6人が本棚に入れています
本棚に追加
葵と蒼真が山の中で作業をしていて、二人きりになった。
蒼真が葵に言った。
『ねえ、葵?母さんがお前なんて生まなければよかったって嘆いてたよ?
僕さえいたら充分なんだって。
ここでお前が遭難したところで、母さんは悲しまないだろうね。
むしろ喜ぶかもしれないよ?』
同じ顔をした弟が、天使の微笑みを滲ませ、邪悪な顔で言い放った。
その言葉が、傷付いていつ崩壊しても可笑しくない葵の心を、決定的に壊した瞬間だった。
少なくとも辺りは人気のない山の中。
葵たちが、下側が川になってる崖の上にいたのが、悪夢の始まりだった。
葵はその瞬間、衝動的に蒼真を崖から突き落としていた。
落とされた瞬間の、まるで悪魔を見るかのような蒼真の表情が、脳裏に今でも焼き付いている。
蒼真の絶叫が、永遠に耳に残って、消えてくれそうになかった。
泳げない蒼真が、川の流れに反して泳げるはずもなかった。
最初はもがき、しかしやがて蒼真は川の中に飲み込まれた。
突き落とした時に後悔するも遅く、葵は永遠に取り返しのつかない事を、その時にしてしまった。
葵がキャンプ場に一人戻り、謝ったところで、母は決して許してはくれないだろう。
何故なら、母にとって理想の子供は、葵ではなく、蒼真だから。
蒼真の言う通り、母は蒼真の生を望み、葵の死を願うはずだ。
葵として一生両親に蔑まれ、失望される地獄のような未来が浮かんだ。
その瞬間、後悔と懺悔の中、葵は蒼真になる事を誓った。
普通では考えられない、理性を失ったようにも見える行いだ。
だがそれを悪だと判断がつかないほど、その時の葵は壊れてしまっていた。
川の流れが速かったのもあって、事件は事故と処理され、葵の行いは永久に闇に葬られた。
キャンプ場で迫真の演技で泣き崩れ、葵の名を叫び続ける葵。
母はそれが蒼真に成り代わった葵だと気づかなかった。
あれだけ心底から愛していたのに所詮、蒼真の表しか見てなかった。
中身は関係なかったのだ。
そんな蒼真を、葵は可哀想だとすら思った。
葵はロクに双子の区別すら出来ない母親に、あれほど感情や精神を左右され、今まで振り回されてきたのだと、呆れ果てた。
これではまるで自分が今まで馬鹿みたいだと思った。
「…一瞬、千暁には俺が葵だって、バレたかと思ったけど…わからなかったみたいだ。」
葵はセミが合唱する最中、ぼんやりと一人呟く。
むせかえるような暑さの中、空を見上げ、葵は皮肉気に口元を三日月に歪めていた。
「母さんも俺を蒼真だと信じきってて優しいんだ。
お前のおかげで毎日楽しいよ。
…俺が死んだら責任取って、お前がいる地獄に一緒に行くから、それまで待っててね。…蒼真?」
そんな呟きは、セミの鳴き声で掻き消された。
最初のコメントを投稿しよう!