きみをください

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◇◆◇ それから俺は結人さんがランチタイムに訪れる店の店員としてとしか接しなくなった。 帰りも連絡なんてしないでひとりで帰る。 結人さんは最初の二日は待っていたけれど、俺が結人さんの前を素通りして帰宅するようにしたら三日目からはもう待っていなかった。 心がすーすーするのは気のせい。 注文を取って、料理を運んで、会計をして。 それだけ。 始めからそれだけだった。 だからそこに戻っただけ。 俺は“結人さん”と呼びかける事がなくなり、結人さんも“啓真”と呼ばない。 無性に胸が苦しくなるけれど、それでも心に平穏が戻ってきた。 あの、なんとも表現できないものを抱えなくていい。 それだけですごく楽だった。 やっぱり平凡な俺には平凡な毎日が似合っている。 「夏季休業のお知らせですか?」 「そう。もうそんな時期なんだよね」 カレンダーを見ると確かにもう七月だ。 そうか、もうそんなに時間が経っているんだ。 あれから結人さんとは店以外では一回も会っていないし、店でも必要な会話しかしない。 それでも平日毎日来てくれる。 『啓真目当てで通ってるって言ったでしょ?』 「……」 まさか今でも俺目当てで通ってるって事はないよな。 うん、ない。 あれから何度もメッセージを送ろうとしてはやめてを繰り返して、結局送れずに今日まで来てしまっている。 結人さんからも一度も連絡はない。 あの告白はもう無効になっているだろう。 俺も忘れよう。 毎日が平穏。 なにも変わらず、たまにトラブルが起こるくらいでたいした事は起こらない。 いつも通りが俺を取り囲んで、いつも通りに日々が過ぎていく。 かっこいい男の人に『きみをください』と告白されて、『啓真を手に入れる』と言われたりするのは俺には似合わない。 休みには旅行でも行こうかな。 少し前に一さんがプチボーナスと言って、全然プチじゃないボーナスをくれたからお財布には余裕がある。 それでどこか行ってのんびりしようかな。 閉店後、いつも通り一さんとアルバイトの人達と店を出る。 アパートに向かって歩いている途中で立ち止まってしまう。 ここで結人さんに額にキスされた。 日常に戻って時間が経っても、こうやってふとした瞬間に結人さんを思い出す。 近付いたのはたった二日だけなのに、あまりにそれが濃厚で俺の記憶に灼き付いている。 濃厚過ぎてくらくらするほどで、思い出すと眩暈がする。 空を見上げると星が点々と見える。 旅行に行った時にはもっとたくさんの星が見える場所に行こう。 そう思って歩き出そうとするのに足が動かない。 気が付けば涙が頬を伝い落ちていく。 ああ、何度目だ……こうやって泣いてしまうのは。 男は泣くものじゃないと小さい頃に親に言われて泣かないようにしてきた。 どんなに悔しくても悲しくても我慢してきたのに。 それなのに結人さんの事を考えると苦しくて涙が堪えられない。 なんでこんな風になってしまったんだ。 どうして俺をこんな風にしたんだ。 恨み言のひとつも言ってやりたいけど、結人さんの顔を見たら口から飛び出すのは違う言葉のような気がして近付きたくない。 「…………結人さん……」 ずっと口にできなかった、したくなかった名前を口にしてしまう。 呼んだところでここに本人はいないから大丈夫だ。 ひとつ息を吐き出す。 「……結人、さん…」 「なに?」 「!!」 ここに本人はいないはず。 なのに返事がある。 振り返るとそこに結人さんが立っている。
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