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「俺があのお店に通ってるのは啓真くんが目当てだし」
「えっ!?」
「“一食堂”って言うからには一番おいしいのかなって入ってみたんだけど、この世で一番素敵な子がいた」
「…“一食堂”です…」
「うん。あとから知った」
よく間違えられるんだけど、店主の一さんの名前から“一食堂”だ。
まあ、一さんも一番おいしいと思ってもらいたくてわざと“一”の字を使っているらしいからいいのかな。
でもこの世で一番素敵な子って…深山さんって目が悪い?
「今、俺の目が悪いのかって思ったでしょ」
「なんでわかるんですか」
「啓真くんは顔に出るから」
「……」
昔からよく言われてきた事だ。
まさか今でも変わっていないとは。
「あと、“深山さん”はやめてね」
「じゃあ“深山さま”?」
「なんで。“結人”って呼んで」
「えっ!? 呼び捨てですか!?」
「無理なら“結人さん”で我慢する」
「……」
我慢ってなに?
俺が固まっていると、深山さんが俺の唇を指でなぞり、どくん、と心臓が大きく跳ねる。
「呼んで、啓真」
「あ…」
“啓真”
なに…これ。
耳に重く響く。
聞き慣れた自分の名前なのに、ずしんと心に落ちてきて波紋を広げていく。
「…ゆ」
「うん」
「っ…」
うまく言葉が出てこない。
深山さんは俺の唇をなぞって待っている。
綺麗な唇がまた“啓真”の形を作り、心臓がおかしな動きをする。
「ゆ、いと…さん」
「うん。ありがとう、啓真」
結人さんの顔が近付いてきて、ぎゅっと目を瞑る。
どうしよう、まさかキスされる!?
キスなんて高校の時に男友達にふざけてされて以来した事ないんだけど!!
と思ってたら前髪をよけられて額に柔らかいものが触れた。
「今日はこれだけ」
「……はぃ」
なんか間抜けな声が出てしまった。
キスはキスだけど、額だった。
ほっとしたようななんとも言えないような複雑な感じ。
「じゃあ帰ろう。案内してくれる?」
「…はい」
なんとなく額に触れてみる。
まだ唇の温もりが残っている気がする。
結人さんってどういう人なんだろう。
こんなにかっこいいのに、平凡な俺を素敵なんて言ってみたり、手に入れるって言ってみたり。
これだけかっこいいと逆に平凡がよくなるのかな。
「あの…俺、男なんですけど」
「そうだね。俺も男だよ」
「はい。それで、手に入れるって…」
「うん。手に入れる」
「……」
結人さんって男が好き、なのかな。
「男が好きなんじゃなくて、啓真が好きなんだよ」
「えっ!?」
また顔に出てた!?
結人さんが微笑む。
「啓真じゃなくちゃだめなんだよ」
「なんで…?」
「二か月ずっとあのお店に通って啓真を見ていてすごく素敵だなって思った。仕事に一生懸命で、楽しそうで。俺が『ごちそうさま』って言うと嬉しそうにするのが可愛いんだ、本当に」
「……」
可愛い…。
思わず自分の顔に触ってしまう。
この顔のどの辺が…?
「…そんなに見てたんですか?」
「だって啓真目当てで通ってるって言ったでしょ?」
「……言いました…。あ、ここです」
話しているうちにアパートに着いた。
築年数はだいぶ経っているけれど、リフォームがしっかりされているので外観も中も綺麗なので気に入っている部屋だ。
でもきっと結人さんはもっといい部屋に住んでるんだろうな。
「部屋に入ったらすぐに鍵かけてね。じゃ、俺はここで」
「あ、お茶でも…」
送ってもらってそれだけなんて申し訳ない。
たいした事はできないけど、お茶くらいなら出せる。
そう思って声を掛けると。
「啓真、無防備に男を部屋に誘っちゃいけない」
「へ?」
「そんな事してたらすぐに食べられちゃうよ」
「……」
食べられちゃう…?
結人さんは俺の頭にぽん、と手を置いてから背を向けて駅に向かって去って行った。
部屋に入って、結人さんに言われた通りすぐに鍵をかける。
いつもそうしているけれど、あんな風に言われると鍵をかけたかしっかり確認してしまう。
荷物を置いてからシャワーを浴びて、余ったご飯で一さんが作ってくれたおにぎりを食べながら缶チューハイを飲む。
「……変な人」
本当に変な人だ。
俺目当てで店に通う物好きがいるという時点で変だし、俺をこの世で一番素敵というのも変。
俺を手に入れたいというのも変、俺を可愛いって言うのも変。
俺じゃなくちゃだめなんて…ほんとに変。
「…『きみをください』…」
そんな事言われたの初めてだから、どうしたらいいかわからない。
飲食店に勤めていてそんな注文を受けた事のある人ってどのくらいいるんだろう。
いたらどうしたか聞きたい。
いや、聞いたところで参考になんてならないか。
その人はその人、俺は俺だ。
「………う」
慣れない考え事をすると頭が痛くなる。
疲れているから瞼が重たくなってきた。
ベッドに横になって結人さんの顔を思い浮かべる。
すごくかっこいいのに変な人……とりあえず今はそれでいい。
じゃないと頭がパンクしてしまう。
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