う。
俺の顔を見た皐月がちょっと嬉しそうにしたあと、口を開ける。
「温め直してきたほうがいい?」
「ううん、このままでいい」
「わかった」
静かにおかゆを食べる皐月。
俺はなにをどう言ったらいいか頭の中で言葉をこねくり回して組み立てる。
「…ごめん、穂高」
「え?」
言葉の組み立て作業は、皐月の謝罪の言葉で一時中断された。
「俺、穂高の気持ち…考えてなくて、俺の気持ち、押し付けて…っ」
また皐月の瞳から涙が落ち始める。
泣いてても顔が崩れないってどういう事だ…だからこういう時にそんな事考えてる場合じゃない。
「…穂高、もしかして好きな人いたりする…?」
聞きたくないって顔して聞いてくる。
「いるよ」
皐月が一瞬固まって、それからどんどん涙が頬を伝い落ちる。
涙を拭ってやりたいけど、こういう時すぐに手を伸ばせるほどできた男じゃないのが自分で情けない。
「…いいよ」
「? なにが?」
「その人のとこ、行っていいよ…」
皐月、身を引く感じになってる。
皐月って思い込んだら突っ走るタイプ?
知らなかった。
「わかった」
「…っ」
「俺の好きな人のとこ行くよ」
そう言って皐月にキスをすると、皐月の涙が止まった。
恥ずかしさで顔がすごく熱い。
でももう勘違いさせたくない。
「おかゆ、やっぱ温め直したほうがよくない?」
皐月の唇が冷えてる。
冬だし、やっぱ温かいもののほうがいい。
「…え?」
皐月が、なにが起きたのって顔してる。
それから自分の唇に触れて、指で何度かなぞったあとものすごい勢いで真っ赤になる。
「なんで…穂高、好きな人いるんでしょ!?」
「うん。この人が俺の好きな人」
皐月の頬に触れて、もう一度キスをする。
今度はそこまで恥ずかしくない。
「…どうして? 俺の事嫌いなんじゃないの…?」
「なんでそう思ったの?」
そもそも嫌いだって言った事ないんだけど。
「だって、穂高の部屋で俺の嫌いなとこ、いっぱい箇条書きにした紙見た事ある…」
「………」
やっぱりあれか。
捨ててなかったっけ。
「小学校の時と今と一緒にすんなよ。おかゆあっためてくる」
俺が立ち上がろうとすると。
「いい、そのままでいいから…穂高の気持ちが聞きたい」
皐月が俺の腕を掴む。
「……」
ちゃんと心にあるものを言え、俺。
なにも隠さず、皐月をこれ以上不安にさせたり泣かせたりしないように…。
「俺、確かに皐月が嫌いだった」
「…やっぱり嫌いなんだ…じゃあ」
「最後まで聞け」
手で皐月の口を塞いで言葉を止めさせる。
「最初、皐月の告白にいいよって言ったのも、めちゃくちゃ振り回してこっぴどく振ってやろうって思ったからだった」
「………」
口を塞いでるから黙っているけど、泣きそうな目をしてる。
「でも、そばにいたら…皐月が可愛くて…俺も皐月のそばにいたいって思って」
「…ほだ……」
なにか言おうとした皐月がまた口を噤む。
「皐月が好きだよ」
「……ほだか」
「ずっと素直に言えなくてごめん」
口を塞ぐ手を外して皐月を抱き締めてみる。
俺の心臓、壊れそうなくらいの勢いで脈打ってる。
「穂高…ほんとに?」
「うん。皐月が好き」
「もう一回言って…」
「皐月が大好き」
「…もういっか…」
もう一度キスをすると、皐月がまた泣き出す。
「もういいだろ」
素直になるって難しい。
でも誤解は解けたみたいだからよかった。
「うん…じゃあ、穂高は俺のお嫁さんになってくれる?」
「……」
すごい期待した目。
またいつもみたいに『やだよ』って口から出そうになって呑み込む。
けど。
「俺、男だからお嫁さんにはなれない。…でも、」
これは言っておかないと。
皐月もわかってるだろうけど、念のため。
「でも?」
「…皐月のものになら、なってもいい」
普段の俺だったら絶対言えない言葉が言えた。
なんでだろう。
「ありがとう、穂高」
そっか、皐月の笑顔が見たいからだ。
皐月が柔らかく微笑む。
綺麗な笑顔。
「おかゆ食べて」
「うん!」
「ほんとにあっためなくていい?」
「穂高の優しさで十分あったかいからいいよ」
皐月ってすごいな。
思った事を素直に言えるところ、ほんと尊敬する。
おかゆをひとくちずつ皐月に食べさせて、食べ終えたところで立ち上がろうとしたら。
「帰っちゃうの…?」
「うん。栞さん、うちで待ってるし」
「そう…」
寂しそう。
しっぽ垂れてる。
皐月の髪をくしゃっと撫でる。
「これからだって好きなだけそばにいられるだろ。あと一年同じクラスだし、同じ大学受けるんだから」
「え…」
「まあ、俺が落ちて別の大学行く事になったらわかんないけど」
皐月が落ちる事はないだろうけど、俺が落ちる事はありえそう。
ちゃんと勉強しよう。
「いいの…?」
「なにが」
「穂高の行きたいとこ、俺も志望校にしていいの…?」
「しょうがないだろ、また熱出されたら困るし」
違うだろ。
そうじゃなくて。
「…じゃなくて、俺も…皐月と一緒の大学通いたいし、そばにいたいから」
素直になるって体力も気力も半端なく使う。
一生分使い切った感じ…すごい疲労感。
皐月を見ると、すごく嬉しそうに微笑む。
「穂高、ありがとう…大好き」
この笑顔が見られるなら、疲れてもいいかって気になる。
「早くよくなれ」
皐月の髪をくしゃくしゃっと撫でて野村家をあとにした。
俺は絶対真っ赤なままの顔を隠すために、栞さんと俺の母親のいるリビングには寄らず、自分の部屋に駆け込んだ。
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