きみをください

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「……どうして」 「どうしてだろうね」 「……っ」 だめだ、このままじゃ…。 慌てて逃げ出そうとするけれど手首を掴まれた。 それでも逃げようともがく。 結人さんはあの日と違って逃がしてくれない。 「なんで俺を呼んだの?」 「……」 「啓真」 「っ…」 また蘇る、心の波紋。 それは以前のもの以上に激しく俺の心を乱す。 また平穏が崩れる。 「ごめんなさい…見逃してください」 「……」 「…もう、俺の事は忘れてください…」 そのまま座り込む俺を、どんな気持ちで結人さんは見下ろしているだろう。 きっと最悪だと思ってるに違いない。 そう、俺は最悪だ。 最悪だからもう忘れてくれ。 記憶の隅にも残さないでくれ。 「…とりあえず帰ろう。送って行くから」 「……」 「啓真?」 「……ここに置いて行ってください。もういいですから」 座り込んだままそんな事を言ってしまった。 ただの駄々っ子だ。 結人さんの顔を見られない。 俯いたままでいると結人さんが動く気配を感じたので、このまま置いて行ってくれるものと思った。 「!?」 なぜか抱き上げられた。 これってお姫様抱っこ…? そのまま結人さんは歩き出す。 「え? あ、あの」 「啓真、軽いね」 「いや、重いです…え?」 どういう状況…? 混乱している俺をよそに機嫌のよさそうな結人さんの顔が近くにある。 また心臓がおかしな動きをする。 これ、怖い。 このまま心臓が止まりそうだから。 「啓真が呼んで、なんで俺がそばにいたかわかる?」 「……いえ」 心臓バクバクすごい。 三か月ぶりくらいの結人さんとの接触に全てがついていかない。 しかもお姫様抱っことか、接触があまりに濃厚だ。 「今日だけじゃなくてこの三か月、ずっと啓真のそばにいたから。帰り道、毎日そばにいたよ」 「えっ!?」 「気付いてないんだろうなとは思ったけどね」 「…全然気付きませんでした」 そんなにそばにいたんだ…知らなかった。 って事は、俺が帰り道の途中、結人さんに手を繋がれた場所や額にキスされた場所で立ち止まったり、泣いたりしてたのもずっと見られてたって事…? は、恥ずかしい…! 「……啓真、」 真剣な瞳が俺を映す。 俺は返事の仕方もわからなくて俯く。 「人を好きになるの、怖い?」 「っ…!」 “好き” その単語がもう怖い。 だって“好き”って絶対人をおかしくさせる。 自分が自分じゃなくなって、相手の事しか考えられなくなって…なにを失ってもその人を手に入れたくなるほど周りが見えなくなる。 盲目になるのはやっぱり怖い。 「……怖い、です」 正直に答えると結人さんが少し笑う。 その横顔が優しくて胸がきゅうっとなる。 三か月も大丈夫だったのに、少し近付いただけでまたおかしな自分に戻ってしまう。 「そう。でもね、」 「…?」 結人さんが言葉を切って俺をじっと見る。 「逃がしてあげないよ」 「!!」 優しい瞳に有無を言わせない言葉。 どくんっと心臓が大きく跳ねて苦しくなる。 俺がTシャツの胸のところをぐっと握ると、結人さんがそれに気付く。 「啓真?」 「……苦しい」 「そう」 「…下ろしてください…」 やっぱり結人さんには近付いちゃいけない。 結人さんから逃げようとするけど結人さんは下ろしてくれない。 暴れたら落としてもらえるだろかと、暴れようと思ったらアパートについてしまった。 これで下ろしてもらえると思ったら、結人さんはそのまま階段を上がって俺の部屋の前まで行く。 ようやく下ろしてくれた結人さんは、帰るのかと思ったら俺に手を差し出す。 「啓真、鍵貸して」 「……」 渋々鍵を渡すと結人さんが鍵を開ける。 結人さんは俺の肩を抱いて一緒に部屋に入った。 バタン…ガチャ 結人さんが鍵をかける音が妙に大きく響く。 部屋に結人さんとふたりきり。 「啓真…、逃がさないよ」 「……でも」 「そんな顔しながらの『でも』は聞けない」 「そんな顔…?」 結人さんが俺の頬に触れる。 輪郭をなぞられて顔が熱くなってくる。 「俺に捕まりたいって顔してる」 「!!」 部屋の奥に逃げるけれど、追いかけてきた結人さんに捕まってそのまま抱き締められた。 優しい香りにまた眩暈を覚える。 シャツ越しの体温に心臓は爆発しそうな勢いで脈打っている。 「啓真、いつもはどうしてるの?」 「いつも?」 「帰ってから」 「……帰ってから」 いつもは…。 「…シャワーを浴びて、店でご飯が余った時に一さんが作ってくれるおにぎりを食べながら缶チューハイを飲みます」 「そう、いいね」 結人さんが身体を離すので思わずシャツを掴んでしまう。 「ん?」 「あ…」 罠にかかったのかもしれない。 濃厚な二日間のあとに平穏な時間を戻して、また近付いて。 そうやって俺の心を乱したのは全て結人さんの計画なんじゃないか。 そしてその事を俺がこうして考えてしまうところまで、全部が結人さんの手の中の事のような感じがする。 ……気のせいだろうか。 結人さんの腕の中に、今度は自分から収まる。 温もりを覚えるようにそっと結人さんの背に腕を回すと、結人さんも俺を優しく抱き締めてくれた。 それからふたりで一さんのおにぎりを食べて、缶チューハイを飲んだ。 特にこれといった話をしたわけではないけれど、心地好い空気にどきどきするのに落ち着くという不思議な現象が起こった。 「お邪魔しました」 「いえ…」 「おやすみ」 「おやすみなさい」 終電に間に合うように結人さんは帰って行った。 そうしたら急に心細く感じる。 ベッドに横になってぼんやり天井を眺める。 そうか……俺、結人さんに捕まりたいんだ…。
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